箴言3章13~18節、詩篇102篇2~18節、ヨハネ8章31~38節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

箴言 3:13 いかに幸いなことか 知恵に到達した人、英知を獲得した人は。
3:14 知恵によって得るものは 銀によって得るものにまさり 彼女によって収穫するものは金にまさる。
3:15 真珠よりも貴く どのような財宝も比べることはできない。
3:16 右の手には長寿を 左の手には富と名誉を持っている。
3:17 彼女の道は喜ばしく 平和のうちにたどって行くことができる。
3:18 彼女をとらえる人には、命の木となり 保つ人は幸いを得る。

詩篇 102:2 主よ、わたしの祈りを聞いてください。この叫びがあなたに届きますように。
102:3 苦難がわたしを襲う日に 御顔を隠すことなく、御耳を向け あなたを呼ぶとき、急いで答えてください。
102:4 わたしの生涯は煙となって消え去る。骨は炉のように焼ける。
102:5 打ちひしがれた心は、草のように乾く。わたしはパンを食べることすら忘れた。
102:6 わたしは呻き 骨は肉にすがりつき
102:7 荒れ野のみみずく 廃虚のふくろうのようになった。
102:8 屋根の上にひとりいる鳥のように わたしは目覚めている。
102:9 敵は絶えることなくわたしを辱め 嘲る者はわたしによって誓う。
102:10 わたしはパンに代えて灰を食べ 飲み物には涙を混ぜた。
102:11 あなたは怒り、憤り わたしを持ち上げて投げ出された。
102:12 わたしの生涯は移ろう影 草のように枯れて行く。
102:13 主よ あなたはとこしえの王座についておられます。御名は代々にわたって唱えられます。
102:14 どうか、立ち上がって シオンを憐れんでください。恵みのとき、定められたときが来ました。
102:15 あなたの僕らは、シオンの石をどれほど望み 塵をすら、どれほど慕うことでしょう。
102:16 国々は主の御名を恐れ 地上の王は皆、その栄光におののくでしょう。
102:17 主はまことにシオンを再建し 栄光のうちに顕現されます。
102:18 主はすべてを喪失した者の祈りを顧み その祈りを侮られませんでした。

ヨハネ 8:31 イエスは、御自分を信じたユダヤ人たちに言われた。「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。
8:32 あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」
8:33 すると、彼らは言った。「わたしたちはアブラハムの子孫です。今までだれかの奴隷になったことはありません。『あなたたちは自由になる』とどうして言われるのですか。」
8:34 イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。罪を犯す者はだれでも罪の奴隷である。
8:35 奴隷は家にいつまでもいるわけにはいかないが、子はいつまでもいる。
8:36 だから、もし子があなたたちを自由にすれば、あなたたちは本当に自由になる。
8:37 あなたたちがアブラハムの子孫だということは、分かっている。だが、あなたたちはわたしを殺そうとしている。わたしの言葉を受け入れないからである。
8:38 わたしは父のもとで見たことを話している。ところが、あなたたちは父から聞いたことを行っている。」


昨日のニュースで、高校生を含む青年たちが、白昼堂々と銀座の高級時計店を襲撃したといったことが報じられていた。
まだ10代という若さで、お金欲しさのあまり、あまりに短絡的な行動をとっていることや、自分たちの行動の結果、その後、自分たちがどうなってしまうのかといったことに想像力が働かない現実などを思う時、なんとも愚かで嘆かわしいニュースである。
しかし、多くの人が程度の差こそあれ、同じようなことをしているのではないだろうか。
富であったり、地位や名声、様々なものに人は心を囚われ、それらに支配され、不自由になってしまっている。
自由とは、有り余るほどのお金を所有し、何でも好きなことができる状態を言うのではなく、むしろそういった状態は、お金や欲望の虜になっているだけで、本当の自由ではない。
本当に自由であるのなら、なにものにも囚われず、縛られず、凝り固まった考え方に固執する必要もない。
心身共に解き放たれていてこそ、本当の自由である。
特に、罪の奴隷のような状態から解放されること、イエス様はそのために私の身代わりとなって、罪の虜になった者の受ける末路を引き取って下さった。
だから、イエス様が私のために身代わりとなって十字架で死んで下さったことを信じるならば、私はそこから解放されている。

ちなみに、年齢のせいかもしれないが、歳をかさねていくと、若い頃に比べて、様々な欲求や物欲などが少なくなってきたように思う。
無いなら無いで何ともないし、どうしてもやってみたいということも無くなった。
枯れた?のかもしれないが、信仰者的には、解放されたと捉えたい。
いろいろなことにこだわりを持ち続けることは素晴らしいことだと思うけれど、それによって他者に迷惑をかけるくらいなら、こだわりは捨てても良い。
互いに認め合い、赦し合い、愛し合い、仕え合う、そんな世の中になって行けばと心から願う。