ハバクク 2:1 わたしは歩哨の部署につき 砦の上に立って見張り 神がわたしに何を語り わたしの訴えに何と答えられるかを見よう。
2:2 主はわたしに答えて、言われた。「幻を書き記せ。走りながらでも読めるように 板の上にはっきりと記せ。
2:3 定められた時のために もうひとつの幻があるからだ。それは終わりの時に向かって急ぐ。人を欺くことはない。たとえ、遅くなっても、待っておれ。それは必ず来る、遅れることはない。
2:4 見よ、高慢な者を。彼の心は正しくありえない。しかし、神に従う人は信仰によって生きる。」
2:5 確かに富は人を欺く。高ぶる者は目指すところに達しない。彼は陰府のように喉を広げ 死のように飽くことがない。彼はすべての国を自分のもとに集め すべての民を自分のもとに引き寄せる。
詩篇 126:1 都に上る歌。 主がシオンの捕われ人を連れ帰られると聞いて わたしたちは夢を見ている人のようになった。
126:2 そのときには、わたしたちの口に笑いが 舌に喜びの歌が満ちるであろう。そのときには、国々も言うであろう 「主はこの人々に、大きな業を成し遂げられた」と。
126:3 主よ、わたしたちのために 大きな業を成し遂げてください。わたしたちは喜び祝うでしょう。
126:4 主よ、ネゲブに川の流れを導くかのように わたしたちの捕われ人を連れ帰ってください。
126:5 涙と共に種を蒔く人は 喜びの歌と共に刈り入れる。
126:6 種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は 束ねた穂を背負い 喜びの歌をうたいながら帰ってくる。
フィリピ 3:7 しかし、わたしにとって有利であったこれらのことを、キリストのゆえに損失と見なすようになったのです。
3:8 そればかりか、わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています。キリストを得、
3:9 キリストの内にいる者と認められるためです。わたしには、律法から生じる自分の義ではなく、キリストへの信仰による義、信仰に基づいて神から与えられる義があります。
3:10 わたしは、キリストとその復活の力とを知り、その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら、
3:11 何とかして死者の中からの復活に達したいのです。
生きていく上では有利なものについて、パウロは損失であるとまで言っている。
知識であったり、地位や名声、また、富や健康なども、生きていく上では有利なものと言えるはずのことを、それがかえって損失だというのである。
なぜならば、そのようなものに人は頼りやすいからである。
もちろん、有るに越したことはないのだろう。
しかし、それらに頼ることで、神に頼る事を忘れてしまうことをパウロは損失と考えているのだ。
イエス・キリストを知ることは、あまりに素晴らしく、他のものが塵あくたと思えるほどだというのである。
果たして私自身はそこまでの域に達しているだろうか。
神を信じていると言いながら、自分の知恵や健康、モノや富などに頼っているのではないだろうか。
それら全てを捨てることができなかったとしても、それらによっては永遠の命は保証されないものであるということは覚えておきたい。
むしろ「自分は神のために何もかも捨てて従ってきました」などと思い上がったことを言わず、「主よ、愚かな僕ですが、あなたの救いの約束に信頼します」と言いながら、弱き者、愚かな者なりに、信仰の生涯を歩んでいきたい。
あいかわらず頼りにならないものにすがりついたまま生きようとしているだけなのかもしれないが、せめて、己の弱さや浅はかさを認め、神の救いの約束に信頼し、喜びと平安の中を生きていよう。