エレミヤ 22:18 それゆえ、ユダの王、ヨシヤの子ヨヤキムについて 主はこう言われる。だれひとり、「ああ、わたしの兄弟 ああ、わたしの姉妹」と言って彼の死を悼み 「ああ、主よ、ああ陛下よ」と言って、悼む者はない。
22:19 彼はろばを埋めるように埋められる。引きずり出されて投げ捨てられる エルサレムの門の外へ。
22:20 お前はレバノンに登って叫び バシャンで声をあげ アバリムから叫ぶがよい。お前の愛人たちは皆、打ち破られる。
22:21 お前が栄えていたころ、わたしが何か言うと お前は、「聞きたくない」と言った。これが、お前の若い時からの態度であった。お前はわたしの声に聞き従ったことはない。
22:22 お前の牧者たちは風に追われ 愛人たちは、捕らえられて行く。そのとき、お前は自分のあらゆる悪のゆえに 恥を受け、卑しめられる。
22:23 レバノンに住み レバノン杉に巣を作っている者よ 産婦の苦しみのような苦痛が襲うとき お前はどんなに呻くことか。
22:24 「わたしは生きている」と主は言われる。「ユダの王、ヨヤキムの子コンヤは、もはやわたしの右手の指輪ではない。わたしはあなたを指から抜き取る。
22:25 わたしはあなたを、あなたの命をねらっている者の手、あなたが恐れている者の手、バビロンの王ネブカドレツァルとカルデア人の手に渡す。
22:26 わたしはあなたと、あなたを産んだ母を、生まれたところとは別の国へ追放する。あなたたちはそこで死ぬ。
22:27 彼らが帰りたいと切に願っている国へ帰ることはできない。」
22:28 この人、コンヤは砕け、卑しめられた壺か。だれも惜しまない器か。なぜ彼と彼の子孫は追放され 知らない国へ追いやられるのか。
22:29 大地よ、大地よ、大地よ、主の言葉を聞け。
22:30 主はこう言われる。「この人を、子供が生まれず 生涯、栄えることのない男として記録せよ。彼の子孫からは だれひとり栄えてダビデの王座にすわり ユダを治める者が出ないからである。」
詩篇 46:1 指揮者に合わせて。コラの子の詩。アラモト調。歌。
46:2 神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。
46:3 わたしたちは決して恐れない 地が姿を変え 山々が揺らいで海の中に移るとも
46:4 海の水が騒ぎ、沸き返り その高ぶるさまに山々が震えるとも。
46:5 大河とその流れは、神の都に喜びを与える いと高き神のいます聖所に。
46:6 神はその中にいまし、都は揺らぐことがない。夜明けとともに、神は助けをお与えになる。
46:7 すべての民は騒ぎ、国々は揺らぐ。神が御声を出されると、地は溶け去る。
46:8 万軍の主はわたしたちと共にいます。ヤコブの神はわたしたちの砦の塔。
46:9 主の成し遂げられることを仰ぎ見よう。主はこの地を圧倒される。
46:10 地の果てまで、戦いを断ち 弓を砕き槍を折り、盾を焼き払われる。
46:11 「力を捨てよ、知れ わたしは神。国々にあがめられ、この地であがめられる。」
46:12 万軍の主はわたしたちと共にいます。ヤコブの神はわたしたちの砦の塔。
ルカ 18:15 イエスに触れていただくために、人々は乳飲み子までも連れて来た。弟子たちは、これを見て叱った。
18:16 しかし、イエスは乳飲み子たちを呼び寄せて言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。
18:17 はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」
巷では、七五三のお祝いが行われる季節である。
もともと、生まれて間もない数年の間に亡くなる子が多く、ある程度の年齢を迎えれば、対直や抵抗力も備わり、その後、成人するまで生きられるようになることが多かったことから、七五三の年齢を無事に迎えることができたということでお祝いをしたという事らしい。
それほど人間は弱い生き物だということであろう。
親もしくは大人の助けがなければ、生まれて間もない幼子は生きて行くことができない。
そして、それは、全ての人に共通していることであり、誰一人、誰かの助けなしに成長してこれた人などいない。
必ず誰かの手に抱かれ、守られ、助けてもらったからこそ、今を生きていられるのである、
もちろん、大人になったからと言って、それが変わったかと言うと、本質的なところでは代わっていない。
人は誰かの助けなしには生きていけない生き物である。
助け合い、愛し合って、はじめて生きていける、それが人間という生き物である。
そしてなによりも、神の助け、神の愛なしには人は生きていけない存在である。
そのことに気が付いた時、人の生き方は変わるだろうし、人生は幸いなものとなるだろう。
子どもの頃ですら忘れていたことかもしれないが、自分は助けられ、愛されている者であることを覚えつつ、生きていきたいものである。