エゼキエル 18:19 それなのにお前たちは、『なぜ、子は父の罪を負わないのか』と言う。しかし、その子は正義と恵みの業を行い、わたしの掟をことごとく守り、行ったのだから、必ず生きる。
18:20 罪を犯した本人が死ぬのであって、子は父の罪を負わず、父もまた子の罪を負うことはない。正しい人の正しさはその人だけのものであり、悪人の悪もその人だけのものである。
18:21 悪人であっても、もし犯したすべての過ちから離れて、わたしの掟をことごとく守り、正義と恵みの業を行うなら、必ず生きる。死ぬことはない。
18:22 彼の行ったすべての背きは思い起こされることなく、行った正義のゆえに生きる。
18:23 わたしは悪人の死を喜ぶだろうか、と主なる神は言われる。彼がその道から立ち帰ることによって、生きることを喜ばないだろうか。
18:24 しかし、正しい人でも、その正しさから離れて不正を行い、悪人がするようなすべての忌まわしい事を行うなら、彼は生きることができようか。彼の行ったすべての正義は思い起こされることなく、彼の背信の行為と犯した過ちのゆえに彼は死ぬ。
詩篇 25:1 ダビデの詩。 主よ、わたしの魂はあなたを仰ぎ望み
25:2 わたしの神よ、あなたに依り頼みます。どうか、わたしが恥を受けることのないように 敵が誇ることのないようにしてください。
25:3 あなたに望みをおく者はだれも 決して恥を受けることはありません。いたずらに人を欺く者が恥を受けるのです。
25:4 主よ、あなたの道をわたしに示し あなたに従う道を教えてください。
25:5 あなたのまことにわたしを導いてください。教えてください あなたはわたしを救ってくださる神。絶えることなくあなたに望みをおいています。
25:6 主よ思い起こしてください あなたのとこしえの憐れみと慈しみを。
25:7 わたしの若いときの罪と背きは思い起こさず 慈しみ深く、御恵みのために 主よ、わたしを御心に留めてください。
25:8 主は恵み深く正しくいまし 罪人に道を示してくださいます。
25:9 裁きをして貧しい人を導き 主の道を貧しい人に教えてくださいます。
マルコ 11:27 一行はまたエルサレムに来た。イエスが神殿の境内を歩いておられると、祭司長、律法学者、長老たちがやって来て、
11:28 言った。「何の権威で、このようなことをしているのか。だれが、そうする権威を与えたのか。」
11:29 イエスは言われた。「では、一つ尋ねるから、それに答えなさい。そうしたら、何の権威でこのようなことをするのか、あなたたちに言おう。
11:30 ヨハネの洗礼は天からのものだったか、それとも、人からのものだったか。答えなさい。」
11:31 彼らは論じ合った。「『天からのものだ』と言えば、『では、なぜヨハネを信じなかったのか』と言うだろう。
11:32 しかし、『人からのものだ』と言えば……。」彼らは群衆が怖かった。皆が、ヨハネは本当に預言者だと思っていたからである。
11:33 そこで、彼らはイエスに、「分からない」と答えた。すると、イエスは言われた。「それなら、何の権威でこのようなことをするのか、わたしも言うまい。」
本日のエゼキエル書の箇所には、昨日の日課の箇所に引き続き、罪の責任は、その罪を行った本人が負う事になるといったことが語られているが、それに加えて、たとえ悪人であったとしても、悔い改めて生きようとするなら生かされるし、逆にどんなに正しい人であっても、ひるがえって悪に手を染めていくならば、その人は滅ぼされるであろうことが語られている。
つまり、生きているのか、死んでいるかの違いは、その人が「今」どう生きているかということが重要であるということであろう。
たとえどんな過去を生きてきたとしても、過去の生き方を悔い改めて生きようとするなら、その人は生きるし、神に背いて生きようとするなら、その人は死ぬ、ということであり、神の救いの約束というのは、現在進行形の今をどう生きるかが常に問われているということであろう。
確かそのほうが「生きる」という言葉に対して的確に表しているように思えるし、生きるということは、人が創られた方の意思に沿って生きようとする行為であり、本来の人間の姿こそが「生きる」ということなのであろう。
そこで己を振り返ってみる。
わたしは「生きている」だろうか。
健康的に生きているかとか、生き生きとした人生を歩んでいるかといったことではなく、神の御前に安心して立てているだろうか、そのために必要なことは、私のために十字架で死んで下さったイエス様を持っていること、自分の中にイエス様が住んでいて下されば、私は生きるものと言える。
そもそも、私が持っている健康も生命力も、意思も気力も、みんな神から与えられたものではないか。
神に感謝しながら、与えられた人生を平安のうちに喜んで生きていきたいものである。