エゼキエル32章1~10節、詩篇64篇、ルカ9章37~43節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

エゼキエル 32:1 第十二年の十二月一日に、主の言葉がわたしに臨んだ。
32:2 「人の子よ、エジプトの王ファラオに向かって嘆きの歌をうたい、彼に言いなさい。国々の中で若獅子である者よ お前は滅びに定められた。お前は水中のわにのようだ。川の中であばれ回り 足で水をかき混ぜ、流れを濁らせた。
32:3 主なる神はこう言われる。わたしは多くの民を集め お前の上に網として広げる。彼らはこの地引き網でお前を引き上げる。
32:4 わたしは、お前を大地に投げ出し 野に投げ捨てる。空のすべての鳥をお前の上にやどらせ 地上のすべての獣にお前を 食べさせて、飽かせる。
32:5 わたしはお前の肉を山の上に捨て お前の腐った肉で谷を満たす。
32:6 わたしはお前の流れ出た血を 大地にのませ、山に注ぐ。お前の血で谷間も満たされる。
32:7 お前が消えうせるとき わたしは空を覆い、星を暗くする。また、太陽を雲で覆い、月も光を放たない。
32:8 空に輝くすべての光を わたしはお前の上で暗くする。また、お前の地を闇で覆うと 主なる神は言われる。
32:9 わたしはお前の破滅を、お前の知らない国々の民に知らせ、多くの民の心をいらだたせる。
32:10 わたしはお前のゆえに多くの民をぼう然とさせる。わたしが彼らの前で剣を振りかざすと、王たちもお前のゆえに毛が逆立つ。お前の倒れる日、彼らはそれぞれ命に不安を感じて絶え間なく震える。

詩篇 64:1  指揮者によって。賛歌。ダビデの詩。
64:2 神よ、悩み訴えるわたしの声をお聞きください。敵の脅威からわたしの命をお守りください。
64:3 わたしを隠してください さいなむ者の集いから、悪を行う者の騒ぎから。
64:4 彼らは舌を鋭い剣とし 毒を含む言葉を矢としてつがえ
64:5 隠れた所から無垢な人を射ようと構え 突然射かけて、恐れもしません。
64:6 彼らは悪事にたけ、共謀して罠を仕掛け 「見抜かれることはない」と言います。
64:7 巧妙に悪を謀り 「我らの謀は巧妙で完全だ。人は胸に深慮を隠す」と言います。
64:8 神は彼らに矢を射かけ 突然、彼らは討たれるでしょう。
64:9 自分の舌がつまずきのもとになり 見る人は皆、頭を振って侮るでしょう。
64:10 人は皆、恐れて神の働きを認め 御業に目覚めるでしょう。
64:11 主に従う人は主を避けどころとし、喜び祝い 心のまっすぐな人は皆、主によって誇ります。

ルカ 9:37 翌日、一同が山を下りると、大勢の群衆がイエスを出迎えた。
9:38 そのとき、一人の男が群衆の中から大声で言った。「先生、どうかわたしの子を見てやってください。一人息子です。
9:39 悪霊が取りつくと、この子は突然叫びだします。悪霊はこの子にけいれんを起こさせて泡を吹かせ、さんざん苦しめて、なかなか離れません。
9:40 この霊を追い出してくださるようにお弟子たちに頼みましたが、できませんでした。」
9:41 イエスはお答えになった。「なんと信仰のない、よこしまな時代なのか。いつまでわたしは、あなたがたと共にいて、あなたがたに我慢しなければならないのか。あなたの子供をここに連れて来なさい。」
9:42 その子が来る途中でも、悪霊は投げ倒し、引きつけさせた。イエスは汚れた霊を叱り、子供をいやして父親にお返しになった。
9:43 人々は皆、神の偉大さに心を打たれた。



先日の聖日の日課のルカ8章では、ゲラサの地で悪霊にとりつかれていた人をイエス様がお癒しになったことが語られていた。
レギオン、すなわち、たくさんの悪霊が彼を苦しめていたと記されており、体を拘束したり、心を縛り付けたり、様々な種類の悪霊に縛られていたのであろう。
ルカ9章における男の子は、体を拘束される苦しみに囚われていたが、レギオンというほどではなかったのかもしれない。
それでも弟子たちには追い出すことはできなかったのである。
我々人間は弱く、すぐに悪霊の虜となってしまうし、それを追い出す力も持っていない。
まさにイエス様が仰せられるように、なんと信仰のない、よこしまな時代に生きる者であり、イエス様に我慢をさせてしまうような愚かなものでしかない。
なんとも残念なことであるが、それが我々の現実の姿である。
きっとこのような状況は、未来永劫にわたって変わらないのだろう。
いつまでたっても、私たちはイエス様を悲しませるようなことしかできないのかもしれない。
けれど、イエス様の方こそ、未来永劫、いつまでも変わらず、私たちを愛し、憐れみ、そして救いへと導いて下さるお方。
だから、失望することはない。
たとえどんなに自分の愚かさに気づかされても、それでもなお、命をかけて滅びゆく私たちを救おうとされるイエス様を思い起こそう。
そして、救っていただこう。
イエス様に我慢を強いるのは申し訳ないような気もするけれども、そうするよりほかないのだから。