創世記26章1~5節、詩篇119篇1~8節、ヤコブ1章12~16節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

創世記 26:1 アブラハムの時代にあった飢饉とは別に、この地方にまた飢饉があったので、イサクはゲラルにいるペリシテ人の王アビメレクのところへ行った。
26:2 そのとき、主がイサクに現れて言われた。「エジプトへ下って行ってはならない。わたしが命じる土地に滞在しなさい。
26:3 あなたがこの土地に寄留するならば、わたしはあなたと共にいてあなたを祝福し、これらの土地をすべてあなたとその子孫に与え、あなたの父アブラハムに誓ったわたしの誓いを成就する。
26:4 わたしはあなたの子孫を天の星のように増やし、これらの土地をすべてあなたの子孫に与える。地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。
26:5 アブラハムがわたしの声に聞き従い、わたしの戒めや命令、掟や教えを守ったからである。」

詩篇 119:1 いかに幸いなことでしょう まったき道を踏み、主の律法に歩む人は。
119:2 いかに幸いなことでしょう 主の定めを守り 心を尽くしてそれを尋ね求める人は。
119:3 彼らは決して不正を行わず 主の道を歩みます。
119:4 あなたは仰せになりました あなたの命令を固く守るように、と。
119:5 わたしの道が確かになることを願います あなたの掟を守るために。
119:6 そうなれば、あなたのどの戒めに照らしても 恥じ入ることがないでしょう。
119:7 あなたの正しい裁きを学び まっすぐな心であなたに感謝します。
119:8 あなたの掟を守ります。どうか、お見捨てにならないでください。

ヤコブ 1:12 試練を耐え忍ぶ人は幸いです。その人は適格者と認められ、神を愛する人々に約束された命の冠をいただくからです。
1:13 誘惑に遭うとき、だれも、「神に誘惑されている」と言ってはなりません。神は、悪の誘惑を受けるような方ではなく、また、御自分でも人を誘惑したりなさらないからです。
1:14 むしろ、人はそれぞれ、自分自身の欲望に引かれ、唆されて、誘惑に陥るのです。
1:15 そして、欲望ははらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます。
1:16 わたしの愛する兄弟たち、思い違いをしてはいけません。


人は様々な試練に出会う事がある。
試練の中にある時、人は自分の力ではどうにもならないことを悟り、神に助けを求め、救いを求めるようになる。
そういう意味では、試練が用いられる場合もあると言えるだろう。
しかし、誘惑は違う。
誘惑とは、罪を犯させるように招くものであり、周囲から誘惑を受けることはあっても、最終的に決断するのは自分であり、自分の欲深さゆえに悪いことであると知っていても、それを選び取ってしまうのである。
私たちの心はどこへ向かっているだろうか。
神に創られた者として、ただしく神のもとへと向かっているだろうか。
それとも、自分の欲に引きずられ、自分のことしか考えないような自己中心へと向かっていないだろうか。
自分の中に潜む心の声に聞き従っていったところで、そこに救いはあるだろうか。
私は御自分の命をも投げだして救いの御業を成し遂げて下さったイエス様のもとへ行こう。
イエス様のもとに立ち帰るならば、ここに救いがあるのだから。