ヨブ21章1~16節、詩篇33篇12~22節、ローマ8章1~9節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

ヨブ 21:1 ヨブは答えた。
21:2 どうか、わたしの言葉を聞いてくれ。聞いてもらうことがわたしの慰めなのだ。
21:3 我慢して、わたしに話をさせてくれ。わたしが話してから、嘲笑うがいい。
21:4 わたしは人間に向かって訴えているのだろうか。なぜ、我慢しなければならないのか。
21:5 わたしに顔を向けてくれ。そして驚き、口に手を当てるがよい。
21:6 わたし自身、これを思うと慄然とし 身震いが止まらない。
21:7 なぜ、神に逆らう者が生き永らえ 年を重ねてなお、力を増し加えるのか。
21:8 子孫は彼らを囲んで確かに続き その末を目の前に見ることができる。
21:9 その家は平和で、何の恐れもなく 神の鞭が彼らに下ることはない。
21:10 彼らの雄牛は常に子をはらませ 雌牛は子を産んで、死なせることはない。
21:11 彼らは羊の群れのように子供を送り出し その子らは踊り跳ね
21:12 太鼓や竪琴に合わせて歌い 笛を吹いて楽しむ。
21:13 彼らは幸せに人生を送り 安らかに陰府に赴く。
21:14 彼らは神に向かって言う。「ほうっておいてください。あなたに従う道など知りたくもない。
21:15 なぜ、全能者に仕えなければならないのか。神に祈って何になるのか。」
21:16 だが、彼らは財産を手にしているではないか。神に逆らう者の考えはわたしから遠い。

詩篇 33:12 いかに幸いなことか 主を神とする国 主が嗣業として選ばれた民は。
33:13 主は天から見渡し 人の子らをひとりひとり御覧になり
33:14 御座を置かれた所から 地に住むすべての人に目を留められる。
33:15 人の心をすべて造られた主は 彼らの業をことごとく見分けられる。
33:16 王の勝利は兵の数によらず 勇士を救うのも力の強さではない。
33:17 馬は勝利をもたらすものとはならず 兵の数によって救われるのでもない。
33:18 見よ、主は御目を注がれる 主を畏れる人、主の慈しみを待ち望む人に。
33:19 彼らの魂を死から救い 飢えから救い、命を得させてくださる。
33:20 我らの魂は主を待つ。主は我らの助け、我らの盾。
33:21 我らの心は喜び 聖なる御名に依り頼む。
33:22 主よ、あなたの慈しみが 我らの上にあるように 主を待ち望む我らの上に。

ローマ 9:1 わたしはキリストに結ばれた者として真実を語り、偽りは言わない。わたしの良心も聖霊によって証ししていることですが、
9:2 わたしには深い悲しみがあり、わたしの心には絶え間ない痛みがあります。
9:3 わたし自身、兄弟たち、つまり肉による同胞のためならば、キリストから離され、神から見捨てられた者となってもよいとさえ思っています。
9:4 彼らはイスラエルの民です。神の子としての身分、栄光、契約、律法、礼拝、約束は彼らのものです。
9:5 先祖たちも彼らのものであり、肉によればキリストも彼らから出られたのです。キリストは、万物の上におられる、永遠にほめたたえられる神、アーメン。
9:6 ところで、神の言葉は決して効力を失ったわけではありません。イスラエルから出た者が皆、イスラエル人ということにはならず、
9:7 また、アブラハムの子孫だからといって、皆がその子供ということにはならない。かえって、「イサクから生まれる者が、あなたの子孫と呼ばれる。」
9:8 すなわち、肉による子供が神の子供なのではなく、約束に従って生まれる子供が、子孫と見なされるのです。
9:9 約束の言葉は、「来年の今ごろに、わたしは来る。そして、サラには男の子が生まれる」というものでした。


ヨブ記21章の言葉と詩篇33篇の言葉は、きわめて対照的な言葉となっている。
片や、神を信じない者たちがこの世で何の不自由もなく幸いな暮らしを送っているのは何故かと訴え、もう片方では、神を信じて生きる者たちが、いかに幸いであり、祝福されているかということが歌われている。
ヨブ記の言葉は、ヨブのつぶやきであって、一見は幸いそうに見えても本当は幸いではない、この世界に生きる人たちの姿を表すものであって、真理ではないと言えよう。
一方の詩篇の言葉は、神を信じて生きる者の祈りの言葉であり、ヨブのつぶやきとは逆に、たとえ見た目には祝福されているとは思えないような状況であったとしても、神に寄り頼む者は、神からの祝福を受けており、そういう者たちの方が本当は幸いであるということを語っていると言えるだろう。
目に見えるものはいつかやがて朽ちていく。
しかし、目に見えない神の祝福は永遠に変わることは無い。

ヘブル11:1 信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。

信仰に生きるとは、神の約束に信頼して生きること。
神の約束とは、御子イエス様の命の代価を支払って、私たちの救いを成し遂げて下さったことは確かであるということ。
そのことを覚えて、どんな困難な中にも信仰によって歩んでいきたいものである。

ヘブル10:19 それで、兄弟たち、わたしたちは、イエスの血によって聖所に入れると確信しています。
10:20 イエスは、垂れ幕、つまり、御自分の肉を通って、新しい生きた道をわたしたちのために開いてくださったのです。
10:21 更に、わたしたちには神の家を支配する偉大な祭司がおられるのですから、
10:22 心は清められて、良心のとがめはなくなり、体は清い水で洗われています。信頼しきって、真心から神に近づこうではありませんか。
10:23 約束してくださったのは真実な方なのですから、公に言い表した希望を揺るがぬようしっかり保ちましょう。