箴言28章11~28節、詩篇146篇、ルカ9章43~48節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

箴言 28:11 金持ちは自分を賢いと思い込む。弱くても分別ある人は彼を見抜く。
28:12 神に従う人々が喜び勇むと輝きは増し 神に逆らう者が興ると人は身を隠す。
28:13 罪を隠している者は栄えない。告白して罪を捨てる者は憐れみを受ける。
28:14 いかに幸いなことか、常に恐れを抱いている人。心の頑な者は苦難に陥る。
28:15 獅子がうなり、熊が襲いかかる。神に逆らう者が弱い民を支配する。
28:16 指導者に英知が欠けると搾取が増す。奪うことを憎む人は長寿を得る。
28:17 流血の罪の重荷を負う者は、逃れて墓穴に至る。だれも彼を援助してはならない。
28:18 完全な道を歩む人は救われる。二筋の曲がった道を歩む者は直ちに倒れる。
28:19 自分の土地を耕す人はパンに飽き足りる。空を追う者は乏しさに飽き足りる。
28:20 忠実な人は多くの祝福を受ける。富むことにはやる者は罰せられずには済まない。
28:21 人を偏り見るのはよくない。だれでも一片のパンのために罪を犯しうる。
28:22 貪欲な者は財産を得ようと焦る。やって来るのが欠乏だとは知らない。
28:23 人を懲らしめる者は 舌の滑らかな者より喜ばれる。
28:24 父母のものをかすめて 「これは罪ではない」と言う者は 滅ぼそうとたくらむ者の仲間だ。
28:25 貪欲な者はいさかいを引き起こす。主に依り頼む人は潤される。
28:26 自分の心に依り頼む者は愚か者だ。知恵によって歩む人は救われる。
28:27 貧しい人に与える人は欠乏することがない。目を覆っている者は多くの呪いを受ける。
28:28 神に逆らう者が興ると人は身を隠し 彼らが滅びると神に従う人がふえる。

詩篇 146:1 ハレルヤ。わたしの魂よ、主を賛美せよ。
146:2 命のある限り、わたしは主を賛美し 長らえる限り わたしの神にほめ歌をうたおう。
146:3 君侯に依り頼んではならない。人間には救う力はない。
146:4 霊が人間を去れば 人間は自分の属する土に帰り その日、彼の思いも滅びる。
146:5 いかに幸いなことか ヤコブの神を助けと頼み 主なるその神を待ち望む人
146:6 天地を造り 海とその中にあるすべてのものを造られた神を。とこしえにまことを守られる主は
146:7 虐げられている人のために裁きをし 飢えている人にパンをお与えになる。主は捕われ人を解き放ち
146:8 主は見えない人の目を開き 主はうずくまっている人を起こされる。主は従う人を愛し
146:9 主は寄留の民を守り みなしごとやもめを励まされる。しかし主は、逆らう者の道をくつがえされる。
146:10 主はとこしえに王。シオンよ、あなたの神は代々に王。ハレルヤ。

ルカ 9:43 イエスがなさったすべてのことに、皆が驚いていると、イエスは弟子たちに言われた。
9:44 「この言葉をよく耳に入れておきなさい。人の子は人々の手に引き渡されようとしている。」
9:45 弟子たちはその言葉が分からなかった。彼らには理解できないように隠されていたのである。彼らは、怖くてその言葉について尋ねられなかった。
9:46 弟子たちの間で、自分たちのうちだれがいちばん偉いかという議論が起きた。
9:47 イエスは彼らの心の内を見抜き、一人の子供の手を取り、御自分のそばに立たせて、
9:48 言われた。「わたしの名のためにこの子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。あなたがた皆の中で最も小さい者こそ、最も偉い者である。」


イエス様は人を救うため、神の御子であられたのに私たち人間と同じ姿となって、この世に来て下さった。
そして、人を救うため、人間の罪を償うために、御自分の命を贖いの代価として十字架に捧げられた。
それはまるで、私たちを救うために、いけにえとなるための奴隷のようになるために生きられたようなものである。
イエス様は、そのような仕方で、私たちのために「仕えて」下さった。

フィリピ 2:1 そこで、あなたがたに幾らかでも、キリストによる励まし、愛の慰め、"霊"による交わり、それに慈しみや憐れみの心があるなら、
2:2 同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして、わたしの喜びを満たしてください。
2:3 何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、
2:4 めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。
2:5 互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです。
2:6 キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、
2:7 かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、
2:8 へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。
2:9 このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。
2:10 こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、
2:11 すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです。

人は誰もが、自分のことを認めてもらいたくて、自分を大きく見せようとしたり、偽りの自分を演じようと背伸びをし、そして、人を見下すような傲慢な生き方をしてしまう。
愚かな罪人そのものであろう。
けれど、愛のお方であるイエス様は、こんな愚かな人間を、一人も失いたくないと考えられ、自らの命を投げうってまで、私たちを救おうと、救いの御業のために仕えて下さった。
なんとも畏れ多いことではあるが、私たちがこの事実を受け入れることを神は望まれた、それゆえの十字架なのだ。
だから、畏れて遠慮するのではなく、大いに喜んで、救いの恵みを受け、その上で、私たちもまたイエス様のように、誰かの救いのために身を低くして仕えて行くことができるように生きていきたい。
何も特別なことができなくていい。
幼子を受け入れるように、弱く小さなものたちを、受け入れていくだけでも十分である。
なにより、弱く小さなこのわたしをイエス様が受け入れて下さったという事実を、まずは受け入れよう。
全てはそれからである。