ヨブ14章1~14節、1ペテロ4章1~8節、マタイ27章57~66節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

ヨブ 14:1 人は女から生まれ、人生は短く 苦しみは絶えない。
14:2 花のように咲き出ては、しおれ 影のように移ろい、永らえることはない。
14:3 あなたが御目を開いて見ておられるのは このような者なのです。このようなわたしをあなたに対して 裁きの座に引き出されるのですか。
14:4 汚れたものから清いものを 引き出すことができましょうか。だれひとりできないのです。
14:5 人生はあなたが定められたとおり 月日の数もあなた次第。あなたの決定されたことを人は侵せない。
14:6 御目をこのような人間からそらせてください。彼の命は絶え 傭兵のようにその日を喜ぶでしょう。
14:7 木には希望がある、というように 木は切られても、また新芽を吹き 若枝の絶えることはない。
14:8 地におろしたその根が老い 幹が朽ちて、塵に返ろうとも
14:9 水気にあえば、また芽を吹き 苗木のように枝を張る。
14:10 だが、人間は死んで横たわる。息絶えれば、人はどこに行ってしまうのか。
14:11 海の水が涸れ 川の流れが尽きて干上がることもあろう。
14:12 だが、倒れ伏した人間は 再び立ち上がることなく 天の続くかぎりは その眠りから覚めることがない。
14:13 どうか、わたしを陰府に隠してください。あなたの怒りがやむときまで わたしを覆い隠してください。しかし、時を定めてください わたしを思い起こす時を。
14:14 人は死んでしまえば もう生きなくてもよいのです。苦役のようなわたしの人生ですから 交替の時が来るのをわたしは待ち望んでいます。

1ペテロ 4:1 キリストは肉に苦しみをお受けになったのですから、あなたがたも同じ心構えで武装しなさい。肉に苦しみを受けた者は、罪とのかかわりを絶った者なのです。
4:2 それは、もはや人間の欲望にではなく神の御心に従って、肉における残りの生涯を生きるようになるためです。
4:3 かつてあなたがたは、異邦人が好むようなことを行い、好色、情欲、泥酔、酒宴、暴飲、律法で禁じられている偶像礼拝などにふけっていたのですが、もうそれで十分です。
4:4 あの者たちは、もはやあなたがたがそのようなひどい乱行に加わらなくなったので、不審に思い、そしるのです。
4:5 彼らは、生きている者と死んだ者とを裁こうとしておられる方に、申し開きをしなければなりません。
4:6 死んだ者にも福音が告げ知らされたのは、彼らが、人間の見方からすれば、肉において裁かれて死んだようでも、神との関係で、霊において生きるようになるためなのです。
4:7 万物の終わりが迫っています。だから、思慮深くふるまい、身を慎んで、よく祈りなさい。
4:8 何よりもまず、心を込めて愛し合いなさい。愛は多くの罪を覆うからです。

マタイ 27:57 夕方になると、アリマタヤ出身の金持ちでヨセフという人が来た。この人もイエスの弟子であった。
27:58 この人がピラトのところに行って、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出た。そこでピラトは、渡すようにと命じた。
27:59 ヨセフはイエスの遺体を受け取ると、きれいな亜麻布に包み、
27:60 岩に掘った自分の新しい墓の中に納め、墓の入り口には大きな石を転がしておいて立ち去った。
27:61 マグダラのマリアともう一人のマリアとはそこに残り、墓の方を向いて座っていた。
27:62 明くる日、すなわち、準備の日の翌日、祭司長たちとファリサイ派の人々は、ピラトのところに集まって、
27:63 こう言った。「閣下、人を惑わすあの者がまだ生きていたとき、『自分は三日後に復活する』と言っていたのを、わたしたちは思い出しました。
27:64 ですから、三日目まで墓を見張るように命令してください。そうでないと、弟子たちが来て死体を盗み出し、『イエスは死者の中から復活した』などと民衆に言いふらすかもしれません。そうなると、人々は前よりもひどく惑わされることになります。」
27:65 ピラトは言った。「あなたたちには、番兵がいるはずだ。行って、しっかりと見張らせるがよい。」
27:66 そこで、彼らは行って墓の石に封印をし、番兵をおいた。



神の御子イエス様は、私たちと同じ人間としてこの世に生きられた。
私たち人間と同じように多くの苦しみを受け、そして死なれた。
死は誰にも避けることのできない悲しい現実である。
多くの痛みや苦しみ、愛する者との別れや失望感など、死の現実の前には、なんら良いことはない。
強いて言うなら、それらの苦しみから解放されるということだけであろうか。
イエス様もその死を味わわれた。
どれほど痛み、どれほど苦しみ、どれほど悲しまれたであろう。
全ては私たちのためである。

ヘブル2:14 ところで、子らは血と肉を備えているので、イエスもまた同様に、これらのものを備えられました。それは、死をつかさどる者、つまり悪魔を御自分の死によって滅ぼし、
2:15 死の恐怖のために一生涯、奴隷の状態にあった者たちを解放なさるためでした。
2:16 確かに、イエスは天使たちを助けず、アブラハムの子孫を助けられるのです。
2:17 それで、イエスは、神の御前において憐れみ深い、忠実な大祭司となって、民の罪を償うために、すべての点で兄弟たちと同じようにならねばならなかったのです。
2:18 事実、御自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです。

イエス様は、私たちを死の苦しみから解放するため、私たちの身代わりに死なれ、そして、死を打ち破られた。
これは大いなること。
イエス様は確かに死なれたけれども、三日目によみがえられた。
私たちに真の喜びをもたらすために。
その事実を覚えつつ、今日の日を過ごしたい。