エステル 7:7 王は怒って立ち上がり、酒宴をあとにして王宮の庭に出た。ハマンは王妃エステルに命乞いをしようとしてとどまった。王による不幸が決定的になった、と分かったからである。
7:8 ハマンがエステルのいる長いすに身を投げかけているところへ、王宮の庭から王が酒宴の間に戻って来た。王は言った。「わたしのいるこの宮殿で、王妃にまで乱暴しようとするのか。」この言葉が王の口から発せられるやいなや、人々はハマンの顔に覆いをかぶせた。
詩篇 55:17 わたしは神を呼ぶ。主はわたしを救ってくださる。
55:18 夕べも朝も、そして昼も、わたしは悩んで呻く。神はわたしの声を聞いてくださる。
55:19 闘いを挑む多くの者のただ中から わたしの魂を贖い出し、平和に守ってくださる。
55:20 神はわたしの声を聞き、彼らを低くされる。神はいにしえからいまし 変わることはない。その神を畏れることなく
55:21 彼らは自分の仲間に手を下し、契約を汚す。
55:22 口は脂肪よりも滑らかに語るが 心には闘いの思いを抱き 言葉は香油よりも優しいが、抜き身の剣に等しい。
55:23 あなたの重荷を主にゆだねよ 主はあなたを支えてくださる。主は従う者を支え とこしえに動揺しないように計らってくださる。
55:24 神よ、あなた御自身で 滅びの穴に追い落としてください 欺く者、流血の罪を犯す者を。彼らが人生の半ばにも達しませんように。わたしはあなたに依り頼みます。
マタイ 5:43 「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。
5:44 しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。
5:45 あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。
5:46 自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。徴税人でも、同じことをしているではないか。
5:47 自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。異邦人でさえ、同じことをしているではないか。
5:48 だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」
隣人を愛することはとても難しいこと。
ましてや、それが自分に敵対しているような人であるなら、さらに難しいし、おそらく、普通はそんなことはできない。
ただ、それをなさるのは主イエス様である。
イエス様は、神に敵対していたような我々罪深い人間を愛し、自らの命を犠牲にしても、これを救おうとされたのである。
これ以上の大きな愛はない。
で、それが私たち人間にできるかと言うと、そんな愛を全うすることができる人など一人もいないの現実である。
ではどうすればいいのか。
まずはそうあるように祈ることから始めるしかない。
主の祈りでもそうだが、「我らに罪を犯す者をわれらが赦す如く…」と祈るのも、そうなるように、いや、それが神の御心なら、きっとそうなると信じて祈るのであり、神の御心ならば、必ず実現していくのであろう。
私たちも敵を愛することができますように、それが御心であるなら、そうなることを信じて祈り始めて行けば良い。
たとえできなくても、まずは祈りから始めていきたい。