ダニエル7章13~14節、詩篇148篇、黙示11章1~15節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

ダニエル 7:13 夜の幻をなお見ていると、見よ、「人の子」のような者が天の雲に乗り「日の老いたる者」の前に来て、そのもとに進み
7:14 権威、威光、王権を受けた。諸国、諸族、諸言語の民は皆、彼に仕え彼の支配はとこしえに続きその統治は滅びることがない。

詩篇 148:1 ハレルヤ。天において主を賛美せよ。高い天で主を賛美せよ。
148:2 御使いらよ、こぞって主を賛美せよ。主の万軍よ、こぞって主を賛美せよ。
148:3 日よ、月よ主を賛美せよ。輝く星よ主を賛美せよ。
148:4 天の天よ 天の上にある水よ主を賛美せよ。
148:5 主の御名を賛美せよ。主は命じられ、すべてのものは創造された。
148:6 主はそれらを世々限りなく立て 越ええない掟を与えられた。
148:7 地において主を賛美せよ。海に住む竜よ、深淵よ
148:8 火よ、雹よ、雪よ、霧よ 御言葉を成し遂げる嵐よ
148:9 山々よ、すべての丘よ 実を結ぶ木よ、杉の林よ
148:10 野の獣よ、すべての家畜よ 地を這うものよ、翼ある鳥よ
148:11 地上の王よ、諸国の民よ 君主よ、地上の支配者よ
148:12 若者よ、おとめよ 老人よ、幼子よ。
148:13 主の御名を賛美せよ。主の御名はひとり高く 威光は天地に満ちている。
148:14 主は御自分の民の角を高く上げてくださる。それは主の慈しみに生きるすべての人の栄誉。主に近くある民、イスラエルの子らよ。ハレルヤ。

黙示 11:1 それから、わたしは杖のような物差しを与えられて、こう告げられた。「立って神の神殿と祭壇とを測り、また、そこで礼拝している者たちを数えよ。
11:2 しかし、神殿の外の庭はそのままにしておけ。測ってはいけない。そこは異邦人に与えられたからである。彼らは、四十二か月の間、この聖なる都を踏みにじるであろう。
11:3 わたしは、自分の二人の証人に粗布をまとわせ、千二百六十日の間、預言させよう。」
11:4 この二人の証人とは、地上の主の御前に立つ二本のオリーブの木、また二つの燭台である。
11:5 この二人に害を加えようとする者があれば、彼らの口から火が出て、その敵を滅ぼすであろう。この二人に害を加えようとする者があれば、必ずこのように殺される。
11:6 彼らには、預言をしている間ずっと雨が降らないように天を閉じる力がある。また、水を血に変える力があって、望みのままに何度でも、あらゆる災いを地に及ぼすことができる。
11:7 二人がその証しを終えると、一匹の獣が、底なしの淵から上って来て彼らと戦って勝ち、二人を殺してしまう。
11:8 彼らの死体は、たとえてソドムとかエジプトとか呼ばれる大きな都の大通りに取り残される。この二人の証人の主も、その都で十字架につけられたのである。
11:9 さまざまの民族、種族、言葉の違う民、国民に属する人々は、三日半の間、彼らの死体を眺め、それを墓に葬ることは許さないであろう。
11:10 地上の人々は、彼らのことで大いに喜び、贈り物をやり取りするであろう。この二人の預言者は、地上の人々を苦しめたからである。
11:11 三日半たって、命の息が神から出て、この二人に入った。彼らが立ち上がると、これを見た人々は大いに恐れた。
11:12 二人は、天から大きな声があって、「ここに上って来い」と言うのを聞いた。そして雲に乗って天に上った。彼らの敵もそれを見た。
11:13 そのとき、大地震が起こり、都の十分の一が倒れ、この地震のために七千人が死に、残った人々は恐れを抱いて天の神の栄光をたたえた。
11:14 第二の災いが過ぎ去った。見よ、第三の災いが速やかにやって来る。
11:15 さて、第七の天使がラッパを吹いた。すると、天にさまざまな大声があって、こう言った。「この世の国は、我らの主と、そのメシアのものとなった。主は世々限りなく統治される。」



人間は弱い。
神が創られた大自然の前には、為す術もなく、ただ流されていくだけである。
知床で起きた事故に心を痛めつつも、そもそも人間の手に負えない大自然の中に身を置くということは、それだけ危険を伴うことであることは当然であるということを忘れてはならない。
いくら科学や技術が発達しようとも、人間は自然の一つでさえコントロールすることなどできない。
ぜったいに越えられない壁がある。
そして、それらの自然を創られた神は、さらに私たちの思いも力もはるかに超えたお方。
私たちに全てが理解できるはずもないし、神を論じる資格もないはずである。
ただ、その神が「わたしはあなたを救った。一人子キリストの命を代価として支払い、あなたの罪を赦した」と仰せられる。
もうそれだけ知っていれば十分ではないだろうか。
都で十字架にかけられたお方が、私たちのメシア救い主となった。
そのことをしっかりと覚え、弱く儚い人生をも恐れず歩んでいきたいものである。