創世記30章1~24節、詩篇113篇、ローマ8章18~30節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

創世記 30:1 ラケルは、ヤコブとの間に子供ができないことが分かると、姉をねたむようになり、ヤコブに向かって、「わたしにもぜひ子供を与えてください。与えてくださらなければ、わたしは死にます」と言った。
30:2 ヤコブは激しく怒って、言った。「わたしが神に代われると言うのか。お前の胎に子供を宿らせないのは神御自身なのだ。」
30:3 ラケルは、「わたしの召し使いのビルハがいます。彼女のところに入ってください。彼女が子供を産み、わたしがその子を膝の上に迎えれば、彼女によってわたしも子供を持つことができます」と言った。
30:4 ラケルはヤコブに召し使いビルハを側女として与えたので、ヤコブは彼女のところに入った。
30:5 やがて、ビルハは身ごもってヤコブとの間に男の子を産んだ。
30:6 そのときラケルは、「わたしの訴えを神は正しくお裁き(ディン)になり、わたしの願いを聞き入れ男の子を与えてくださった」と言った。そこで、彼女はその子をダンと名付けた。
30:7 ラケルの召し使いビルハはまた身ごもって、ヤコブとの間に二人目の男の子を産んだ。
30:8 そのときラケルは、「姉と死に物狂いの争いをして(ニフタル)、ついに勝った」と言って、その名をナフタリと名付けた。
30:9 レアも自分に子供ができなくなったのを知ると、自分の召し使いジルパをヤコブに側女として与えたので、
30:10 レアの召し使いジルパはヤコブとの間に男の子を産んだ。
30:11 そのときレアは、「なんと幸運な(ガド)」と言って、その子をガドと名付けた。
30:12 レアの召し使いジルパはヤコブとの間に二人目の男の子を産んだ。
30:13 そのときレアは、「なんと幸せなこと(アシェル)か。娘たちはわたしを幸せ者と言うにちがいない」と言って、その子をアシェルと名付けた。
30:14 小麦の刈り入れのころ、ルベンは野原で恋なすびを見つけ、母レアのところへ持って来た。ラケルがレアに、「あなたの子供が取って来た恋なすびをわたしに分けてください」と言うと、
30:15 レアは言った。「あなたは、わたしの夫を取っただけでは気が済まず、わたしの息子の恋なすびまで取ろうとするのですか。」「それでは、あなたの子供の恋なすびの代わりに、今夜あの人があなたと床を共にするようにしましょう」とラケルは答えた。
30:16 夕方になり、ヤコブが野原から帰って来ると、レアは出迎えて言った。「あなたはわたしのところに来なければなりません。わたしは、息子の恋なすびであなたを雇ったのですから。」その夜、ヤコブはレアと寝た。
30:17 神がレアの願いを聞き入れられたので、レアは身ごもってヤコブとの間に五人目の男の子を産んだ。
30:18 そのときレアは、「わたしが召し使いを夫に与えたので、神はその報酬(サカル)をくださった」と言って、その子をイサカルと名付けた。
30:19 レアはまた身ごもって、ヤコブとの間に六人目の男の子を産んだ。
30:20 そのときレアは、「神がすばらしい贈り物をわたしにくださった。今度こそ、夫はわたしを尊敬してくれる(ザバル)でしょう。夫のために六人も男の子を産んだのだから」と言って、その子をゼブルンと名付けた。
30:21 その後、レアは女の子を産み、その子をディナと名付けた。
30:22 しかし、神はラケルも御心に留め、彼女の願いを聞き入れその胎を開かれたので、
30:23 ラケルは身ごもって男の子を産んだ。そのときラケルは、「神がわたしの恥をすすいでくださった」と言った。
30:24 彼女は、「主がわたしにもう一人男の子を加えてくださいますように(ヨセフ)」と願っていたので、その子をヨセフと名付けた。

詩篇 113:1 ハレルヤ。主の僕らよ、主を賛美せよ 主の御名を賛美せよ。
113:2 今よりとこしえに 主の御名がたたえられるように。
113:3 日の昇るところから日の沈むところまで 主の御名が賛美されるように。
113:4 主はすべての国を超えて高くいまし 主の栄光は天を超えて輝く。
113:5 わたしたちの神、主に並ぶものがあろうか。主は御座を高く置き
113:6 なお、低く下って天と地を御覧になる。
113:7 弱い者を塵の中から起こし 乏しい者を芥の中から高く上げ
113:8 自由な人々の列に 民の自由な人々の列に返してくださる。
113:9 子のない女を家に返し 子を持つ母の喜びを与えてくださる。ハレルヤ。

ローマ 8:18 現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないとわたしは思います。
8:19 被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます。
8:20 被造物は虚無に服していますが、それは、自分の意志によるものではなく、服従させた方の意志によるものであり、同時に希望も持っています。
8:21 つまり、被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。
8:22 被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。
8:23 被造物だけでなく、"霊"の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。
8:24 わたしたちは、このような希望によって救われているのです。見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ているものをだれがなお望むでしょうか。
8:25 わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。
8:26 同様に、"霊"も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、"霊"自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。
8:27 人の心を見抜く方は、"霊"の思いが何であるかを知っておられます。"霊"は、神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからです。
8:28 神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。
8:29 神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。それは、御子が多くの兄弟の中で長子となられるためです。
8:30 神はあらかじめ定められた者たちを召し出し、召し出した者たちを義とし、義とされた者たちに栄光をお与えになったのです。


ヤコブの妻となったラケルは、自分には子どもがいないのに、姉のレアには多くの子がいることを妬み、ついに、自分の奴隷ビルハを用いて自分とヤコブの子として産ませようとするのである。
一方、姉のレアもラケルに対抗して自分の奴隷ジルパにも子を産ませようとし、競い合うように子供が生まれていくことになる。
生まれてきた子たちの名前は、裁き、争い、幸運、幸せ、報酬、尊敬、加える、といった言葉に由来するものである。
いずれも、この世における祝福を切に願う思いがにじみ出たものと言えるが、このような背景のもとで名付けられた経緯をみていくと、愛と祝福というよりも、妬みと争いに満ちた、いかにもこの世的なご利益を追い求めた、欲望の世界に生きる人間の生の姿がそのまま反映されているものであることが伺える。
もちろん、親が自分の子どもの祝福を願うのは当然のことであるし、必ずしも悪いことではない。
しかし、彼らが追い求めた祝福は、あくまでこの世における祝福でしかなく、いつか消えてなくなるものであり、それらの多くは、この世における様々な争いや戦いの原因となっていくものであろう。
ラケルとレアは、妬みと対抗心によって自分を見失い、勢い余って奴隷や自分の子どもまで、まるで自分の道具であるかのようにモノ扱いをし、醜い争いに引きずり込んでいった。
子どもは親の所有物ではない。
いろんなことを教えたり、養ったりしていくことは大切であるが、自分と同じ一人の命である。
親の欲望を実現するために、子どもが犠牲になっていくようなことがあってはならない。
むしろ、主なる神様は、神の子ども達の救いと祝福のために、自らの命を犠牲にしてくださったようなお方であることを覚え、愛と憐れみの心をもって、子たちや次の世代の人たちを見守り、世に送り出していきたいものである。