出エジプト33章1~6節、詩篇105篇1~42節、ローマ4章1~12節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

出エジプト 33:1 主はモーセに仰せになった。「さあ、あなたも、あなたがエジプトの国から導き上った民も、ここをたって、わたしがアブラハム、イサク、ヤコブに誓って、『あなたの子孫にそれを与える』と言った土地に上りなさい。
33:2 わたしは、使いをあなたに先立って遣わし、カナン人、アモリ人、ヘト人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人を追い出す。
33:3 あなたは乳と蜜の流れる土地に上りなさい。しかし、わたしはあなたの間にあって上ることはしない。途中であなたを滅ぼしてしまうことがないためである。あなたはかたくなな民である。」
33:4 民はこの悪い知らせを聞いて嘆き悲しみ、一人も飾りを身に着けなかった。
33:5 主がモーセに、「イスラエルの人々に告げなさい。『あなたたちはかたくなな民である。わたしがひとときでも、あなたの間にあって上るならば、あなたを滅ぼしてしまうかもしれない。直ちに、身に着けている飾りを取り去りなさい。そうすれば、わたしはあなたをどのようにするか考えよう』」と言われたので、
33:6 イスラエルの人々は、ホレブ山をたって後、飾りをはずした。

詩篇 105:1 主に感謝をささげて御名を呼べ。諸国の民に御業を示せ。
105:2 主に向かって歌い、ほめ歌をうたい 驚くべき御業をことごとく歌え。
105:3 聖なる御名を誇りとせよ。主を求める人よ、心に喜びを抱き
105:4 主を、主の御力を尋ね求め 常に御顔を求めよ。
105:5 主の成し遂げられた驚くべき御業と奇跡を 主の口から出る裁きを心に留めよ。
105:6 主の僕アブラハムの子孫よ ヤコブの子ら、主に選ばれた人々よ。
105:7 主はわたしたちの神 主の裁きは全地に及ぶ。
105:8 主はとこしえに契約を御心に留められる 千代に及ぼすように命じられた御言葉を
105:9 アブラハムと結ばれた契約 イサクに対する誓いを。
105:10 主はそれをヤコブに対する掟とし イスラエルへのとこしえの契約として立て
105:11 宣言された 「わたしはあなたにカナンの地を 嗣業として継がせよう」と。
105:12 その地で、彼らはまだ数少なく 寄留の民の小さな群れで
105:13 国から国へ ひとつの王国から他の民のもとへと移って行った。
105:14 主は彼らを虐げることをだれにも許さず 彼らのことを、王たちに戒めて言われた
105:15 「わたしが油を注いだ人々に触れるな わたしの預言者たちに災いをもたらすな」と。
105:16 主はこの地に飢饉を呼び パンの備えをことごとく絶やされたが
105:17 あらかじめひとりの人を遣わしておかれた。奴隷として売られたヨセフ。
105:18 主は、人々が彼を卑しめて足枷をはめ 首に鉄の枷をはめることを許された
105:19 主の仰せが彼を火で練り清め 御言葉が実現するときまで。
105:20 王は人を遣わして彼を解き放った。諸国を支配する王が彼を自由の身にし
105:21 彼を王宮の頭に取り立て 財産をすべて管理させた。
105:22 彼は大臣たちを思いのままに戒め 長老たちに知恵を授けた。
105:23 イスラエルはエジプトに下り ヤコブはハムの地に宿った。
105:24 主は御自分の民を大いに増やし 敵よりも強くされた。
105:25 主が彼らの心を変えられたので 彼らは主の民を憎み 主の僕たちを悪だくみをもって扱った。
105:26 主は僕モーセを遣わし アロンを選んで遣わされた。
105:27 彼らは人々に御言葉としるしを伝え ハムの地で奇跡を行い
105:28 御言葉に逆らわなかった。主は闇を送って、地を暗くされた。
105:29 主が川の水を血に変えられたので、魚は死んだ。
105:30 その地には蛙が群がり、王宮の奥に及んだ。
105:31 主が命じられると、あぶが発生し ぶよが国中に満ちた。
105:32 主は雨に代えて雹を降らせ 燃える火を彼らの国に下された。
105:33 主はぶどうといちじくを打ち 国中の木を折られた。
105:34 主が命じられると、いなごが発生し 数えきれないいなごがはい回り
105:35 国中の草を食い尽くし 大地の実りを食い尽くした。
105:36 主はこの国の初子をすべて撃ち 彼らの力の最初の実りをことごとく撃たれた。
105:37 主は金銀を持たせて民を導き出された。どの部族にも、落伍する者はひとりもなかった。
105:38 エジプトは恐怖に襲われていたから 彼らが出て行くのを喜んだ。
105:39 主は雲を広げて覆いとし 火をもって夜を照らされた。
105:40 民が求めると、主はうずらをもたらし 天のパンをもって彼らを満足させられた。
105:41 主が岩を開かれると、水がほとばしり 大河となって、乾いた地を流れた。
105:42 主は聖なる御言葉を御心に留め 僕アブラハムを御心に留められた。

ローマ 4:1 では、肉によるわたしたちの先祖アブラハムは何を得たと言うべきでしょうか。
4:2 もし、彼が行いによって義とされたのであれば、誇ってもよいが、神の前ではそれはできません。
4:3 聖書には何と書いてありますか。「アブラハムは神を信じた。それが、彼の義と認められた」とあります。
4:4 ところで、働く者に対する報酬は恵みではなく、当然支払われるべきものと見なされています。
4:5 しかし、不信心な者を義とされる方を信じる人は、働きがなくても、その信仰が義と認められます。
4:6 同じようにダビデも、行いによらずに神から義と認められた人の幸いを、次のようにたたえています。
4:7 「不法が赦され、罪を覆い隠された人々は、幸いである。
4:8 主から罪があると見なされない人は、幸いである。」
4:9 では、この幸いは、割礼を受けた者だけに与えられるのですか。それとも、割礼のない者にも及びますか。わたしたちは言います。「アブラハムの信仰が義と認められた」のです。
4:10 どのようにしてそう認められたのでしょうか。割礼を受けてからですか。それとも、割礼を受ける前ですか。割礼を受けてからではなく、割礼を受ける前のことです。
4:11 アブラハムは、割礼を受ける前に信仰によって義とされた証しとして、割礼の印を受けたのです。こうして彼は、割礼のないままに信じるすべての人の父となり、彼らも義と認められました。
4:12 更にまた、彼は割礼を受けた者の父、すなわち、単に割礼を受けているだけでなく、わたしたちの父アブラハムが割礼以前に持っていた信仰の模範に従う人々の父ともなったのです。


主なる神様は、アブラハムの信仰を見て彼を義とされたと聖書には語られている。
彼の行いに救いの根拠があるのではない。
ただただ神の恵みと憐れみによるのである。
しかし人は弱く、その人の行いをみがちである。
あの人はどうだとか、この人のここがどうとか、どうしてもその行為や言動ばかりに注目してしまう。
人は他人の内面まで見ることはできない。
信じているのならば、行動で示せと言われることもあるが、行動できない時もあるし、そうだとして、その人に信仰がないわけではない。
神の恵みと憐れみのゆえに、神を信じているし、救われているのだ。
それは誰がなんと言おうと、どう思おうと変わることはない。
アブラハムは救われたしるしとして割礼を受けた。
救われるために受けたのではない。
すでに救われている者として彼も生きたのである。
だから、誰になんと言われようと、どう思われようと、イエス様の十字架を見るならば、救われている事実にはかわりないのだということを覚えつつ、喜びと平安の中を歩んで行きたいものである。