ダニエル7章1~3,15~18節、詩篇149篇、エフェソ1章11~23節、ルカ6章20~31節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

ダニエル 7:1 バビロンの王ベルシャツァルの治世元年のことである。ダニエルは、眠っているとき頭に幻が浮かび、一つの夢を見た。彼はその夢を記録することにし、次のように書き起こした。
7:2 ある夜、わたしは幻を見た。見よ、天の四方から風が起こって、大海を波立たせた。
7:3 すると、その海から四頭の大きな獣が現れた。それぞれ形が異なり、
7:15 わたしダニエルは大いに憂い、頭に浮かんだこの幻に悩まされた。
7:16 そこに立っている人の一人に近づいてこれらのことの意味を尋ねると、彼はそれを説明し、解釈してくれた。
7:17 「これら四頭の大きな獣は、地上に起ころうとする四人の王である。
7:18 しかし、いと高き者の聖者らが王権を受け、王国をとこしえに治めるであろう。」

詩篇 149:1 ハレルヤ。新しい歌を主に向かって歌え。主の慈しみに生きる人の集いで賛美の歌をうたえ。
149:2 イスラエルはその造り主によって喜び祝い シオンの子らはその王によって喜び躍れ。
149:3 踊りをささげて御名を賛美し 太鼓や竪琴を奏でてほめ歌をうたえ。
149:4 主は御自分の民を喜び 貧しい人を救いの輝きで装われる。
149:5 主の慈しみに生きる人は栄光に輝き、喜び勇み 伏していても喜びの声をあげる。
149:6 口には神をあがめる歌があり 手には両刃の剣を持つ。
149:7 国々に報復し 諸国の民を懲らしめ
149:8 王たちを鎖につなぎ 君侯に鉄の枷をはめ
149:9 定められた裁きをする。これは、主の慈しみに生きる人の光栄。ハレルヤ。

エフェソ 1:11 キリストにおいてわたしたちは、御心のままにすべてのことを行われる方の御計画によって前もって定められ、約束されたものの相続者とされました。
1:12 それは、以前からキリストに希望を置いていたわたしたちが、神の栄光をたたえるためです。
1:13 あなたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです。
1:14 この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり、こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、神の栄光をたたえることになるのです。
1:15 こういうわけで、わたしも、あなたがたが主イエスを信じ、すべての聖なる者たちを愛していることを聞き、
1:16 祈りの度に、あなたがたのことを思い起こし、絶えず感謝しています。
1:17 どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の源である御父が、あなたがたに知恵と啓示との霊を与え、神を深く知ることができるようにし、
1:18 心の目を開いてくださるように。そして、神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか悟らせてくださるように。
1:19 また、わたしたち信仰者に対して絶大な働きをなさる神の力が、どれほど大きなものであるか、悟らせてくださるように。
1:20 神は、この力をキリストに働かせて、キリストを死者の中から復活させ、天において御自分の右の座に着かせ、
1:21 すべての支配、権威、勢力、主権の上に置き、今の世ばかりでなく、来るべき世にも唱えられるあらゆる名の上に置かれました。
1:22 神はまた、すべてのものをキリストの足もとに従わせ、キリストをすべてのものの上にある頭として教会にお与えになりました。
1:23 教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です。

ルカ 6:20 さて、イエスは目を上げ弟子たちを見て言われた。「貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである。
6:21 今飢えている人々は、幸いである、あなたがたは満たされる。今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる。
6:22 人々に憎まれるとき、また、人の子のために追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである。
6:23 その日には、喜び踊りなさい。天には大きな報いがある。この人々の先祖も、預言者たちに同じことをしたのである。
6:24 しかし、富んでいるあなたがたは、不幸である、あなたがたはもう慰めを受けている。
6:25 今満腹している人々、あなたがたは、不幸である、あなたがたは飢えるようになる。今笑っている人々は、不幸である、あなたがたは悲しみ泣くようになる。
6:26 すべての人にほめられるとき、あなたがたは不幸である。この人々の先祖も、偽預言者たちに同じことをしたのである。」
6:27 「しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。
6:28 悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。
6:29 あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい。上着を奪い取る者には、下着をも拒んではならない。
6:30 求める者には、だれにでも与えなさい。あなたの持ち物を奪う者から取り返そうとしてはならない。
6:31 人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。


聖書には、神を信じる者は、天における祝福を受け継ぐ者としていただけることが語られている。
それは、この世の富や力、成功や繁栄といったものではなく、仮にそういったものによって攻められるようなことがあったとしても、同じ類のもので真っ向から対立していくようなことはせず、全く別の力、神の国を構築する愛と祈りによって対抗していくよう勧められていると言えよう。
力に対し、同じ力で対抗しようとしても、争いは激しくなるばかりで、良い結果になろうはずがない。
まことの平和をもたらしていくためには、力だけで勝負することを離れ、むしろ見た目には敗北者のような弱さにしか見えない姿であっても、全く別の方法を取る方がよい場合もあるだろう。
イエス様の十字架がまさにそういうものであろう。
人間の目には、単なる敗北者にしか見えなかったであろうイエス様の十字架刑は、人を救うための完全なる勝利であって、この世の原理とは全くことなる次元の世界の業によるものと言える。
だから、私たちは、この世のものと同じ土俵に立っていては、足元をすくわれるだけであろうし、この世のものとは異なる次元で物事を見据え、行動していくべきなのだろう。
イエス様ならどう思われるか、イエス様ならどう行動されるか、もちろん、弱い私たちにイエス様ほどのことはできなくとも、少なくとも、イエス様の心に思いを寄せて、私にできる範囲で神の国の御業に携わらせて頂きたいと願うものである。
争いに勝利することだけが本当の勝利でもない。
自分だけが良ければそれでいいというのも好ましいことではない。
時には「負けて勝つ」みたいなことの中にも、本当の勝利があることを思いつつ、どうすれば周りの人に喜んでもらえるかといった視点で歩んでいきたい。