民数記 13:17 モーセは、彼らをカナンの土地の偵察に遣わすにあたってこう命じた。「ネゲブに上り、更に山を登って行き、
13:18 その土地がどんな所か調べて来なさい。そこの住民が強いか弱いか、人数が多いか少ないか、
13:19 彼らの住む土地が良いか悪いか、彼らの住む町がどんな様子か、天幕を張っているのか城壁があるのか、
13:20 土地はどうか、肥えているかやせているか、木が茂っているか否かを。あなたたちは雄々しく行き、その土地の果物を取って来なさい。」それはちょうど、ぶどうの熟す時期であった。
13:21 彼らは上って行って、ツィンの荒れ野からレボ・ハマトに近いレホブまでの土地を偵察した。
13:22 彼らはネゲブを上って行き、ヘブロンに着いた。そこには、アナク人の子孫であるアヒマンとシェシャイとタルマイが住んでいた。ヘブロンはエジプトのツォアンよりも七年前に建てられた町である。
13:23 エシュコルの谷に着くと、彼らは一房のぶどうの付いた枝を切り取り、棒に下げ、二人で担いだ。また、ざくろやいちじくも取った。
13:24 この場所がエシュコルの谷と呼ばれるのは、イスラエルの人々がここで一房(エシュコル)のぶどうを切り取ったからである。
13:25 四十日の後、彼らは土地の偵察から帰って来た。
13:26 パランの荒れ野のカデシュにいるモーセ、アロンおよびイスラエルの人々の共同体全体のもとに来ると、彼らと共同体全体に報告をし、その土地の果物を見せた。
13:27 彼らはモーセに説明して言った。「わたしたちは、あなたが遣わされた地方に行って来ました。そこは乳と蜜の流れる所でした。これがそこの果物です。
詩篇 39:1 指揮者によって。エドトンの詩。賛歌。ダビデの詩。
39:2 わたしは言いました。「わたしの道を守ろう、舌で過ちを犯さぬように。神に逆らう者が目の前にいる。わたしの口にくつわをはめておこう。」
39:3 わたしは口を閉ざして沈黙し あまりに黙していたので苦しみがつのり
39:4 心は内に熱し、呻いて火と燃えた。わたしは舌を動かして話し始めた。
39:5 「教えてください、主よ、わたしの行く末を わたしの生涯はどれ程のものか いかにわたしがはかないものか、悟るように。」
39:6 御覧ください、与えられたこの生涯は 僅か、手の幅ほどのもの。御前には、この人生も無に等しいのです。ああ、人は確かに立っているようでも すべて空しいもの。
39:7 ああ、人はただ影のように移ろうもの。ああ、人は空しくあくせくし だれの手に渡るとも知らずに積み上げる。
39:8 主よ、それなら 何に望みをかけたらよいのでしょう。わたしはあなたを待ち望みます。
39:9 あなたに背いたすべての罪からわたしを救い 神を知らぬ者というそしりを 受けないようにしてください。
39:10 わたしは黙し、口を開きません。あなたが計らってくださるでしょう。
39:11 わたしをさいなむその御手を放してください。御手に撃たれてわたしは衰え果てました。
39:12 あなたに罪を責められ、懲らしめられて 人の欲望など虫けらのようについえます。ああ、人は皆、空しい。
39:13 主よ、わたしの祈りを聞き 助けを求める叫びに耳を傾けてください。わたしの涙に沈黙していないでください。わたしは御もとに身を寄せる者 先祖と同じ宿り人。
39:14 あなたの目をわたしからそらせ 立ち直らせてください わたしが去り、失われる前に。
ルカ 13:18 そこで、イエスは言われた。「神の国は何に似ているか。何にたとえようか。
13:19 それは、からし種に似ている。人がこれを取って庭に蒔くと、成長して木になり、その枝には空の鳥が巣を作る。」
13:20 また言われた。「神の国を何にたとえようか。
13:21 パン種に似ている。女がこれを取って三サトンの粉に混ぜると、やがて全体が膨れる。」
イエス様は、神の国について、からし種やパン種にたとえて語られている。
からし種は、人がそれを庭に蒔くと、成長して木になり、やがてその枝に空の鳥が巣を作るまでになると語られる。
そして、パン種は、女がそれをとって三サトンの粉に混ぜると、やがれ全体が膨れると語られている。
しかし、それらはあくまでそのような可能性を秘めているということであり、結果を期待して行動しなければ、からし種はからし種のまま、パン種もパン種のままである。
ただ、イエス様はそれらのことも含めて、神の国とはそのようなものであると仰せられているのだろう。
蒔いているのに、なぜ大きく育たないのか、混ぜているのに、なぜ増え広がって行かないのかと悩むこともあるかもしれないが、イエス様は神の国は「からし種」のようであり「パン種」のようであると語られている。
結果はすぐに現れるとは限らないし、もしかしたら、上手くいかないこともあるかもしれない。
おおよそ、全ての事は時間がかかる。
それでも、イエス様が「ここに神の国がある」と仰せられれば、結果が出ていなくとも、そこはもはや神の国なのだ。
私たちの目に見えていないだけ、信じようとしていないだけなのかもしれない。
マルコ8:14 弟子たちはパンを持って来るのを忘れ、舟の中には一つのパンしか持ち合わせていなかった。
8:15 そのとき、イエスは、「ファリサイ派の人々のパン種とヘロデのパン種によく気をつけなさい」と戒められた。
8:16 弟子たちは、これは自分たちがパンを持っていないからなのだ、と論じ合っていた。
8:17 イエスはそれに気づいて言われた。「なぜ、パンを持っていないことで議論するのか。まだ、分からないのか。悟らないのか。心がかたくなになっているのか。
8:18 目があっても見えないのか。耳があっても聞こえないのか。覚えていないのか。
8:19 わたしが五千人に五つのパンを裂いたとき、集めたパンの屑でいっぱいになった籠は、幾つあったか。」弟子たちは、「十二です」と言った。
8:20 「七つのパンを四千人に裂いたときには、集めたパンの屑でいっぱいになった籠は、幾つあったか。」「七つです」と言うと、
8:21 イエスは、「まだ悟らないのか」と言われた。
大切なことは信じる心を絶やさず、イエス様を信じて従っていくことである。