イザヤ41章1~13節、詩篇106篇1~12節、マタイ18章1~5節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

イザヤ 41:1 島々よ、わたしのもとに来て静まれ。国々の民よ、力を新たにせよ。進み出て語れ。互いに近づいて裁きを行おう。
41:2 東からふさわしい人を奮い立たせ、足もとに招き 国々を彼に渡して、王たちを従わせたのは誰か。この人の剣は彼らを塵のように 弓は彼らをわらのように散らす。
41:3 彼は敵を追い、安全に道を進み 彼の足をとどめるものはない。
41:4 この事を起こし、成し遂げたのは誰か。それは、主なるわたし。初めから代々の人を呼び出すもの 初めであり、後の代と共にいるもの。
41:5 島々は畏れをもって仰ぎ 地の果てはおののき、共に近づいて来る。
41:6 彼らは助け合い、互いに励ましの声をかける。
41:7 職人は金工を励まし 大鎚を振るう者は小鎚を使う者を励ます。ひとりが据え付けて、良しと言うと ひとりは釘を打って動かないようにする。
41:8 わたしの僕イスラエルよ。わたしの選んだヤコブよ。わたしの愛する友アブラハムの末よ。
41:9 わたしはあなたを固くとらえ 地の果て、その隅々から呼び出して言った。あなたはわたしの僕 わたしはあなたを選び、決して見捨てない。
41:10 恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。たじろぐな、わたしはあなたの神。勢いを与えてあなたを助け わたしの救いの右の手であなたを支える。
41:11 見よ、あなたに対して怒りを燃やす者は皆 恥を受け、辱められ 争う者は滅ぼされ、無に等しくなる。
41:12 争いを仕掛ける者は捜しても見いだせず 戦いを挑む者は無に帰し、むなしくなる。
41:13 わたしは主、あなたの神。あなたの右の手を固く取って言う 恐れるな、わたしはあなたを助ける、と。

詩篇 106:1 ハレルヤ。恵み深い主に感謝せよ、慈しみはとこしえに。
106:2 主の力強い御業を言葉に表し 主への賛美をことごとく告げうる者があろうか。
106:3 いかに幸いなことか、裁きを守り どのような時にも恵みの業を果たす人は。
106:4 主よ、あなたが民を喜び迎えられるとき わたしに御心を留めてください。御救いによってわたしに報いてください。
106:5 あなたの選ばれた民に対する恵みを見 あなたの国が喜び祝うとき共に喜び祝い あなたの嗣業の民と共に 誇ることができるようにしてください。
106:6 わたしたちは先祖と同じく罪を犯し 不正を行い、主に逆らった。
106:7 わたしたちの先祖は、エジプトで 驚くべき御業に目覚めず 豊かな慈しみに心を留めず 海辺で、葦の海のほとりで反抗した。
106:8 主は、御名のために彼らを救い 力強い御業を示された。
106:9 葦の海は主に叱咤されて干上がり 彼らは荒れ野を行くように深い淵を通った。
106:10 主は憎む者の手から彼らを救い 敵の手から贖われた。
106:11 彼らを苦しめた者はすべて水に覆われ 生き残る者はひとりもなかった。
106:12 彼らは御言葉を信じ 賛美の歌をうたった。

マタイ 18:1 そのとき、弟子たちがイエスのところに来て、「いったいだれが、天の国でいちばん偉いのでしょうか」と言った。
18:2 そこで、イエスは一人の子供を呼び寄せ、彼らの中に立たせて、
18:3 言われた。「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。
18:4 自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。
18:5 わたしの名のためにこのような一人の子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。」



人が十人いれば、考え方も物事の捉え方もみな違ってくる。
十人十色とはよく言ったもので、みなが違う。
しかし、誰もが自分の考えは間違っていないし、自分は正しいと思い、自分とは違う考えの人たちを批判したり、時に攻撃したりもする。
そこにどれほどの正しさの根拠があったとしても、他の人が違う感じ方をしているという現実があったとしても、人の世には反発や争いが絶えない。
主なる神様は、こんな人の世を、どうご覧になっておられるだろう。
私なら、みながバラバラで身勝手過ぎる行動ばかりしているのをみて、あきれ果て、何もかも見捨ててしまうかもしれない。
しかし、主なる神様は愛のお方である。
人を見捨てることなく、それぞれ考え方も行動もバラバラな人間を愛し、救おうとされ、人間の罪の償いのために御子イエス様の命を捧げられた。
その上で、一人一人の存在を生かし、用いようとなさるのである。
考え方も捉え方も違う私たちであるが、主にあって罪赦され、救われた者として、何を、どう一致して歩んで行けばよいのか。
意見が違っても、お互いを受け入れていくを探っていくのは難しいことかもしれないけれど、イエス様が一人一人の存在を愛し、赦し、生かそうとしていることは忘れないでいたいものである。