サムエル記下6章12~19節、詩篇89篇2~4,20~27節、ヘブル1章5~14節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

サムエル記下 6:12 神の箱のゆえに、オベド・エドムの一家とその財産のすべてを主は祝福しておられる、とダビデ王に告げる者があった。王は直ちに出かけ、喜び祝って神の箱をオベド・エドムの家からダビデの町に運び上げた。
6:13 主の箱を担ぐ者が六歩進んだとき、ダビデは肥えた雄牛をいけにえとしてささげた。
6:14 主の御前でダビデは力のかぎり踊った。彼は麻のエフォドを着けていた。
6:15 ダビデとイスラエルの家はこぞって喜びの叫びをあげ、角笛を吹き鳴らして、主の箱を運び上げた。
6:16 主の箱がダビデの町に着いたとき、サウルの娘ミカルは窓からこれを見下ろしていたが、主の御前で跳ね踊るダビデ王を見て、心の内にさげすんだ。
6:17 人々が主の箱を運び入れ、ダビデの張った天幕の中に安置すると、ダビデは主の御前に焼き尽くす献げ物と和解の献げ物をささげた。
6:18 焼き尽くす献げ物と和解の献げ物をささげ終わると、ダビデは万軍の主の御名によって民を祝福し、
6:19 兵士全員、イスラエルの群衆のすべてに、男にも女にも、輪形のパン、なつめやしの菓子、干しぶどうの菓子を一つずつ分け与えた。民は皆、自分の家に帰って行った。

詩篇 89:2 主の慈しみをとこしえにわたしは歌います。わたしの口は代々に あなたのまことを告げ知らせます。
89:3 わたしは申します。「天にはとこしえに慈しみが備えられ あなたのまことがそこに立てられますように。」
89:4 「わたしが選んだ者とわたしは契約を結び わたしの僕ダビデに誓った
89:5 あなたの子孫をとこしえに立て あなたの王座を代々に備える、と。」
89:20 あなたの慈しみに生きる人々に かつて、あなたは幻によってお告げになりました。「わたしは一人の勇士に助けを約束する。わたしは彼を民の中から選んで高く上げた。
89:21 わたしはわたしの僕ダビデを見いだし 彼に聖なる油を注いだ。
89:22 わたしの手は彼を固く支え わたしの腕は彼に勇気を与えるであろう。
89:23 敵は彼を欺きえず 不正な者が彼を低くすることはない。
89:24 わたしは彼の前で彼を苦しめる者を滅ぼし 彼を憎む者を倒す。
89:25 わたしの真実と慈しみは彼と共にあり わたしの名によって彼の角は高く上がる。
89:26 わたしは彼の手を海にまで届かせ 彼の右の手を大河にまで届かせる。
89:27 彼はわたしに呼びかけるであろう あなたはわたしの父/わたしの神、救いの岩、と。

ヘブル 1:5 いったい神は、かつて天使のだれに、「あなたはわたしの子、わたしは今日、あなたを産んだ」と言われ、更にまた、「わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる」と言われたでしょうか。
1:6 更にまた、神はその長子をこの世界に送るとき、「神の天使たちは皆、彼を礼拝せよ」と言われました。
1:7 また、天使たちに関しては、「神は、その天使たちを風とし御自分に仕える者たちを燃える炎とする」と言われ、
1:8 一方、御子に向かっては、こう言われました。「神よ、あなたの玉座は永遠に続き、また、公正の笏が御国の笏である。
1:9 あなたは義を愛し、不法を憎んだ。それゆえ、神よ、あなたの神は、喜びの油を、あなたの仲間に注ぐよりも多く、あなたに注いだ。」
1:10 また、こうも言われています。「主よ、あなたは初めに大地の基を据えた。もろもろの天は、あなたの手の業である。
1:11 これらのものは、やがて滅びる。だが、あなたはいつまでも生きている。すべてのものは、衣のように古び廃れる。
1:12 あなたが外套のように巻くと、これらのものは、衣のように変わってしまう。しかし、あなたは変わることなく、あなたの年は尽きることがない。」
1:13 神は、かつて天使のだれに向かって、「わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまで、わたしの右に座っていなさい」と言われたことがあるでしょうか。
1:14 天使たちは皆、奉仕する霊であって、救いを受け継ぐことになっている人々に仕えるために、遣わされたのではなかったですか。


かつて、教会の礼拝いおいてバンド形式で賛美を歌っていた時、ある一人の信徒の方が「バンドは礼拝に似合わない、うるさい」といった趣旨のことを言われたことがあった。
確かに教会で行われる礼拝は、パイプオルガンなどによる演奏が一般的なイメージでもあろうし、神聖な雰囲気の中で静まりたいという人にはそういった音楽が好まれるのは分からないではない。
しかし、神への感謝や喜びを表す賛美のスタイルに決まりがあるわけではないし、旧約聖書におけるダビデの賛美などは、どちらかと言うと現代のバンドスタイルに近い楽器が用いられていることが記されている。

サムエル記下 6:5 ダビデとイスラエルの家は皆、主の御前で糸杉の楽器、竪琴、琴、太鼓、鈴、シンバルを奏でた。

もっとも、どんなスタイルであろうと、いつの時代でも神への感謝と喜びを表す賛美に理解できない者もいる。
神の契約の箱がダビデの町に運び込まれた時、大きな喜びをもって迎え入れたダビデに対し、サウルの娘ミカルはダビデをさげすんで見ていたと記されている。
スタイルが問題なのではない。
心の有り様が問われているのである。
演奏に用いられる楽器も、奏でられる音楽のジャンルも、歌われる言葉も、それほど問題ではない。
大切なのは、その心が神をたたえ、感謝を表しているかどうか、である。

もうすぐクリスマス。
様々なところで、イエス様のお誕生をお祝いする時が持たれることだろう。
どんな仕方でお祝いしても構わないが、私たちのために救い主としてお生まれ下さったことの感謝と喜びを、自分らしく表現できればそれが一番。
荘厳なパイプオルガンによる演奏や、キャンドルなどを用いた厳かな式典でなくてもいい。
ましてや、ケーキやプレゼントも無くったって全く問題ない。
なぜお祝いするのか、そのことをしっかりと心に留めて、世界中でクリスマスがお祝いされることを願う。
クリスマスの中心は、救い主イエス様のお誕生をお祝いすることなのだから。