創世記32章4~22節、詩篇121篇マルコ10章46~52節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

創世記 32:4 ヤコブは、あらかじめ、セイル地方、すなわちエドムの野にいる兄エサウのもとに使いの者を遣わすことにし、
32:5 お前たちはわたしの主人エサウにこう言いなさいと命じた。「あなたの僕ヤコブはこう申しております。わたしはラバンのもとに滞在し今日に至りましたが、
32:6 牛、ろば、羊、男女の奴隷を所有するようになりました。そこで、使いの者を御主人様のもとに送って御報告し、御機嫌をお伺いいたします。」
32:7 使いの者はヤコブのところに帰って来て、「兄上のエサウさまのところへ行って参りました。兄上様の方でも、あなたを迎えるため、四百人のお供を連れてこちらへおいでになる途中でございます」と報告した。
32:8 ヤコブは非常に恐れ、思い悩んだ末、連れている人々を、羊、牛、らくだなどと共に二組に分けた。
32:9 エサウがやって来て、一方の組に攻撃を仕掛けても、残りの組は助かると思ったのである。
32:10 ヤコブは祈った。「わたしの父アブラハムの神、わたしの父イサクの神、主よ、あなたはわたしにこう言われました。『あなたは生まれ故郷に帰りなさい。わたしはあなたに幸いを与える』と。
32:11 わたしは、あなたが僕に示してくださったすべての慈しみとまことを受けるに足りない者です。かつてわたしは、一本の杖を頼りにこのヨルダン川を渡りましたが、今は二組の陣営を持つまでになりました。
32:12 どうか、兄エサウの手から救ってください。わたしは兄が恐ろしいのです。兄は攻めて来て、わたしをはじめ母も子供も殺すかもしれません。
32:13 あなたは、かつてこう言われました。『わたしは必ずあなたに幸いを与え、あなたの子孫を海辺の砂のように数えきれないほど多くする』と。」
32:14 その夜、ヤコブはそこに野宿して、自分の持ち物の中から兄エサウへの贈り物を選んだ。
32:15 それは、雌山羊二百匹、雄山羊二十匹、雌羊二百匹、雄羊二十匹、
32:16 乳らくだ三十頭とその子供、雌牛四十頭、雄牛十頭、雌ろば二十頭、雄ろば十頭であった。
32:17 それを群れごとに分け、召し使いたちの手に渡して言った。「群れと群れとの間に距離を置き、わたしの先に立って行きなさい。」
32:18 また、先頭を行く者には次のように命じた。「兄のエサウがお前に出会って、『お前の主人は誰だ。どこへ行くのか。ここにいる家畜は誰のものだ』と尋ねたら、
32:19 こう言いなさい。『これは、あなたさまの僕ヤコブのもので、御主人のエサウさまに差し上げる贈り物でございます。ヤコブも後から参ります』と。」
32:20 ヤコブは、二番目の者にも、三番目の者にも、群れの後について行くすべての者に命じて言った。「エサウに出会ったら、これと同じことを述べ、
32:21 『あなたさまの僕ヤコブも後から参ります』と言いなさい。」ヤコブは、贈り物を先に行かせて兄をなだめ、その後で顔を合わせれば、恐らく快く迎えてくれるだろうと思ったのである。
32:22 こうして、贈り物を先に行かせ、ヤコブ自身は、その夜、野営地にとどまった。

詩篇 121:1  都に上る歌。 目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。
121:2 わたしの助けは来る 天地を造られた主のもとから。
121:3 どうか、主があなたを助けて 足がよろめかないようにし まどろむことなく見守ってくださるように。
121:4 見よ、イスラエルを見守る方は まどろむことなく、眠ることもない。
121:5 主はあなたを見守る方 あなたを覆う陰、あなたの右にいます方。
121:6 昼、太陽はあなたを撃つことがなく 夜、月もあなたを撃つことがない。
121:7 主がすべての災いを遠ざけて あなたを見守り あなたの魂を見守ってくださるように。
121:8 あなたの出で立つのも帰るのも 主が見守ってくださるように。今も、そしてとこしえに。

マルコ 10:46 一行はエリコの町に着いた。イエスが弟子たちや大勢の群衆と一緒に、エリコを出て行こうとされたとき、ティマイの子で、バルティマイという盲人の物乞いが道端に座っていた。
10:47 ナザレのイエスだと聞くと、叫んで、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と言い始めた。
10:48 多くの人々が叱りつけて黙らせようとしたが、彼はますます、「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫び続けた。
10:49 イエスは立ち止まって、「あの男を呼んで来なさい」と言われた。人々は盲人を呼んで言った。「安心しなさい。立ちなさい。お呼びだ。」
10:50 盲人は上着を脱ぎ捨て、躍り上がってイエスのところに来た。
10:51 イエスは、「何をしてほしいのか」と言われた。盲人は、「先生、目が見えるようになりたいのです」と言った。
10:52 そこで、イエスは言われた。「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」盲人は、すぐ見えるようになり、なお道を進まれるイエスに従った。


故郷へ帰ろうとしていたヤコブは、兄エサウを恐れていたため、なんとか容赦してもらおうと、エサウに対して贈り物を先に送り、家族や家畜などを二組に分け、恐る恐るエサウのもとに向かっていた。
その姿は、まさに自分の救いを求めてとりなしている者の姿である。
ヤコブは、最初に家畜などを送り、その後、家族らとともにエサウのもとへ向かっていたが、ヤボクの渡しのところでは、ついに最後に自分だけが残ってしまい、神と格闘することになるのだが、それは、彼にとって最も大切なもの、最も守りたいものが自分自身の命であったということを如実に表している。
人は結局、自分が大切なのであり、救いを求めて祈り乞う姿こそが、我々人間の本当の姿と言えるのであろう。

最近、鉄道事故などで自ら命を絶たれる方のニュースをよく耳にする。
そうした方々は。自らの命を粗末に扱っているのではなく、大切だからこその裏返しなのだろうと思う。
誰もが自分自身の命が、存在が、大切にされ、尊重されることを願っている。
十字架の御業を通して命がけで私たちを愛し、救って下さったイエス様は、私たちに命を与え、存在を大切にして下さる。
イエス様は自らの命を粗末に扱ったのではない。
大切な命だからこそ、その命を救うために、十字架の道を歩まれたのである。
イエス様に愛されている幸い、救われている喜びに生きよう。