イザヤ44章9~17節、詩篇86篇11~17節、ヘブル6章13~20節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

イザヤ 44:9 偶像を形づくる者は皆、無力で 彼らが慕うものも役に立たない。彼ら自身が証人だ。見ることも、知ることもなく、恥を受ける。
44:10 無力な神を造り 役に立たない偶像を鋳る者はすべて
44:11 その仲間と共に恥を受ける。職人も皆、人間にすぎず 皆集まって立ち、恐れ、恥を受ける。
44:12 鉄工は金槌と炭火を使って仕事をする。槌でたたいて形を造り、強い腕を振るって働くが 飢えれば力も減り、水を飲まなければ疲れる。
44:13 木工は寸法を計り、石筆で図を描き のみで削り、コンパスで図を描き 人の形に似せ、人間の美しさに似せて作り 神殿に置く。
44:14 彼は林の中で力を尽くし 樅を切り、柏や樫の木を選び また、樅の木を植え、雨が育てるのを待つ。
44:15 木は薪になるもの。人はその一部を取って体を温め 一部を燃やしてパンを焼き その木で神を造ってそれにひれ伏し 木像に仕立ててそれを拝むのか。
44:16 また、木材の半分を燃やして火にし 肉を食べようとしてその半分の上であぶり 食べ飽きて身が温まると 「ああ、温かい、炎が見える」などと言う。
44:17 残りの木で神を、自分のための偶像を造り ひれ伏して拝み、祈って言う。「お救いください、あなたはわたしの神」と。

詩篇 86:11 主よ、あなたの道をお教えください。わたしはあなたのまことの中を歩みます。御名を畏れ敬うことができるように 一筋の心をわたしにお与えください。
86:12 主よ、わたしの神よ 心を尽くしてあなたに感謝をささげ とこしえに御名を尊びます。
86:13 あなたの慈しみはわたしを超えて大きく 深い陰府から わたしの魂を救い出してくださいます。
86:14 神よ、傲慢な者がわたしに逆らって立ち 暴虐な者の一党がわたしの命を求めています。彼らはあなたを自分たちの前に置いていません。
86:15 主よ、あなたは情け深い神 憐れみに富み、忍耐強く 慈しみとまことに満ちておられる。
86:16 わたしに御顔を向け、憐れんでください。御力をあなたの僕に分け与え あなたのはしための子をお救いください。
86:17 良いしるしをわたしに現してください。それを見て わたしを憎む者は恥に落とされるでしょう。主よ、あなたは必ずわたしを助け 力づけてくださいます。

ヘブル 6:13 神は、アブラハムに約束をする際に、御自身より偉大な者にかけて誓えなかったので、御自身にかけて誓い、
6:14 「わたしは必ずあなたを祝福し、あなたの子孫を大いに増やす」と言われました。
6:15 こうして、アブラハムは根気よく待って、約束のものを得たのです。
6:16 そもそも人間は、自分より偉大な者にかけて誓うのであって、その誓いはあらゆる反対論にけりをつける保証となります。
6:17 神は約束されたものを受け継ぐ人々に、御自分の計画が変わらないものであることを、いっそうはっきり示したいと考え、それを誓いによって保証なさったのです。
6:18 それは、目指す希望を持ち続けようとして世を逃れて来たわたしたちが、二つの不変の事柄によって力強く励まされるためです。この事柄に関して、神が偽ることはありえません。
6:19 わたしたちが持っているこの希望は、魂にとって頼りになる、安定した錨のようなものであり、また、至聖所の垂れ幕の内側に入って行くものなのです。
6:20 イエスは、わたしたちのために先駆者としてそこへ入って行き、永遠にメルキゼデクと同じような大祭司となられたのです。


誓いを立てる時には、仮に誓いを破ってしまったら、非常に高価で価値あるものを差し出しても構わないといった約束を伴う事が多い。
そうでなければ、その誓いは価値のないものとなり、軽い犠牲しかない約束は、いつでも反故にできてしまうからであろう。
だから、真実な神は、私たちを愛し、救おうとされる約束が真実なものとなるために、御自分の御子イエス様の命を差し出された。
これほどに真実な約束はない。
私たちは、このような真実な神の愛を受けているのだから、できるだけ真実に応えていきたい。
私たちの持てる最大の価値あるものと言えば、自分自身の命くらいであるが、神は御自分の命を犠牲にしてまで私たちの命を救おうとされたのだから、私たちが命を差し出すことは好ましい応えではない。
ならば、せめて、私たちの生きる人生を神のものとして、神の御心に沿った生き方をしていくことが適切な応えと言える。
仮に、神の御心に従って生きていきますと誓いを立てたとしても、人間にはそれを成し遂げる力がなかったとしても、そのためにもイエス様の命の犠牲が支払われていることを覚えたい。
イエス様と共に生きることを誓った誓いにも、イエス様の命が支払われているのなら、安心して従って行くことができよう。
御心に従った人生を、できれば幸い、できなくても赦されている。
なんと幸いなことであろう。
私たちの救いの事実は、神ご自身の効果で尊い命の代価によって完全に保証されているのだから。