士師6章11~24節、詩篇27編7~14節、エフェソ5章6~14節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

士師 6:11 さて、主の御使いが来て、オフラにあるテレビンの木の下に座った。これはアビエゼルの人ヨアシュのものであった。その子ギデオンは、ミディアン人に奪われるのを免れるため、酒ぶねの中で小麦を打っていた。
6:12 主の御使いは彼に現れて言った。「勇者よ、主はあなたと共におられます。」
6:13 ギデオンは彼に言った。「わたしの主よ、お願いします。主なる神がわたしたちと共においでになるのでしたら、なぜこのようなことがわたしたちにふりかかったのですか。先祖が、『主は、我々をエジプトから導き上られたではないか』と言って語り伝えた、驚くべき御業はすべてどうなってしまったのですか。今、主はわたしたちを見放し、ミディアン人の手に渡してしまわれました。」
6:14 主は彼の方を向いて言われた。「あなたのその力をもって行くがよい。あなたはイスラエルを、ミディアン人の手から救い出すことができる。わたしがあなたを遣わすのではないか。」
6:15 彼は言った。「わたしの主よ、お願いします。しかし、どうすればイスラエルを救うことができましょう。わたしの一族はマナセの中でも最も貧弱なものです。それにわたしは家族の中でいちばん年下の者です。」
6:16 主は彼に言われた。「わたしがあなたと共にいるから、あなたはミディアン人をあたかも一人の人を倒すように打ち倒すことができる。」
6:17 彼は言った。「もし御目にかないますなら、あなたがわたしにお告げになるのだというしるしを見せてください。
6:18 どうか、わたしが戻って来るまでここを離れないでください。供え物を持って来て、御前におささげしますから。」主は、「あなたが帰って来るまでここにいる」と言われた。
6:19 ギデオンは行って、子山羊一匹、麦粉一エファの酵母を入れないパンを調え、肉を籠に、肉汁を壺に入れ、テレビンの木の下にいる方に差し出した。
6:20 神の御使いは、「肉とパンを取ってこの岩の上に置き、肉汁を注ぎなさい」と言った。ギデオンはそのとおりにした。
6:21 主の御使いは、手にしていた杖の先を差し伸べ、肉とパンに触れた。すると、岩から火が燃え上がり、肉とパンを焼き尽くした。主の御使いは消えていた。
6:22 ギデオンは、この方が主の御使いであることを悟った。ギデオンは言った。「ああ、主なる神よ。わたしは、なんと顔と顔を合わせて主の御使いを見てしまいました。」
6:23 主は彼に言われた。「安心せよ。恐れるな。あなたが死ぬことはない。」
6:24 ギデオンはそこに主のための祭壇を築き、「平和の主」と名付けた。それは今日もなお、アビエゼルのオフラにあってそう呼ばれている。

詩篇 27:7 主よ、呼び求めるわたしの声を聞き 憐れんで、わたしに答えてください。
27:8 心よ、主はお前に言われる 「わたしの顔を尋ね求めよ」と。主よ、わたしは御顔を尋ね求めます。
27:9 御顔を隠すことなく、怒ることなく あなたの僕を退けないでください。あなたはわたしの助け。救いの神よ、わたしを離れないでください 見捨てないでください。
27:10 父母はわたしを見捨てようとも 主は必ず、わたしを引き寄せてくださいます。
27:11 主よ、あなたの道を示し 平らな道に導いてください。わたしを陥れようとする者がいるのです。
27:12 貪欲な敵にわたしを渡さないでください。偽りの証人、不法を言い広める者が わたしに逆らって立ちました。
27:13 わたしは信じます 命あるものの地で主の恵みを見ることを。
27:14 主を待ち望め 雄々しくあれ、心を強くせよ。主を待ち望め。

エフェソ 5:6 むなしい言葉に惑わされてはなりません。これらの行いのゆえに、神の怒りは不従順な者たちに下るのです。
5:7 だから、彼らの仲間に引き入れられないようにしなさい。
5:8 あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。
5:9 ――光から、あらゆる善意と正義と真実とが生じるのです。――
5:10 何が主に喜ばれるかを吟味しなさい。
5:11 実を結ばない暗闇の業に加わらないで、むしろ、それを明るみに出しなさい。
5:12 彼らがひそかに行っているのは、口にするのも恥ずかしいことなのです。
5:13 しかし、すべてのものは光にさらされて、明らかにされます。
5:14 明らかにされるものはみな、光となるのです。それで、こう言われています。「眠りについている者、起きよ。死者の中から立ち上がれ。そうすれば、キリストはあなたを照らされる。」


旧約聖書の中では勇者として知られているギデオンであるが、彼は最初、ミディアン人を恐れ、隠れるようにして酒ぶねの小麦を打っていた。
恐れもあるけれども、彼らにできる精一杯の防衛手段であって、それくらいのことしかできなかったということであろう。
もともと強かったわけでもないし、恐れも知らぬ勇者であったわけでもない。
むしろ、貧者な者であった。
そんなギデオンを主なる神様は「勇者よ」と呼びかけ、彼を召し、用いようとされたのである。
これから現わされる御業が全て神のみ手によるものであることを示すため、であろう。
私たちの救いも同様である。
私たちのうちに、何か一つでも褒められるようなものがあったわけでもなく、1ミリでも神の御心に適うようなところがあったからでもない。
ただただ、100%神様の憐れみによるものであることを聖書は語っている。
だから、「信仰により、恵みによって救われるのである」と語られている。
なまけようとして言っているのでもないし、言い訳しようとしているのでもない。
自分自身の本当の姿と真摯に向き合えば、おのずとそうなる、ということ。
私たちが絶望したところに、神の救いの御業は現わされるし、絶望しきっていて、もはや手遅れの状態になっていても、神の救いはそれとは関係なく確かであると言える、それがイエス様の十字架と復活の御業による救いの約束の素晴らしいところである。
イエス様は確かに死なれたし、完全によみにもくだられた。
それでも、復活された。
仮死状態とかでもなく、偽りでもなく、確かに死んで、復活されて、永遠の命をあらわされたのである。
だから、私がどれだけ貧弱な者であろうとも、神の救いが確かであるがゆえに、神は私のことも「勇者よ」と呼んでくださるのである。