創世記41章53節~42章17節、詩篇103篇8~13節、使徒7章9~16節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

創世記 41:53 エジプトの国に七年間の大豊作が終わると、
41:54 ヨセフが言ったとおり、七年の飢饉が始まった。その飢饉はすべての国々を襲ったが、エジプトには、全国どこにでも食物があった。
41:55 やがて、エジプト全国にも飢饉が広がり、民がファラオに食物を叫び求めた。ファラオはすべてのエジプト人に、「ヨセフのもとに行って、ヨセフの言うとおりにせよ」と命じた。
41:56 飢饉は世界各地に及んだ。ヨセフはすべての穀倉を開いてエジプト人に穀物を売ったが、エジプトの国の飢饉は激しくなっていった。
41:57 また、世界各地の人々も、穀物を買いにエジプトのヨセフのもとにやって来るようになった。世界各地の飢饉も激しくなったからである。
42:1 ヤコブは、エジプトに穀物があると知って、息子たちに、「どうしてお前たちは顔を見合わせてばかりいるのだ」と言い、更に、
42:2 「聞くところでは、エジプトには穀物があるというではないか。エジプトへ下って行って穀物を買ってきなさい。そうすれば、我々は死なずに生き延びることができるではないか」と言った。
42:3 そこでヨセフの十人の兄たちは、エジプトから穀物を買うために下って行った。
42:4 ヤコブはヨセフの弟ベニヤミンを兄たちに同行させなかった。何か不幸なことが彼の身に起こるといけないと思ったからであった。
42:5 イスラエルの息子たちは、他の人々に混じって穀物を買いに出かけた。カナン地方にも飢饉が襲っていたからである。
42:6 ところで、ヨセフはエジプトの司政者として、国民に穀物を販売する監督をしていた。ヨセフの兄たちは来て、地面にひれ伏し、ヨセフを拝した。
42:7 ヨセフは一目で兄たちだと気づいたが、そしらぬ振りをして厳しい口調で、「お前たちは、どこからやって来たのか」と問いかけた。彼らは答えた。「食糧を買うために、カナン地方からやって参りました。」
42:8 ヨセフは兄たちだと気づいていたが、兄たちはヨセフとは気づかなかった。
42:9 ヨセフは、そのとき、かつて兄たちについて見た夢を思い起こした。ヨセフは彼らに言った。「お前たちは回し者だ。この国の手薄な所を探りに来たにちがいない。」
42:10 彼らは答えた。「いいえ、御主君様。僕どもは食糧を買いに来ただけでございます。
42:11 わたしどもは皆、ある男の息子で、正直な人間でございます。僕どもは決して回し者などではありません。」
42:12 しかしヨセフが、「いや、お前たちはこの国の手薄な所を探りに来たにちがいない」と言うと、
42:13 彼らは答えた。「僕どもは、本当に十二人兄弟で、カナン地方に住むある男の息子たちでございます。末の弟は、今、父のもとにおりますが、もう一人は失いました。」
42:14 すると、ヨセフは言った。「お前たちは回し者だとわたしが言ったのは、そのことだ。
42:15 その点について、お前たちを試すことにする。ファラオの命にかけて言う。いちばん末の弟を、ここに来させよ。それまでは、お前たちをここから出すわけにはいかぬ。
42:16 お前たちのうち、だれか一人を行かせて、弟を連れて来い。それまでは、お前たちを監禁し、お前たちの言うことが本当かどうか試す。もしそのとおりでなかったら、ファラオの命にかけて言う。お前たちは間違いなく回し者だ。」
42:17 ヨセフは、こうして彼らを三日間、牢獄に監禁しておいた。

詩篇 103:8 主は憐れみ深く、恵みに富み 忍耐強く、慈しみは大きい。
103:9 永久に責めることはなく とこしえに怒り続けられることはない。
103:10 主はわたしたちを 罪に応じてあしらわれることなく わたしたちの悪に従って報いられることもない。
103:11 天が地を超えて高いように 慈しみは主を畏れる人を超えて大きい。
103:12 東が西から遠い程 わたしたちの背きの罪を遠ざけてくださる。
103:13 父がその子を憐れむように 主は主を畏れる人を憐れんでくださる。

使徒 7:9 この族長たちはヨセフをねたんで、エジプトへ売ってしまいました。しかし、神はヨセフを離れず、
7:10 あらゆる苦難から助け出して、エジプト王ファラオのもとで恵みと知恵をお授けになりました。そしてファラオは、彼をエジプトと王の家全体とをつかさどる大臣に任命したのです。
7:11 ところが、エジプトとカナンの全土に飢饉が起こり、大きな苦難が襲い、わたしたちの先祖は食糧を手に入れることができなくなりました。
7:12 ヤコブはエジプトに穀物があると聞いて、まずわたしたちの先祖をそこへ行かせました。
7:13 二度目のとき、ヨセフは兄弟たちに自分の身の上を明かし、ファラオもヨセフの一族のことを知りました。
7:14 そこで、ヨセフは人を遣わして、父ヤコブと七十五人の親族一同を呼び寄せました。
7:15 ヤコブはエジプトに下って行き、やがて彼もわたしたちの先祖も死んで、
7:16 シケムに移され、かつてアブラハムがシケムでハモルの子らから、幾らかの金で買っておいた墓に葬られました。



ヨセフの兄たちがエジプトにいるヨセフのもとを訪れた時、まだ彼らはエジプトの大臣が自分たちの弟のヨセフであるということは知らなかった。
はじめて会う人であり、失礼があってはならないし、なんとか好意的に接してもらおうと気を遣っていたはずである。
しかし、彼らが自分たちのことを「正直ものである」と言った時、ヨセフはどう思っただろうか。
私なら「どの口が言うか!」とすぐに怒りを爆発させてしまいそうに思うが、ヨセフは冷徹に彼らと対峙している。
おそらく、ヨセフの心中は複雑であったことと思うが、血を分けた兄弟や親族が困っているのだし、根は優しいヨセフの事である故、すぐにでも助けてあげたいという気持ちもあったのだろう。
ヨセフの心境は、罪深い私たちを前にした神様の姿にも似ているのだろう。
可愛い子たちを助けてあげたいし、赦してもあげたい。
けれど、何の反省も悔い改めもないまま、無罪放免というのでは、赦された者たちにとっても幸いなことではない。
どれだけの悪事を行い、それをどれだけの犠牲を払って赦してもらったのかといったことを知る時に、神の愛の素晴らしさも見えてくるということであろう。
「自分たちは正直ものです」などと、どの口が言えるだろう。
真実を全てお見通しの神の御前で、どんな偽りを述べたり、自分を良いものや大きなものに見せようとする必要など、どこにあるというのだろう。
せめて、神の御前では、見栄を張ることはしないようにしたいものである。
己の罪深さ、醜さも全て明け渡し、その上で、そのためにイエス様が十字架で死んで下さり、赦して頂いた者として感謝して生きよう。