エレミヤ2章14~22節、詩篇80篇8~16節、コロサイ2章16~23節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

エレミヤ 2:14 イスラエルは奴隷なのか 家に生まれた僕であろうか。それなのに、どうして捕らわれの身になったのか。
2:15 若獅子が彼に向かってほえ うなり声をあげた。彼の地は荒れ地とされ 町々は焼き払われて 住む人もなくなった。
2:16 メンフィスとタフパンヘスの人々も あなたの頭をそり上げる。
2:17 あなたの神なる主が、旅路を導かれたとき あなたが主を捨てたので このことがあなたの身に及んだのではないか。
2:18 それなのに、今あなたはエジプトへ行って ナイルの水を飲もうとする。それは、一体どうしてか。また、アッシリアへ行って ユーフラテスの水を飲もうとする。それは、一体どうしてか。
2:19 あなたの犯した悪が、あなたを懲らしめ あなたの背信が、あなたを責めている。あなたが、わたしを畏れず あなたの神である主を捨てたことが いかに悪く、苦いことであるかを 味わい知るがよいと 万軍の主なる神は言われる。
2:20 あなたは久しい昔に軛を折り 手綱を振り切って 「わたしは仕えることはしない」と言った。あなたは高い丘の上 緑の木の下と見ればどこにでも 身を横たえて遊女となる。
2:21 わたしはあなたを、甘いぶどうを実らせる 確かな種として植えたのに どうして、わたしに背いて 悪い野ぶどうに変わり果てたのか。
2:22 たとえ灰汁で体を洗い 多くの石灰を使っても わたしの目には 罪があなたに染みついていると 主なる神は言われる。

詩篇 80:8 万軍の神よ、わたしたちを連れ帰り 御顔の光を輝かせ わたしたちをお救いください。
80:9 あなたはぶどうの木をエジプトから移し 多くの民を追い出して、これを植えられました。
80:10 そのために場所を整え、根付かせ この木は地に広がりました。
80:11 その陰は山々を覆い 枝は神々しい杉をも覆いました。
80:12 あなたは大枝を海にまで 若枝を大河にまで届かせられました。
80:13 なぜ、あなたはその石垣を破られたのですか。通りかかる人は皆、摘み取って行きます。
80:14 森の猪がこれを荒らし 野の獣が食い荒らしています。
80:15 万軍の神よ、立ち帰ってください。天から目を注いで御覧ください。このぶどうの木を顧みてください
80:16 あなたが右の御手で植えられた株を 御自分のために強くされた子を。

コロサイ 2:16 だから、あなたがたは食べ物や飲み物のこと、また、祭りや新月や安息日のことでだれにも批評されてはなりません。
2:17 これらは、やがて来るものの影にすぎず、実体はキリストにあります。
2:18 偽りの謙遜と天使礼拝にふける者から、不利な判断を下されてはなりません。こういう人々は、幻で見たことを頼りとし、肉の思いによって根拠もなく思い上がっているだけで、
2:19 頭であるキリストにしっかりと付いていないのです。この頭の働きにより、体全体は、節と節、筋と筋とによって支えられ、結び合わされ、神に育てられて成長してゆくのです。
2:20 あなたがたは、キリストと共に死んで、世を支配する諸霊とは何の関係もないのなら、なぜ、まだ世に属しているかのように生き、
2:21 「手をつけるな。味わうな。触れるな」などという戒律に縛られているのですか。
2:22 これらはみな、使えば無くなってしまうもの、人の規則や教えによるものです。
2:23 これらは、独り善がりの礼拝、偽りの謙遜、体の苦行を伴っていて、知恵のあることのように見えますが、実は何の価値もなく、肉の欲望を満足させるだけなのです。


神(偶像)に捧げられた食べ物を食べればご利益がある、というわけではないし、そうではない食べ物と何ら変わりはないし、祭壇などに奉納されている分、かえって新鮮ではなくなっているかもしれない。
あるいは、宗教的な捉え方以外でも、世には、これは体に良いから食べるべきとか、体に良くないから食べてはいけないといった情報がまことしやかに言い広められ、真偽は不明ながら、多くの人たちがそういった情報に翻弄されている。
真偽が確かではない情報を信頼するのも、一種の宗教のようなものと言えるだろう。
世の中には、あたかもこれが真実であるかのような様々な情報が氾濫しているが、裏では何がしかの利害関係や悪知恵が働いていたりするものも多く、真実を見極める目を養って行かなければならない。
陰謀論といったものも時おり耳にするが、人は自分に都合の良い情報や、耳障りの良い言葉を受け入れるものである。
しかし、真実はやがて明らかにされるだろうし、本当に確かなことには、人間の利害関係とは別の次元で示されていく。
イエス様の十字架の贖いの御業がそう。
利害関係だけで考えるなら、わざわざ神の御子イエス様ご自身が愚かな罪人を救うために御自分の命を捨てることなど、ある意味、考えられないことであるし、人には理解しがたいことであろう。
しかし、それが人間には理解しがたい御業であるからこそ、救いの御業は真実なのだと言える。
神が私たちを愛し、救いの御業を実現されたという、真実な聖書の御言葉に信頼し、ブレることなく、信仰の道を歩んでいきたいものである。