ミカ 4:6 その日が来れば、と主は言われる。わたしは足の萎えた者を集め 追いやられた者を呼び寄せる。わたしは彼らを災いに遭わせた。
4:7 しかし、わたしは足の萎えた者を 残りの民としていたわり 遠く連れ去られた者を強い国とする。シオンの山で、今よりとこしえに 主が彼らの上に王となられる。
4:8 羊の群れを見張る塔よ、娘シオンの砦よ かつてあった主権が、娘エルサレムの王権が お前のもとに再び返って来る。
ルカ 1:47 「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
1:48 身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう、
1:49 力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。その御名は尊く、
1:50 その憐れみは代々に限りなく、主を畏れる者に及びます。
1:51 主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、
1:52 権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、
1:53 飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます。
1:54 その僕イスラエルを受け入れて、憐れみをお忘れになりません、
1:55 わたしたちの先祖におっしゃったとおり、アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」
2ペテロ 1:16 わたしたちの主イエス・キリストの力に満ちた来臨を知らせるのに、わたしたちは巧みな作り話を用いたわけではありません。わたしたちは、キリストの威光を目撃したのです。
1:17 荘厳な栄光の中から、「これはわたしの愛する子。わたしの心に適う者」というような声があって、主イエスは父である神から誉れと栄光をお受けになりました。
1:18 わたしたちは、聖なる山にイエスといたとき、天から響いてきたこの声を聞いたのです。
1:19 こうして、わたしたちには、預言の言葉はいっそう確かなものとなっています。夜が明け、明けの明星があなたがたの心の中に昇るときまで、暗い所に輝くともし火として、どうかこの預言の言葉に留意していてください。
1:20 何よりもまず心得てほしいのは、聖書の預言は何一つ、自分勝手に解釈すべきではないということです。
1:21 なぜなら、預言は、決して人間の意志に基づいて語られたのではなく、人々が聖霊に導かれて神からの言葉を語ったものだからです。
主なる神様は、歴史を通して様々な方法で神の救いの御業について語りかけてこられた。
ある時はイスラエルの民族の歴史であったり、ある時は預言者を通じて語られたり、そして、ついには御子イエス様のご生涯をもって余るところなく神の救いの御業について現わされた。
しかし、それらはすべて「神」が「わたし」に対して語りかけるものである。
多くの人々に向けて語られている言葉も、基本、聞く人はみな一人一人の人間である。
だから、主の御言葉は常に「神とわたし」という一対一の関係において語られているし、それゆえ、イエス様の十字架と復活の御業が「わたし」のためのものであることがわかり、その救いを実現して下さったお方が「わたし」の「主」となりうるのである。
しかし、それと同時に、主なる神様は、わたし一人を救おうとしているのではない。
全ての人を愛し、救おうとしておられる。
だから、そこには神に愛され、救われた多くの民がいる。
もし、神の御言葉を自分一人だけで聞こうとするなら、それこそ、そこには御言葉を私的に解釈してしまう危険性があるため、聖霊の導きのもとに、きちんとした解説であったり、御言葉が正しく語られるところで聞くということを大事にすべきであろう。
一人で聖書を読んだり祈ったりすること自体は悪いことではないが、神が多くの民を愛し、救いへと導き、共同体として歩む道へと導いかれていることを覚えたい。
教会で毎聖日に礼拝を守り、そこで御言葉を聞くことは、とても大切な事である。
エフェソ1:15 こういうわけで、わたしも、あなたがたが主イエスを信じ、すべての聖なる者たちを愛していることを聞き、
1:16 祈りの度に、あなたがたのことを思い起こし、絶えず感謝しています。
1:17 どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の源である御父が、あなたがたに知恵と啓示との霊を与え、神を深く知ることができるようにし、
1:18 心の目を開いてくださるように。そして、神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか悟らせてくださるように。
1:19 また、わたしたち信仰者に対して絶大な働きをなさる神の力が、どれほど大きなものであるか、悟らせてくださるように。
1:20 神は、この力をキリストに働かせて、キリストを死者の中から復活させ、天において御自分の右の座に着かせ、
1:21 すべての支配、権威、勢力、主権の上に置き、今の世ばかりでなく、来るべき世にも唱えられるあらゆる名の上に置かれました。
1:22 神はまた、すべてのものをキリストの足もとに従わせ、キリストをすべてのものの上にある頭として教会にお与えになりました。
1:23 教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です。
教会はキリストのからだである。教会がキリストのからだである以上、教会で語られる御言葉は、キリストの言葉である。そして、その御言葉を聞く者も、一人一人がキリストのからだの一部であり、神に愛され救われた者たちの集まり、主にある共同体であることを覚え、そこにつながり、共に歩んでくことを大切にしたいものである。