列王記上22章13~23節、詩篇95篇1~7節、黙示録14章1~11節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

列王記上 22:13 ミカヤを呼びに行った使いの者は、ミカヤにこう言い含めた。「いいですか。預言者たちは口をそろえて、王に幸運を告げています。どうかあなたも、彼らと同じように語り、幸運を告げてください。」
22:14 ミカヤは、「主は生きておられる。主がわたしに言われる事をわたしは告げる」と言って、
22:15 王のもとに来た。王が、「ミカヤよ、我々はラモト・ギレアドに行って戦いを挑むべきか、それとも控えるべきか、どちらだ」と問うと、彼は、「攻め上って勝利を得てください。主は敵を王の手にお渡しになります」と答えた。
22:16 そこで王が彼に、「何度誓わせたら、お前は主の名によって真実だけをわたしに告げるようになるのか」と言うと、
22:17 彼は答えた。「イスラエル人が皆、羊飼いのいない羊のように山々に散っているのをわたしは見ました。主は、『彼らには主人がいない。彼らをそれぞれ自分の家に無事に帰らせよ』と言われました。」
22:18 イスラエルの王はヨシャファトに言った。「あなたに言ったとおりではありませんか。彼はわたしに幸運ではなく、災いばかり預言するのです。」
22:19 だが、ミカヤは続けた。「主の言葉をよく聞きなさい。わたしは主が御座に座し、天の万軍がその左右に立っているのを見ました。
22:20 主が、『アハブを唆し、ラモト・ギレアドに攻め上らせて倒れさせるのは誰か』と言われると、あれこれと答える者がいましたが、
22:21 ある霊が進み出て主の御前に立ち、『わたしが彼を唆します』と申し出ました。主が、『どのようにそうするのか』とただされると、
22:22 その霊は、『わたしは行って、彼のすべての預言者たちの口を通して偽りを言う霊となります』と答えました。主は、『あなたは彼を唆して、必ず目的を達することができるにちがいない。行って、そのとおりにせよ』と言われました。
22:23 今御覧のとおり、主がこのあなたのすべての預言者の口に偽りを言う霊を置かれました。主はあなたに災いを告げておられるのです。」

詩篇 95:1 主に向かって喜び歌おう。救いの岩に向かって喜びの叫びをあげよう。
95:2 御前に進み、感謝をささげ 楽の音に合わせて喜びの叫びをあげよう。
95:3 主は大いなる神 すべての神を超えて大いなる王。
95:4 深い地の底も御手の内にあり 山々の頂も主のもの。
95:5 海も主のもの、それを造られたのは主。陸もまた、御手によって形づくられた。
95:6 わたしたちを造られた方 主の御前にひざまずこう。共にひれ伏し、伏し拝もう。
95:7 主はわたしたちの神、わたしたちは主の民 主に養われる群れ、御手の内にある羊。今日こそ、主の声に聞き従わなければならない。

黙示録 14:1 また、わたしが見ていると、見よ、小羊がシオンの山に立っており、小羊と共に十四万四千人の者たちがいて、その額には小羊の名と、小羊の父の名とが記されていた。
14:2 わたしは、大水のとどろくような音、また激しい雷のような音が天から響くのを聞いた。わたしが聞いたその音は、琴を弾く者たちが竪琴を弾いているようであった。
14:3 彼らは、玉座の前、また四つの生き物と長老たちの前で、新しい歌のたぐいをうたった。この歌は、地上から贖われた十四万四千人の者たちのほかは、覚えることができなかった。
14:4 彼らは、女に触れて身を汚したことのない者である。彼らは童貞だからである。この者たちは、小羊の行くところへは、どこへでも従って行く。この者たちは、神と小羊に献げられる初穂として、人々の中から贖われた者たちで、
14:5 その口には偽りがなく、とがめられるところのない者たちである。
14:6 わたしはまた、別の天使が空高く飛ぶのを見た。この天使は、地上に住む人々、あらゆる国民、種族、言葉の違う民、民族に告げ知らせるために、永遠の福音を携えて来て、
14:7 大声で言った。「神を畏れ、その栄光をたたえなさい。神の裁きの時が来たからである。天と地、海と水の源を創造した方を礼拝しなさい。」
14:8 また、別の第二の天使が続いて来て、こう言った。「倒れた。大バビロンが倒れた。怒りを招くみだらな行いのぶどう酒を、諸国の民に飲ませたこの都が。」
14:9 また、別の第三の天使も続いて来て、大声でこう言った。「だれでも、獣とその像を拝み、額や手にこの獣の刻印を受ける者があれば、
14:10 その者自身も、神の怒りの杯に混ぜものなしに注がれた、神の怒りのぶどう酒を飲むことになり、また、聖なる天使たちと小羊の前で、火と硫黄で苦しめられることになる。
14:11 その苦しみの煙は、世々限りなく立ち上り、獣とその像を拝む者たち、また、だれでも獣の名の刻印を受ける者は、昼も夜も安らぐことはない。」


イスラエルの王アハブから、アラムへに対する共闘を依頼されたユダの王ヨシャファトは、アハブが多くのバアル預言者らに伺いを立てていることに違和感を抱き、他に真実の神の御言葉を告げる者がいないのかと尋ね、預言者ミカヤが呼ばれることになる。
しかし、ミカヤは、いわゆる王に忖度するような偽りの預言者ではなく、容赦なく真実を語る者であることは分かっていたのであろう。
ヨシャファトは、ミカヤがアラムへの進軍には参加すべきではないという言葉を期待していたのかもしれない。
しかし、ミカヤの答えは、アハブと共に進軍すればよろしい、というものであった。
これに対し、ユダの王ヨシャファトは、ミカヤが偽りの預言をして自分たちを陥れようとしているとミカヤを批判するのだが、ヨシャファトとしては、イスラエルと共闘してアラムに進軍することを望んでいたに違いないのだから、そこはクレームを言う場面ではないはずである。
つまりヨシャファト自身も、イスラエルと共闘してアラムに進軍しても、良い結果にはならないことをうすうす感じていたということなのだろう。
ではなぜヨシャファトはこのような態度を取ったかと言うと、ミカヤの言葉にとげがあったからであり「あなたたちが望むとおりアラムに進軍して敗北すればよろしい」といった意味で語られている事を理解したからである。
アラムに進軍するということだけを取れば、ミカヤの言葉はヨシャファトにとっても好ましいものであったかもしれない。
しかし、その後の結果はまるで逆の敗北、なのである。
人は誰も、自分の思う通りに事を運び、その結果、勝利というか、好ましい結果となることを望む。
おそらく、それしか考えないし、その通りにならないことは受け入れようとしない。
ヨシャファトの場合、アラムに進軍するという行為だけを見れば、御心に沿っているが、その後の敗北については受け入れない、つまり頑ななのだ。
もしヨシャファトが本当に神の御声に聞き従い、御心のみを受け入れようとしていたならば、ミカヤの語る本当の言葉、すなわち「アラムに進軍すべきではない」というメッセージに聞き従っていれば、悲惨な結果にはならなかったはずである。
世の中には、自分の思い通りにならないことや、受け入れがたく思えることも多々あるだろう。
けれど、なるようにしかならないこともあるし、自分の理想ばかりを頑なに追い求めていても、ますます悲惨な状態になるばかりである。
真の神が何を望まれ、何をなそうとしておられるのかということに、しっかりと目を留め、御声を聞き分け、御心の道に従っていきたいものである。