サムエル上15章32~34節、詩篇23篇、ヨハネ1章1~9節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

サムエル上 15:32 サムエルは命じた。「アマレクの王アガグを、わたしのもとに連れて来なさい。」アガグは、喜んで彼のもとに出て来た。これで死の苦しみは免れる、と思ったからである。
15:33 しかし、サムエルは言った。「お前の剣は女たちから子供を奪った。そのようにお前の母も子を奪われた女の一人となる。」こうしてサムエルは、ギルガルで主の御前にアガグを切り殺した。
15:34 サムエルはラマに行き、サウルはギブアの自分の家に向かった。

詩篇 23:1  賛歌。ダビデの詩。 主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。
23:2 主はわたしを青草の原に休ませ 憩いの水のほとりに伴い
23:3 魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく わたしを正しい道に導かれる。
23:4 死の陰の谷を行くときも わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖 それがわたしを力づける。
23:5 わたしを苦しめる者を前にしても あなたはわたしに食卓を整えてくださる。わたしの頭に香油を注ぎ わたしの杯を溢れさせてくださる。
23:6 命のある限り 恵みと慈しみはいつもわたしを追う。主の家にわたしは帰り 生涯、そこにとどまるであろう。

ヨハネ 1:1 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
1:2 この言は、初めに神と共にあった。
1:3 万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。
1:4 言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。
1:5 光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。
1:6 神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。
1:7 彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。
1:8 彼は光ではなく、光について証しをするために来た。
1:9 その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。


誰であれ、人の心の中には闇の部分がある。
自分を愛し、自分を守るためならば、平気で他人を疎んだり、時には殺してしまうことすら行ってしまう。
そして、それらの悪行を覆い隠そうとするため、さらに酷い悪行を積み重ねていく。
そこには、自分の悪が他人にバレてしまうのではないかといった恐れや、他者から批判されたり、裁かれたりすることに対する恐れがあるからであろう。
しかし、もし、自分の存在が丸ごと愛され、犯した罪の全ても赦されているとの約束を頂いたなら、どんなに平安な気持ちでいられるだろう。
さらに、そのような平安な状態である時、人はさらに多くの罪を積み重ねていく必要はない。
神の救いの約束という光に照らされて、はじめて人はその本来の人間らしい生き方ができるのだろう。
イエス様はそのために人としてこの世に来られ、私たちの救いの約束を実現するため、十字架で死に、よみがえられた。
私たちの人生が、闇に包まれたまま不安と恐れに悩まされ続けるようなものではなく、神の救いの約束の言葉と共に、救い主イエス様と共に幸いなものとなるように、これからも祈り続けていきたい。