列王下18章1~8節、28~36節、詩篇37篇1~9節、黙示2章8~11節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

列王下 18:1 イスラエルの王、エラの子ホシェアの治世第三年に、ユダの王アハズの子ヒゼキヤが王となった。
18:2 彼は二十五歳で王となり、二十九年間エルサレムで王位にあった。その母は名をアビといい、ゼカルヤの娘であった。
18:3 彼は、父祖ダビデが行ったように、主の目にかなう正しいことをことごとく行い、
18:4 聖なる高台を取り除き、石柱を打ち壊し、アシェラ像を切り倒し、モーセの造った青銅の蛇を打ち砕いた。イスラエルの人々は、このころまでこれをネフシュタンと呼んで、これに香をたいていたからである。
18:5 彼はイスラエルの神、主に依り頼んだ。その後ユダのすべての王の中で彼のような王はなく、また彼の前にもなかった。
18:6 彼は主を固く信頼し、主に背いて離れ去ることなく、主がモーセに授けられた戒めを守った。
18:7 主は彼と共におられ、彼が何を企てても成功した。彼はアッシリアの王に刃向かい、彼に服従しなかった。
18:8 彼はペリシテ人を、ガザとその領域まで、見張りの塔から砦の町まで攻撃した。

18:28 ラブ・シャケは立ってユダの言葉で大声で呼ばわり、こう言い放った。「大王、アッシリアの王の言葉を聞け。
18:29 王はこう言われる。『ヒゼキヤにだまされるな。彼はお前たちをわたしの手から救い出すことはできない。
18:30 ヒゼキヤはお前たちに、主が必ず我々を救い出してくださる、決してこの都がアッシリアの王の手に渡されることはない、と言って、主に依り頼ませようとするが、そうさせてはならない。』
18:31 ヒゼキヤの言うことを聞くな。アッシリアの王がこう言われるからだ。『わたしと和を結び、降伏せよ。そうすればお前たちは皆、自分のぶどうといちじくの実を食べ、自分の井戸の水を飲むことができる。
18:32 やがてわたしは来て、お前たちをお前たちの地と同じような地、穀物と新しいぶどう酒の地、パンとぶどう畑の地、オリーブと新鮮な油と蜜の地に連れて行く。こうしてお前たちは命を得、死なずに済む』と。ヒゼキヤの言うことを聞くな。彼は、主は我々を救い出してくださる、と言って、お前たちを惑わしているのだ。
18:33 諸国の神々は、それぞれ自分の地をアッシリア王の手から救い出すことができたであろうか。
18:34 ハマトやアルパドの神々はどこに行ったのか。セファルワイムやヘナやイワの神々はどこに行ったのか。サマリアをわたしの手から救い出した神があっただろうか。
18:35 国々のすべての神々のうち、どの神が自分の国をわたしの手から救い出したか。それでも主はエルサレムをわたしの手から救い出すと言うのか。」
18:36 しかし民は、答えてはならないと王に戒められていたので、押し黙ってひと言も答えなかった。

詩篇 37:1  ダビデの詩。 悪事を謀る者のことでいら立つな。不正を行う者をうらやむな。
37:2 彼らは草のように瞬く間に枯れる。青草のようにすぐにしおれる。
37:3 主に信頼し、善を行え。この地に住み着き、信仰を糧とせよ。
37:4 主に自らをゆだねよ 主はあなたの心の願いをかなえてくださる。
37:5 あなたの道を主にまかせよ。信頼せよ、主は計らい
37:6 あなたの正しさを光のように あなたのための裁きを 真昼の光のように輝かせてくださる。
37:7 沈黙して主に向かい、主を待ち焦がれよ。繁栄の道を行く者や 悪だくみをする者のことでいら立つな。
37:8 怒りを解き、憤りを捨てよ。自分も悪事を謀ろうと、いら立ってはならない。
37:9 悪事を謀る者は断たれ 主に望みをおく人は、地を継ぐ。

黙示 2:8 スミルナにある教会の天使にこう書き送れ。『最初の者にして、最後の者である方、一度死んだが、また生きた方が、次のように言われる。
2:9 「わたしは、あなたの苦難や貧しさを知っている。だが、本当はあなたは豊かなのだ。自分はユダヤ人であると言う者どもが、あなたを非難していることを、わたしは知っている。実は、彼らはユダヤ人ではなく、サタンの集いに属している者どもである。
2:10 あなたは、受けようとしている苦難を決して恐れてはいけない。見よ、悪魔が試みるために、あなたがたの何人かを牢に投げ込もうとしている。あなたがたは、十日の間苦しめられるであろう。死に至るまで忠実であれ。そうすれば、あなたに命の冠を授けよう。



目に見えない神を信じるということは、なかなか理解されないことが多いし、下手をすると迫害の対象となることもあるだろう。
それに対し、神を信じる者はあまりにも無力であり、なんの証明も、対抗する言葉もない。
下手に私たちの言葉で言い返そうとしても、かえって誤解を生じたり、誤った考え方を与えかねないし、だいいち、私たち自身、あまり心地のよいものでもない。
たとえ迫害されようとも、黙って静かに相手のために祈ることを続けるしかない。
けれども、それで良いのだろう。

ローマ5:1 このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、
5:2 このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。
5:3 そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、
5:4 忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。
5:5 希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。

どんな時にも、どんな状況においても、永遠の命を与えて下さる主なる神様が私たちの味方であり、いつでも共にいて下さる。
だから、心を乱すことなく、良い時が訪れることを信じて、忍耐して待ちたい。
イエス様ご自身、捕らえられ、鞭打たれようとも、多くの人を救うため、静かに十字架へと歩んで行かれた。
何の力もない私が少々抵抗したところで、何の効果も意味もないかもしれないけれど、忍耐しつつ、主に祈り求めていくならば、きっと、神が共に働いて下さる。
事や人の心を動かすことができるのは、神だけだと思うから、主なる神様が私たちを通して働いて下さると信じて、祈りつつ、その時を待とう。