イザヤ44章21~28節、詩篇95篇1~7節、マタイ12章46~50節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

イザヤ 44:21 思い起こせ、ヤコブよ イスラエルよ、あなたはわたしの僕。わたしはあなたを形づくり、わたしの僕とした。イスラエルよ、わたしを忘れてはならない。
44:22 わたしはあなたの背きを雲のように 罪を霧のように吹き払った。わたしに立ち帰れ、わたしはあなたを贖った。
44:23 天よ、喜び歌え、主のなさったことを。地の底よ、喜びの叫びをあげよ。山々も、森とその木々も歓声をあげよ。主はヤコブを贖い イスラエルによって輝きを現された。
44:24 あなたの贖い主 あなたを母の胎内に形づくられた方 主はこう言われる。わたしは主、万物の造り主。自ら天を延べ、独り地を踏み広げた。
44:25 むなしいしるしを告げる者を混乱させ 占い師を狂わせ 知者を退けてその知識を愚かなものとする。
44:26 僕の言葉を成就させ 使者の計画を実現させる。エルサレムに向かって、人が住み着く、と言い ユダの町々に向かって、再建される、と言う。わたしは廃虚を再び興す。
44:27 深い水の底に向かって、乾け、と言い お前の大河をわたしは干上がらせる、と言う。
44:28 キュロスに向かって、わたしの牧者 わたしの望みを成就させる者、と言う。エルサレムには、再建される、と言い 神殿には基が置かれる、と言う。

詩篇 95:1 主に向かって喜び歌おう。救いの岩に向かって喜びの叫びをあげよう。
95:2 御前に進み、感謝をささげ 楽の音に合わせて喜びの叫びをあげよう。
95:3 主は大いなる神 すべての神を超えて大いなる王。
95:4 深い地の底も御手の内にあり 山々の頂も主のもの。
95:5 海も主のもの、それを造られたのは主。陸もまた、御手によって形づくられた。
95:6 わたしたちを造られた方 主の御前にひざまずこう。共にひれ伏し、伏し拝もう。
95:7 主はわたしたちの神、わたしたちは主の民 主に養われる群れ、御手の内にある羊。今日こそ、主の声に聞き従わなければならない。

マタイ 12:46 イエスがなお群衆に話しておられるとき、その母と兄弟たちが、話したいことがあって外に立っていた。
12:47 そこで、ある人がイエスに、「御覧なさい。母上と御兄弟たちが、お話ししたいと外に立っておられます」と言った。
12:48 しかし、イエスはその人にお答えになった。「わたしの母とはだれか。わたしの兄弟とはだれか。」
12:49 そして、弟子たちの方を指して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。
12:50 だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である。」


イザヤ書の箇所には、主なる神様がイスラエルの民を僕と呼び、主のもとに立ち帰るように贖われたものであるということが語られている。
贖われるということは、囚われているものを身代金を支払って買い戻すことを示し、一般的には奴隷を解放するような場合に用いられる言葉であろう。
そう考えると、僕として招かれても、引き続き、神に仕えなければならない奴隷のように思えるかもしれない。
しかし、私たちを贖われた神は、この世界を創り、全てを治めておられる主なる神であり、自分の利益のためだけに他人を酷使するような自分勝手で極悪な主人ではなく、御自分の命の代価を支払ってまで私たちを奴隷のような状態から解放しようとしてくださったお方なのである。
奴隷というのは、もちろん、罪の奴隷であり、贖われる前の方が、罪を主人とするような哀れな状態であったことを忘れてはならない。
そして、神の御子イエス様の命の代価を支払って愛の方のもとに買い戻された私たちは、今や、神の子として、神の家族の一員として、まことの愛の神の恵みの支配のもとに生かしてもらえるのである。
不幸な奴隷状態から、幸いな僕へと、私たちは贖われた。
この救いの御業を成し遂げて下さったイエス様をまことの救い主としてあがめたい。
そして、これからも主イエス様のもとに生きていこう。