出エジプト 5:10 民を追い使う者と下役の者は出て行き、民に向かって、「ファラオはこう言われる。『今後、お前たちにわらは一切与えない。
5:11 お前たちはどこにでも行って、自分でわらを見つけて取って来い。ただし、仕事の量は少しも減らさない』」と言ったので、
5:12 民はエジプト中に散ってわらの切り株まで集めた。
5:13 追い使う者たちは、「わらがあったときと同じように、その日の割り当てをその日のうちに仕上げろ」と言って、せきたてた。
5:14 ファラオに任命された追い使う者たちは、監督として置いたイスラエルの人々の下役の者らに、「どうして、今までと同じ決められた量のれんがをその日のうちに仕上げることができないのか」と言って、彼らを打ったので、
5:15 イスラエルの人々の下役の者らはファラオのもとに行って、訴えた。「どうしてあなたは僕たちにこのようにされるのですか。
5:16 僕らにはわらが与えられません。それでも、れんがを作れと言われて、僕らは打たれているのです。間違っているのはあなたの民の方です。」
5:17 彼は言った。「この怠け者めが。お前たちは怠け者なのだ。だから、主に犠牲をささげに行かせてくださいなどと言うのだ。
5:18 すぐに行って働け。わらは与えない。しかし、割り当てられた量のれんがは必ず仕上げよ。」
5:19 イスラエルの人々の下役の者たちは、「れんがの一日の割り当ては減らすな」と命じられて、自分たちが苦境に立たされたことを悟った。
5:20 彼らがファラオのもとから退出して来ると、待ち受けていたモーセとアロンに会った。
5:21 彼らは、二人に抗議した。「どうか、主があなたたちに現れてお裁きになるように。あなたたちのお陰で、我々はファラオとその家来たちに嫌われてしまった。我々を殺す剣を彼らの手に渡したのと同じです。」
5:22 モーセは主のもとに帰って、訴えた。「わが主よ。あなたはなぜ、この民に災いをくだされるのですか。わたしを遣わされたのは、一体なぜですか。
5:23 わたしがあなたの御名によって語るため、ファラオのもとに行ってから、彼はますますこの民を苦しめています。それなのに、あなたは御自分の民を全く救い出そうとされません。」
詩篇 91:1 いと高き神のもとに身を寄せて隠れ 全能の神の陰に宿る人よ
91:2 主に申し上げよ 「わたしの避けどころ、砦 わたしの神、依り頼む方」と。
91:9 あなたは主を避けどころとし いと高き神を宿るところとした。
91:10 あなたには災難もふりかかることがなく 天幕には疫病も触れることがない。
91:11 主はあなたのために、御使いに命じて あなたの道のどこにおいても守らせてくださる。
91:12 彼らはあなたをその手にのせて運び 足が石に当たらないように守る。
91:13 あなたは獅子と毒蛇を踏みにじり 獅子の子と大蛇を踏んで行く。
91:14 「彼はわたしを慕う者だから 彼を災いから逃れさせよう。わたしの名を知る者だから、彼を高く上げよう。
91:15 彼がわたしを呼び求めるとき、彼に答え 苦難の襲うとき、彼と共にいて助け 彼に名誉を与えよう。
91:16 生涯、彼を満ち足らせ わたしの救いを彼に見せよう。」
使徒 7:30 四十年たったとき、シナイ山に近い荒れ野において、柴の燃える炎の中で、天使がモーセの前に現れました。
7:31 モーセは、この光景を見て驚きました。もっとよく見ようとして近づくと、主の声が聞こえました。
7:32 『わたしは、あなたの先祖の神、アブラハム、イサク、ヤコブの神である』と。モーセは恐れおののいて、それ以上見ようとはしませんでした。
7:33 そのとき、主はこう仰せになりました。『履物を脱げ。あなたの立っている所は聖なる土地である。
7:34 わたしは、エジプトにいるわたしの民の不幸を確かに見届け、また、その嘆きを聞いたので、彼らを救うために降って来た。さあ、今あなたをエジプトに遣わそう。』
イスラエルの民がエジプトで苦難の生活を強いられていた時、主なる神様はモーセを召し、イスラエルの民をエジプトの奴隷生活から解放された。
しかし、モーセはただ主なる神様が命じられた通りに行動し、主なる神様から告げられた御言葉を民に語っただけである。
なんら、彼自身の知恵や力が用いられたわけではない。
むしろ、彼は人殺しをしたり、それを隠そうとしたりするなど、決して正しい人ではなかった。
そんなモーセであったが、むしろ、そんなモーセだったからこそ、神の導きに従って行動していったのかもしれない。
もっとも、神に召された時のモーセは、すでにかなりの年齢になっていて、いろんなことを行ったり、高い山に登ったり下りたりを何度も繰り返したりといったことは、体にもこたえたことであろう。
しかしモーセは神に従った。
従ったというより、そうせざるを得なかったし、そうしたいと思ったことであろう。
己の罪に打ち震える者は、その罪を赦して頂くことをことさら喜ぶし、赦して頂いた方に仕えたいと思うのは当然のことであるからである。
自分の思いや考えを実現するために生きて行こうとしても、辛いことや苦しいことは多い。
神に従って生きていく時も、辛いことや苦しいことがないわけではないが、神の愛と赦しの約束に突き動かされるように用いられていくのであろう。
一人の失われた魂の救いのために生かされていくことを導いて頂きたいものである。