イザヤ28章14~22節、詩篇18篇2~4,21~33節、マタイ26章6~13節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

イザヤ 28:14 嘲る者らよ、主の言葉を聞け エルサレムでこの民を治める者らよ。
28:15 お前たちは言った。「我々は死と契約を結び、陰府と協定している。洪水がみなぎり溢れても、我々には及ばない。我々は欺きを避け所とし、偽りを隠れがとする。」
28:16 それゆえ、主なる神はこう言われる。「わたしは一つの石をシオンに据える。これは試みを経た石 堅く据えられた礎の、貴い隅の石だ。信ずる者は慌てることはない。
28:17 わたしは正義を測り縄とし 恵みの業を分銅とする。雹は欺きという避け所を滅ぼし 水は隠れがを押し流す。
28:18 お前たちが死と結んだ契約は取り消され 陰府と定めた協定は実行されない。洪水がみなぎり、溢れるとき お前たちは、それに踏みにじられる。」
28:19 洪水は溢れる度にお前たちを捕らえる。それは朝ごとに溢れ、昼も夜も溢れる。この御告げを説き明かせば ただ恐怖でしかない。
28:20 寝床は短くて身を伸ばすことができず 覆いは狭くて身を覆うことができない。
28:21 主はペラツィム山のときのように立ち上がり ギブオンの谷のときのように憤られる。それは御業を果たされるため。しかし、その御業は未知のもの。また、働きをされるため。しかし、その働きは敵意あるもの。
28:22 今、嘲ることをやめなければ お前たちの縄目は厳しくなる。わたしは定められた滅びについて聞いた。それは万軍の主なる神から出て国全体に及ぶ。

詩篇 18:2 主よ、わたしの力よ、わたしはあなたを慕う。
18:3 主はわたしの岩、砦、逃れ場 わたしの神、大岩、避けどころ わたしの盾、救いの角、砦の塔。
18:4 ほむべき方、主をわたしは呼び求め 敵から救われる。
18:21 主はわたしの正しさに報いてくださる。わたしの手の清さに応じて返してくださる。
18:22 わたしは主の道を守り わたしの神に背かない。
18:23 わたしは主の裁きをすべて前に置き 主の掟を遠ざけない。
18:24 わたしは主に対して無垢であろうとし 罪から身を守る。
18:25 主はわたしの正しさに応じて返してくださる。御目に対してわたしの手は清い。
18:26 あなたの慈しみに生きる人に あなたは慈しみを示し 無垢な人には無垢に
18:27 清い人には清くふるまい 心の曲がった者には背を向けられる。
18:28 あなたは貧しい民を救い上げ 高ぶる目を引き下ろされる。
18:29 主よ、あなたはわたしの灯を輝かし 神よ、あなたはわたしの闇を照らしてくださる。
18:30 あなたによって、わたしは敵軍を追い散らし わたしの神によって、城壁を越える。
18:31 神の道は完全 主の仰せは火で練り清められている。すべて御もとに身を寄せる人に 主は盾となってくださる。
18:32 主のほかに神はない。神のほかに我らの岩はない。
18:33 神はわたしに力を帯びさせ わたしの道を完全にし

マタイ 26:6 さて、イエスがベタニアで重い皮膚病の人シモンの家におられたとき、
26:7 一人の女が、極めて高価な香油の入った石膏の壺を持って近寄り、食事の席に着いておられるイエスの頭に香油を注ぎかけた。
26:8 弟子たちはこれを見て、憤慨して言った。「なぜ、こんな無駄遣いをするのか。
26:9 高く売って、貧しい人々に施すことができたのに。」
26:10 イエスはこれを知って言われた。「なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ。
26:11 貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。
26:12 この人はわたしの体に香油を注いで、わたしを葬る準備をしてくれた。
26:13 はっきり言っておく。世界中どこでも、この福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。」


イエス様の足に、ある女性が高価な香油を塗ったことに対し、弟子たちは憤慨し「なぜこんな無駄使いをするのか。高く売って、貧しい人々に施すことができたのに」と言ったことが記されている。
この出来事が行われた場所は、重い皮膚病を患うシモンの家であったとも記されている。
おそらく、周囲の人たちから距離を置かれ、まともな仕事にもつけず、治療費ばかりかかってしまい、普通の生活すら困難な状況であったに違いない。
しかし、周囲の人たちは、本当に高価な香油を高く売って貧しい人たちに施していたのだろうか。
おそらく、口先ばかりで、何もしていなかっただろう。
何もしていなどころか、彼らを避け、いじめや迫害をしているようなものであことであろう。
人間とはそういうものである。
しかし、イエス様は違った。
思い皮膚病を患い、誰もが離れて行ってしまうような病と困窮の中に苦しむシモンの家に入られた。
そして、そこに、同じように周囲の人たちから疎外されていたであろう女性から香油を注がれたのである。
イエス様は、友なき人の友となり、共に生きようとされたのである。
普通の人にはなかなかできる事ではないけれども、それが真の愛のお方の生き様ということなのだろう。
この出来事を読み、はたして自分はどうであろうかと考えてみる。
自分もイエス様のようにできるだろうか、あるいは、この女性のように行動できるだろうか。
しかし、その考察は根本から間違えているのかもしれない。
私もシモンのように、病や困窮に苦しみ、周囲からも阻害され、生きることに苦しさを覚えている一人の人間であり、そんな私にもイエス様は寄り添って下さり、救って下さるのだ。
ありがたいことである。