エレミヤ3章1~5節、詩篇36篇6~11節、使徒8章18~24節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

エレミヤ 3:1 もし人がその妻を出し 彼女が彼のもとを去って 他の男のものとなれば 前の夫は彼女のもとに戻るだろうか。その地は汚れてしまうではないか。お前は多くの男と淫行にふけったのに わたしに戻ろうと言うのかと 主は言われる。
3:2 目を上げて裸の山々を見よ お前が男に抱かれなかった所があろうか。荒れ野でアラビア人が座っているように お前は道端に座って彼らを待つ。淫行の悪によってお前はこの地を汚した。
3:3 雨がとどめられ 春の雨も降らなかったのはそのためだ。お前には遊女の額があり 少しも恥じようとしない。
3:4 「あなたは、わが父、わたしの若い日の夫」と お前がわたしに呼びかけるのは 今が初めてだろうか。
3:5 「主はいつまでも憤り 限りなく怒り続けるだろうか」と お前は言いながら悪を重ねる。それでもお前は平気だ。

詩篇 36:6 主よ、あなたの慈しみは天に あなたの真実は大空に満ちている。
36:7 恵みの御業は神の山々のよう あなたの裁きは大いなる深淵。主よ、あなたは人をも獣をも救われる。
36:8 神よ、慈しみはいかに貴いことか。あなたの翼の陰に人の子らは身を寄せ
36:9 あなたの家に滴る恵みに潤い あなたの甘美な流れに渇きを癒す。
36:10 命の泉はあなたにあり あなたの光に、わたしたちは光を見る。
36:11 あなたを知る人の上に 慈しみが常にありますように。心のまっすぐな人の上に 恵みの御業が常にありますように。

使徒 8:18 シモンは、使徒たちが手を置くことで、"霊"が与えられるのを見、金を持って来て、
8:19 言った。「わたしが手を置けば、だれでも聖霊が受けられるように、わたしにもその力を授けてください。」
8:20 すると、ペトロは言った。「この金は、お前と一緒に滅びてしまうがよい。神の賜物を金で手に入れられると思っているからだ。
8:21 お前はこのことに何のかかわりもなければ、権利もない。お前の心が神の前に正しくないからだ。
8:22 この悪事を悔い改め、主に祈れ。そのような心の思いでも、赦していただけるかもしれないからだ。
8:23 お前は腹黒い者であり、悪の縄目に縛られていることが、わたしには分かっている。」
8:24 シモンは答えた。「おっしゃったことが何一つわたしの身に起こらないように、主に祈ってください。」



人間とは、どこまでいっても罪深い存在である。
神と出会い、神に赦され、神に生かされていることを知った後も、変わらず罪を犯してしまうような愚かな存在である。
一方、主なる神はいつでも慈愛に満ち、いつでも豊かな恵みと祝福をもって私たちを赦そうとしておられる。
人間の思いと神の思いとの間には、これほどまでに大きなズレがある。
そのズレのゆえに、キリストは十字架で死なれたのである。
私たちの罪のために神の御子イエス様が身代わりとなって死んで下さった。
私たちは、その事実の前にのみ、存在しうることを忘れてはならない。
いつまでも罪に囚われ、自分勝手な考えに従って行動し続けることは、神への背信であり、敵対行動とも言える。
そのような状態は、生きているようでも、本当は滅んでいる。
だから、神のみ旨に適う生き方ができなくても、せめて心のあり方だけは神に背負向けず、真正面から向き合って、正々堂々と罪赦された者として生きていきたい。
それこそが、本当の意味で「人が生きている」と言える状態なのだから。