サムエル上25章36~42節、詩篇57篇、ルカ22章39~46節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

サムエル上 25:36 アビガイルがナバルのもとへ帰ってみると、ナバルは家で王の宴会にも似た宴会の最中であった。ナバルは上機嫌で、かなり酔っていたので、翌朝、日が昇るまで、彼女は事の大小を問わず何も話さなかった。
25:37 翌朝、ナバルの酔いがさめると、彼の妻は成り行きを話して聞かせた。ナバルは意識を無くして石のようになった。
25:38 十日ほどの後、主はナバルを打たれ、彼は死んだ。
25:39 ナバルが死んだと聞いたダビデは、「主はたたえられよ。主は、ナバルが加えた侮辱に裁きを下し、僕に悪を行わせず、かえって、ナバルの悪をナバルの頭に返された」と言った。ダビデはアビガイルに人を遣わし、彼女を妻にしたいと申し入れた。
25:40 ダビデの部下がカルメルにいたアビガイルのもとに来て、「ダビデは我々をあなたのもとに遣わし、あなたを妻として迎えたいと言っています」と告げた。
25:41 彼女は立ち上がり、地に伏して礼をし、「わたしは御主人様の僕たちの足を洗うはしためになります」と答え、
25:42 すぐに立ち、急いでろばに乗り、彼女に仕える侍女を五人連れて、ダビデの使者の後に従った。アビガイルはダビデの妻となった。

詩篇 57:1  指揮者によって。「滅ぼさないでください」に合わせて。ダビデの詩。ミクタム。ダビデがサウルを逃れて洞窟にいたとき。
57:2 憐れんでください 神よ、わたしを憐れんでください。わたしの魂はあなたを避けどころとし 災いの過ぎ去るまで あなたの翼の陰を避けどころとします。
57:3 いと高き神を呼びます わたしのために何事も成し遂げてくださる神を。
57:4 天から遣わしてください 神よ、遣わしてください、慈しみとまことを。わたしを踏みにじる者の嘲りから わたしを救ってください。
57:5 わたしの魂は獅子の中に 火を吐く人の子らの中に伏しています。彼らの歯は槍のように、矢のように 舌は剣のように、鋭いのです。
57:6 神よ、天の上に高くいまし 栄光を全地に輝かせてください。
57:7 わたしの魂は屈み込んでいました。彼らはわたしの足もとに網を仕掛け わたしの前に落とし穴を掘りましたが その中に落ち込んだのは彼ら自身でした。
57:8 わたしは心を確かにします。神よ、わたしは心を確かにして あなたに賛美の歌をうたいます。
57:9 目覚めよ、わたしの誉れよ 目覚めよ、竪琴よ、琴よ。わたしは曙を呼び覚まそう。
57:10 主よ、諸国の民の中でわたしはあなたに感謝し 国々の中でほめ歌をうたいます。
57:11 あなたの慈しみは大きく、天に満ち あなたのまことは大きく、雲を覆います。
57:12 神よ、天の上に高くいまし 栄光を全地に輝かせてください。

ルカ 22:39 イエスがそこを出て、いつものようにオリーブ山に行かれると、弟子たちも従った。
22:40 いつもの場所に来ると、イエスは弟子たちに、「誘惑に陥らないように祈りなさい」と言われた。
22:41 そして自分は、石を投げて届くほどの所に離れ、ひざまずいてこう祈られた。
22:42 「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください。」〔
22:43 すると、天使が天から現れて、イエスを力づけた。
22:44 イエスは苦しみもだえ、いよいよ切に祈られた。汗が血の滴るように地面に落ちた。〕
22:45 イエスが祈り終わって立ち上がり、弟子たちのところに戻って御覧になると、彼らは悲しみの果てに眠り込んでいた。
22:46 イエスは言われた。「なぜ眠っているのか。誘惑に陥らぬよう、起きて祈っていなさい。」


自分が願った通りに事が成ると、誰でも嬉しいものである。
しかし、何でも自分の思い通りになってしまうと、人は良からぬことも願い始める。
人間の欲は際限なく、しかも身勝手なものばかりであるため、願った通りにならない方が良い場合もあるだろう。
しかしイエス様は私たちに、何でも祈れ、祈ったらすでに聞かれていると信じよ、と仰せられる。
よこしまな祈りも祈って良いのか、と悩むこともあるが、まずは祈っても良いだろう。
祈りが叶うかどうかまた別の事で、主なる神様はなんでも聞いて下さる。
そして、み心に適った答えをもって応えられる。
それが主のなさる裁きというものであろう。
イエス様も祈られた。
御心がなるように祈られた。
御自分が十字架で死なれることをもって、全ての人が救われるように祈られたのであろう。
しかし、人間はなんと強情でわがままで、強欲な生き物であろうか。
こんな人間が救われることが、いかに難しいことであるかを思う時、イエス様の命がけの必死の祈りの意味もわかる。
でも、それくらい私たちのことを愛して下さったということの裏返しでもあろう。
汗が血のように滴るほどにイエス様は祈って下さった。そして、命をも捧げて下さった。
こんな愚かな私の救いのために。