サムエル上 9:27 町外れまで下って来ると、サムエルはサウルに言った。「従者に、我々より先に行くよう命じ、あなたはしばらくここにいてください。神の言葉をあなたにお聞かせします。」従者は先に行った。
10:1 サムエルは油の壺を取り、サウルの頭に油を注ぎ、彼に口づけして、言った。「主があなたに油を注ぎ、御自分の嗣業の民の指導者とされたのです。
10:2 今日、あなたがわたしのもとを去って行くと、ベニヤミン領のツェルツァにあるラケルの墓の脇で二人の男に出会います。二人はあなたに言うでしょう。『あなたが見つけようと出かけて行ったろばは見つかりました。父上はろばのことは忘れ、専らあなたたちのことを気遣って、息子のためにどうしたらよいか、とおっしゃっています。』
10:3 また、そこから更に進み、タボルの樫の木まで行くと、そこで、ベテルに神を拝みに上る三人の男に出会います。一人は子山羊三匹を連れ、一人はパン三個を持ち、一人はぶどう酒一袋を持っています。
10:4 あなたに挨拶し、二個のパンをくれますから、彼らの手から受け取りなさい。
10:5 それから、ペリシテ人の守備隊がいるギブア・エロヒムに向かいなさい。町に入るとき、琴、太鼓、笛、竪琴を持った人々を先頭にして、聖なる高台から下って来る預言者の一団に出会います。彼らは預言する状態になっています。
10:6 主の霊があなたに激しく降り、あなたも彼らと共に預言する状態になり、あなたは別人のようになるでしょう。
10:7 これらのしるしがあなたに降ったら、しようと思うことは何でもしなさい。神があなたと共におられるのです。
10:8 わたしより先にギルガルに行きなさい。わたしもあなたのもとに行き、焼き尽くす献げ物と、和解の献げ物をささげましょう。わたしが着くまで七日間、待ってください。なすべきことを教えましょう。」
詩篇 27:1 ダビデの詩。 主はわたしの光、わたしの救い わたしは誰を恐れよう。主はわたしの命の砦 わたしは誰の前におののくことがあろう。
27:2 さいなむ者が迫り わたしの肉を食い尽くそうとするが わたしを苦しめるその敵こそ、かえって よろめき倒れるであろう。
27:3 彼らがわたしに対して陣を敷いても わたしの心は恐れない。わたしに向かって戦いを挑んで来ても わたしには確信がある。
27:4 ひとつのことを主に願い、それだけを求めよう。命のある限り、主の家に宿り 主を仰ぎ望んで喜びを得 その宮で朝を迎えることを。
27:5 災いの日には必ず、主はわたしを仮庵にひそませ 幕屋の奥深くに隠してくださる。岩の上に立たせ
27:6 群がる敵の上に頭を高く上げさせてくださる。わたしは主の幕屋でいけにえをささげ、歓声をあげ 主に向かって賛美の歌をうたう。
ガラテヤ 2:1 その後十四年たってから、わたしはバルナバと一緒にエルサレムに再び上りました。その際、テトスも連れて行きました。
2:2 エルサレムに上ったのは、啓示によるものでした。わたしは、自分が異邦人に宣べ伝えている福音について、人々に、とりわけ、おもだった人たちには個人的に話して、自分は無駄に走っているのではないか、あるいは走ったのではないかと意見を求めました。
2:3 しかし、わたしと同行したテトスでさえ、ギリシア人であったのに、割礼を受けることを強制されませんでした。
2:4 潜り込んで来た偽の兄弟たちがいたのに、強制されなかったのです。彼らは、わたしたちを奴隷にしようとして、わたしたちがキリスト・イエスによって得ている自由を付けねらい、こっそり入り込んで来たのでした。
2:5 福音の真理が、あなたがたのもとにいつもとどまっているように、わたしたちは、片ときもそのような者たちに屈服して譲歩するようなことはしませんでした。
2:6 おもだった人たちからも強制されませんでした。――この人たちがそもそもどんな人であったにせよ、それは、わたしにはどうでもよいことです。神は人を分け隔てなさいません。――実際、そのおもだった人たちは、わたしにどんな義務も負わせませんでした。
2:7 それどころか、彼らは、ペトロには割礼を受けた人々に対する福音が任されたように、わたしには割礼を受けていない人々に対する福音が任されていることを知りました。
2:8 割礼を受けた人々に対する使徒としての任務のためにペトロに働きかけた方は、異邦人に対する使徒としての任務のためにわたしにも働きかけられたのです。
2:9 また、彼らはわたしに与えられた恵みを認め、ヤコブとケファとヨハネ、つまり柱と目されるおもだった人たちは、わたしとバルナバに一致のしるしとして右手を差し出しました。それで、わたしたちは異邦人へ、彼らは割礼を受けた人々のところに行くことになったのです。
2:10 ただ、わたしたちが貧しい人たちのことを忘れないようにとのことでしたが、これは、ちょうどわたしも心がけてきた点です。
旧約聖書には、主なる神様がイスラエルの民を救い、そのしるしとしてイスラエルの民に割礼をほどこすように命じられれていた。
しかし、それは、あくまでイスラエルの民のしるしであり、新約聖書の時代には、すべての異邦人も神の救いに与ることができるしるしとして、洗礼が行われることになり、もはや割礼を受ける意味は無くなっている。
しかし、新約の時代になっても、イスラエルの神を信じ、その神に救っていただく者は、みな割礼を受けイスラエルの民となるべきと考える者が少なからずいたようである。
しかし、聖書には、すべての異邦人も神の救いに与ることになることが約束されており、イスラエル人でなければならない理由はない。
パウロが「神は人を分け隔てなさいません」と述べている通りである。
人種、民族、出自、能力、個性、いかなる理由であっても、神の御前に全ての人は同じ人間である。
誰一人、価値のない者はいないし、特別優れた存在もない。
なぜなら、主なる神様は、全ての人の創造主であり、その命を贖うために、御子イエス様の尊い命を犠牲にして捧げ、これを買い取られたからである。
イザヤ 43:1 ヤコブよ、あなたを創造された主は イスラエルよ、あなたを造られた主は 今、こう言われる。恐れるな、わたしはあなたを贖う。あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ。
43:2 水の中を通るときも、わたしはあなたと共にいる。大河の中を通っても、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、焼かれず 炎はあなたに燃えつかない。
43:3 わたしは主、あなたの神 イスラエルの聖なる神、あなたの救い主。わたしはエジプトをあなたの身代金とし クシュとセバをあなたの代償とする。
43:4 わたしの目にあなたは価高く、貴く わたしはあなたを愛し あなたの身代わりとして人を与え 国々をあなたの魂の代わりとする。
世の中がどうなろと、どんな時代になろうと、この神の約束は変わらない。
そのことを忘れずに、創造主であり救い主である神に愛された者として誇りをもって生きよう。