エゼキエル45章1~9節、詩篇100篇、使徒9章32~35節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

エゼキエル 45:1 「あなたたちが、国を嗣業として割り当てるときは、土地の一部を聖なる献げ物として主にささげねばならない。その土地は、長さ二万五千アンマ、幅二万アンマであり、この領域は周囲全体にわたって聖なるものとなる。
45:2 このうち縦横五百アンマの正方形の区域を聖所の境内とし、その周囲に幅五十アンマの放牧地を設けねばならない。
45:3 あなたは、この地域から長さ二万五千アンマ、幅一万アンマを測り、そこに最も聖なる聖所を設けねばならない。
45:4 それは、この地の聖なる場所であって、神殿に仕える祭司たちのものとなる。彼らは主に仕えるために近づくことができる。それは、彼らの家を建てる場所であって、聖所の聖域でもある。
45:5 また、もう一つの長さ二万五千アンマ、幅一万アンマの地域は神殿に仕えるレビ人の所有となり、彼らの住む町となる。
45:6 あなたたちは、聖なる献げ物としてささげた献納地に沿って、幅五千アンマ、長さ二万五千アンマの区域を都の所有にしなければならない。これは、イスラエルの家全体のものである。
45:7 君主の領地は、聖なる献納地と都の所有地の両側にあって、聖なる献納地と都の所有地に隣接し、西側は西の方に、東側は東の方に広がっている。その長さは一つの部族の割り当て地の西の境から東の境に及ぶ長さに相当する。
45:8 これは、君主がイスラエルにおいて所有する土地である。わたしが立てた君主たちは、もはやわが民を虐げない。彼らはその他の土地をイスラエルの家とその部族にゆだねる。」
45:9 主なる神はこう言われる。イスラエルの君主たちよ、もう十分だ。不法と強奪をやめよ。正義と恵みの業を行い わが民を追い立てることをやめよと 主なる神は言われる。

詩篇 100:1  賛歌。感謝のために。 全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ。
100:2 喜び祝い、主に仕え 喜び歌って御前に進み出よ。
100:3 知れ、主こそ神であると。主はわたしたちを造られた。わたしたちは主のもの、その民 主に養われる羊の群れ。
100:4 感謝の歌をうたって主の門に進み 賛美の歌をうたって主の庭に入れ。感謝をささげ、御名をたたえよ。
100:5 主は恵み深く、慈しみはとこしえに 主の真実は代々に及ぶ。

使徒 9:32 ペトロは方々を巡り歩き、リダに住んでいる聖なる者たちのところへも下って行った。
9:33 そしてそこで、中風で八年前から床についていたアイネアという人に会った。
9:34 ペトロが、「アイネア、イエス・キリストがいやしてくださる。起きなさい。自分で床を整えなさい」と言うと、アイネアはすぐ起き上がった。
9:35 リダとシャロンに住む人は皆アイネアを見て、主に立ち帰った。


私たちの国に、主イエス様を信じる人は少ない。
そして、その中から、教会のために働こうと願うものは、さらに少ない。
これから、ますます状況は厳しくなっていくのだろう。
そのような状況において、働き人が働きやすいように環境を整えて行きことはとても大切なことであろう。
献身しているからとの理由だけで、無理を強要したり、理不尽なことを要求してばかりでは、今後、誰も働きを担ってくれる人は起こされなくなっていくだろう。
時代の変化と共に、これまでの考え方も変えていかなければ、全体の働きも立ち行かなくなる。

聖なる者とは、りっぱな人とか、優秀な人とか、心が清らかで、まるでイエス様のような人、という意味ではない。
むしろ反対で、弱くてもろくて、罪深い者であったものが、イエス様の贖いによって救われ、立たされている、というだけのことである。
働きに携わる人も同じ人間。
無理なことや理不尽な要求をつきつけるのではなく、どうすれば神の国の祝福を語り伝えて行くことができるのか、働きに携わる人を支えながら歩みを進めていきたい。