アモス6章1~8節、イザヤ12章2~6節、2コリント8章1~15節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

アモス 6:1 災いだ、シオンに安住し サマリアの山で安逸をむさぼる者らは。諸国民の頭である国に君臨し イスラエルの家は彼らに従っている。
6:2 カルネに赴いて、よく見よ。そこから、ハマト・ラバに行き ペリシテ人のガトに下れ。お前たちはこれらの王国にまさっているか。彼らの領土は お前たちの領土より大きいか。
6:3 お前たちは災いの日を遠ざけようとして 不法による支配を引き寄せている。
6:4 お前たちは象牙の寝台に横たわり 長いすに寝そべり 羊の群れから小羊を取り 牛舎から子牛を取って宴を開き
6:5 竪琴の音に合わせて歌に興じ ダビデのように楽器を考え出す。
6:6 大杯でぶどう酒を飲み 最高の香油を身に注ぐ。しかし、ヨセフの破滅に心を痛めることがない。
6:7 それゆえ、今や彼らは捕囚の列の先頭を行き 寝そべって酒宴を楽しむことはなくなる。
6:8 主なる神は御自分を指して誓われる。万軍の神なる主は言われる。わたしはヤコブの誇る神殿を忌み嫌い その城郭を憎む。わたしは都とその中のすべてのものを敵に渡す。

イザヤ 12:2 見よ、わたしを救われる神。わたしは信頼して、恐れない。主こそわたしの力、わたしの歌 わたしの救いとなってくださった。」
12:3 あなたたちは喜びのうちに 救いの泉から水を汲む。
12:4 その日には、あなたたちは言うであろう。「主に感謝し、御名を呼べ。諸国の民に御業を示し 気高い御名を告げ知らせよ。
12:5 主にほめ歌をうたえ。主は威厳を示された。全世界にその御業を示せ。
12:6 シオンに住む者よ 叫び声をあげ、喜び歌え。イスラエルの聖なる方は あなたたちのただ中にいます大いなる方。」

2コリント 8:1 兄弟たち、マケドニア州の諸教会に与えられた神の恵みについて知らせましょう。
8:2 彼らは苦しみによる激しい試練を受けていたのに、その満ち満ちた喜びと極度の貧しさがあふれ出て、人に惜しまず施す豊かさとなったということです。
8:3 わたしは証ししますが、彼らは力に応じて、また力以上に、自分から進んで、
8:4 聖なる者たちを助けるための慈善の業と奉仕に参加させてほしいと、しきりにわたしたちに願い出たのでした。
8:5 また、わたしたちの期待以上に、彼らはまず主に、次いで、神の御心にそってわたしたちにも自分自身を献げたので、
8:6 わたしたちはテトスに、この慈善の業をあなたがたの間で始めたからには、やり遂げるようにと勧めました。
8:7 あなたがたは信仰、言葉、知識、あらゆる熱心、わたしたちから受ける愛など、すべての点で豊かなのですから、この慈善の業においても豊かな者となりなさい。
8:8 わたしは命令としてこう言っているのではありません。他の人々の熱心に照らしてあなたがたの愛の純粋さを確かめようとして言うのです。
8:9 あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。
8:10 この件についてわたしの意見を述べておきます。それがあなたがたの益になるからです。あなたがたは、このことを去年から他に先がけて実行したばかりでなく、実行したいと願ってもいました。
8:11 だから、今それをやり遂げなさい。進んで実行しようと思ったとおりに、自分が持っているものでやり遂げることです。
8:12 進んで行う気持があれば、持たないものではなく、持っているものに応じて、神に受け入れられるのです。
8:13 他の人々には楽をさせて、あなたがたに苦労をかけるということではなく、釣り合いがとれるようにするわけです。
8:14 あなたがたの現在のゆとりが彼らの欠乏を補えば、いつか彼らのゆとりもあなたがたの欠乏を補うことになり、こうして釣り合いがとれるのです。
8:15 「多く集めた者も、余ることはなく、わずかしか集めなかった者も、不足することはなかった」と書いてあるとおりです。


コリントの手紙には、マケドニアのクリスチャンたちの取った行動について記されている。
彼らは裕福ではなく、むしろ極度の貧しさの中にあったにも関わらず、人に惜しまず施す働きを強いられてではなく、自ら進んで行っていた。
なぜそこまでのことができたのかとも思うが、彼らの心が豊かであったからということなのだろう。
持っている財産の多さが問題なのではなく、どれだけ他者のことに思いを寄せていくことができるか、何も持っていなくても他者のために祈り、支えて行こうとするその姿勢こそが真の豊かさなのであるということをマケドニアのクリスチャンたちは教えてくれる。
そしてそれはイエス様の生き方に基づくものである。
イエス様こそ、何も財産など持っていなかったが、ご自分の命を私たちのために捧げて下さり、永遠の命と救いの約束を与えて下さった。
イエス様は信じる全ての者に命と救いを与えて下さる。
それと引き換えに、私たちの罪のゆえに受けねばならない死の裁きを、あの十字架で受けて下さった。
多くの負債を引き取って下さっただけでも、大きな財産を与えられたようなものであろう。
何も与えるものなど無くても良い。
思いと行いが他者のために向かっていくのなら、それは本当に豊かなことなのである。