申命記 16:18 あなたの神、主が部族ごとに与えられるすべての町に、裁判人と役人を置き、正しい裁きをもって民を裁かせなさい。
16:19 裁きを曲げず、偏り見ず、賄賂を受け取ってはならない。賄賂は賢い者の目をくらませ、正しい者の言い分をゆがめるからである。
16:20 ただ正しいことのみを追求しなさい。そうすれば命を得、あなたの神、主が与えられる土地を得ることができる。
詩篇 15:1 賛歌。ダビデの詩。 主よ、どのような人が、あなたの幕屋に宿り 聖なる山に住むことができるのでしょうか。
15:2 それは、完全な道を歩き、正しいことを行う人。心には真実の言葉があり
15:3 舌には中傷をもたない人。友に災いをもたらさず、親しい人を嘲らない人。
15:4 主の目にかなわないものは退け 主を畏れる人を尊び 悪事をしないとの誓いを守る人。
15:5 金を貸しても利息を取らず 賄賂を受けて無実の人を陥れたりしない人。これらのことを守る人は とこしえに揺らぐことがないでしょう。
1ペテロ 3:8 終わりに、皆心を一つに、同情し合い、兄弟を愛し、憐れみ深く、謙虚になりなさい。
3:9 悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いてはなりません。かえって祝福を祈りなさい。祝福を受け継ぐためにあなたがたは召されたのです。
3:10 「命を愛し、幸せな日々を過ごしたい人は、舌を制して、悪を言わず、唇を閉じて、偽りを語らず、
3:11 悪から遠ざかり、善を行い、平和を願って、これを追い求めよ。
3:12 主の目は正しい者に注がれ、主の耳は彼らの祈りに傾けられる。主の顔は悪事を働く者に対して向けられる。」
人はみな罪人である。
どんなに自分の目に正しいと思われることであっても、それだけが正義であると主張し、他者を罵ったり、陥れたりすることにつながるのなら、それはもはや正義ではない。
不正である。
何が正しいことであるか、神は全ての人を救うために、自らの命を捨てられるという、いわば「不正」をもって救いを実現して下さった。
この方がそのように生きられたのなら、イエス様を救い主として信じる私たちも、自分の義を主張してばかりではなく、時には自分が犠牲を支払ってでも、他者との平和を求め、そこに祝福が訪れるように生きていきたいものである。
全ての真実は神の前にあるのだから、そこを見失わないようにしたい。