tablaboyの道日記 -7ページ目

tablaboyの道日記

祈りによる世界平和運動、祈り研究をライフワークとし、音楽、散歩が趣味です。音楽に関する記事、スピリチュアリティーに関する記事、祈りに関する記事、随時アップしてゆきますので、楽しんでください(^^♪ 世界人類が平和でありますように

 

 

最近、高橋先生のこの本を読んだのですが、とてもとてもよい、参考になるご本です。

 

師と弟子、聖者と弟子、聖者の姿・・・

 

ニューエイジやスピリチュアルリズム、心霊科学などと全く違う範疇の道、悟り、覚者への道を体験を通して明らかにされています。

 

聖者とその弟子は、信頼という絆でむすばれています。

 

メソッドとか方法論とか呼吸法とかそういうものが出てくる前の「信」が根幹になければ、悟りへの道を歩むことはできません。

 

そういうことがよくわかる本です。五井先生をよく知りたいと思う方には必読の書です。

 

私も非常に高橋英雄先生と似た信仰生活、信仰態度、心の状態、信仰状態なので、痛いほど共感しています。

 

人間は、想いがすべてを決定していますが、自分を守ろうとする想い、その想いを消す、断ち切る、払拭することがとても難しいのです。

 

肉体が自分であるという想い・・これは寝ても覚めても想っています。そして自分を守ろうとしている想いが常に存在しています。

 

自分を守ろうとする想いがすべての欲望の根源、業の本質なので、これを無くしたいのですが、なかなかなくなってくれません。

 

無くならなければ、真の人、神の人、本心を顕わすことはできません。

 

そこで、五井先生! 五井先生!とお呼びし続けるのです。

 

五井先生の中に入り込んでしまうのです。

 

あるいは、世界人類が平和でありますように、と祈りのなかに入り込むのです。

 

五井先生は約束されました。

 

私の名を呼んだものは必ず救うのだ。どんな魔でも祓い清めるのだ。

 

世界平和の祈りをするところに救世の大光明が輝くのだ。

 

救うということは、解脱する、心の計らいを超えて安心立命に至ることですから、常に五井先生を呼ぶ者はかならず覚者となるのです。

 

なぜ? 五井先生が約束したのだから。

 

これです。これを信頼しているのです。

 

時間はかかるかもしれません。平坦でないかもしれません。しかし、疑いはありません。

 

やがてすべての想念波動を解脱し覚者となること間違いなしです。

 

少し抜粋させていただきます。

 

---------------------------------------------------------

ハノーバーの高木俊介氏宅に、アンドレ・アシュカとその家族が訪ねて来られた。

アシュカはニクソン大統領の弟の友人という人であるが、特筆すべきは、アシュカ夫人のお母さんである。
 この老母は、ニューヨークに住んでいるのだが、五井先生にお目にかかるために、わざわざハノーバーまで来たというのだ。
 この人はアグニ・ヨーガの研究者で、霊的なことに理解が深い。ロシア人で英語がほとんど話せない。

 そこでアンドレがロシア語を英語に直し、英語を高木氏が日本語に直して、五井先生のお話をうかがった。
 生まれ変わりのことについて本を書きたい、という。83歳の老婦人だが、すこぶる元気がいい。

 五井先生に「大いにやりなさい」と激励され大喜びだった。
 以後にもう一つおうかがいしたい、だが□に出して言えない、という。
 五井先生は「わかりました」と言って柏手を打ってお浄めされた。
 そこでわかったことは、この老婦人のうしろにモリヤ大師がついて、先生に会いに来られたということだった。
 五井先生は前々から、そのうちインドに行って、モリヤという霊界の聖者に会いたい、と思っておられたのが、今回、ロシアの老婦人のうしろについて来た大師に会うことができて、もうインドに行く必要はなくなったということであった。
 モリヤ大師はヨーガの七大聖の一人である。マイトレーヤー救世主のまわりに、七大聖と言って、7人の聖者がとりまいていると、ヨーガでは言われている。
 同年10月94日(1970年)、京都で聞かれた国際宗牧者平和会議に出席したバズビー博士夫妻が、聖ヶ丘道場に来られ、昱修庵にて五井先生とお会いになった。
 五井先生が柏手を打って、ともに祈ると、バズビー師はトランス状態に入り、バズビー師を通して、ヨーガの七大聖の一人、クートフミー大師が現われた。クートフミー大師は愛と知恵の権化と慕われている聖者という。
 そして次のようなメッセージを伝えてこられた。

 「日本の子らよ。私たちがこのたびこの愛する使徒両人(バズビー夫妻のこと)を日本に導いたのは、京都の会議に重きを置いたからではなく、この聖なる地に立たせることに大きな意義を持ったからです。
 今日、地球世界は重大な危機に面しており、大師たちのハイラーキーの写しである、人類の霊的ハイラーキーを地上に再現するため、あなた方に光、愛、力、祝福をおくり、私たちの霊的きづなを強めたいと思います。
 私たちは人の子の器を通して交流し、その結合をいつも強めています。この器(ハズビー師)は、イギリスおよびヨーロッパのハイラーキーの代表として任命されました。(彼らはまだ知らされていないが)英語を通して話しますので、あなた方と交流(コミュニケート)するのに制限がありますが、みなさん方がよくわかられるのでたいへん幸いであります。
 天と地を結ぶ橋を架ける計画は何千年もかけて進行してきましたが、私たちは今日を待っていました。今、この計画を遂行しなければ、地球文明は退化し、人類は滅亡の一途をたどることでしょう。
 この計画は多くの先達が予知し、シャンバラにおいてもキーポイントになっています。この計画は人間の使徒によって受け継がれ、発展させなければなりません。このことによって、地球世界は救われることができ、また救わねばならないのです。

 そして、それが今、この聖地、われら最愛の人、五井先生によって始められるのです。
 ここにおられるあなた方、この聖地を訪れる人々、とくに偉大で輝かしき五井先生に、神の光と力、救いと平和の祝福があらんことを」


 天と地を結ぶ橋は、五井先生の出現を待って架けられた。世界平和の祈りによって架けられた。救世の大光明によって、天と地を結ぶ橋は架けられた。 

 

 

世界人類が平和でありますように

May peace prevail on earth

 

 

やりました。

一二三君は、神港学園の37年後輩で、柔道の天才なんです。

なんか応援せずにおれません、

当時の私は、新聞配達店で住み込みで働きながら、神戸東灘で一人暮らしをし、神港学園に通っていたのでした。

高校生で新聞奨学生というのは、私ひとりだったそうです。

大変なこともありましがめっちゃ充実していた学生生活のことを思い出します。

 

兄弟で東京オリンピック目指してがんばれー!!

みなさんも応援よろしくお願いします。

 

 

朝起きてニュースを見てびっくりしました。

北海道の紋別に親せきがいるので心配ですが、今のところ停電だけで大丈夫なようです。

被害にあわれて方、また亡くなられた方に心よりお見舞い申し上げます。

 

北海道民が健康でしあわせでありますように

被害にあわれた方々の天命が完うされますように

 

こういう天災というか、自然災害は、人間が発してきた想念が深くかかわっているので、日ごろ感謝を忘れている大地や水、太陽、人間を生かしてくださっているすべての自然に対する感謝を改めて感じることができる機会だと思います。

 

そして、感謝が深くなってくると、自然災害もなくなってくると思います。

 

感謝は光で、あゆるものを調和させるエネルギーなので、当然、調和した環境が整うにきまっているのです。

 

人間の自分勝手な都合で自然をもてあそび、破壊してきたので、その結果を当然受け取る日がかならず来るので、その分の償いをしなければ、天変地変など大きな災害を食い止めることはできないと思います。

 

その食い止める方法、償う方法が、世界平和の祈りなのです。

償うだけでなく、未来永劫、子々孫々まで完全な未来を用意することができる祈り・・・

 

それが”世界人類が平和でありますように”という簡単な祈りの行によってできてしまう・・・

 

この単純な祈りによって、地球の環境を整え、地球霊王、神々に恩返しができてしまう・・・

 

この偉大さ・・わかってほしいと思い、常に伝えているのですが、聞く人、読む人がピーンとこないと、どうしようもありまえん。

 

これからも祈り続けてゆきましょう。

 

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

北海道が平和でありますように

私たちの天命が完うされますように

 

 

日本中、特に九州、四国、中国地方で大雨があり、大勢の方が亡くなられました。

心よりご冥福をお祈りいたします。霊界での天命が完うされますように

 

また、家を失い、避難生活されている方、不自由な生活を強いられている方々にもお見舞い申しあげます。

 

こういう災害のない世界がもうすでにあるのですが、人間の心がその世界に住んでいない、というのが本当のことなのです。

 

すべては、自分が過去に思ったこと、行ったことが運命と表れて消えてゆくときにおこります。

 

起こらないうちに、幽界のフィルムを書き換えてしまおう、とするのが祈りなのです。

 

こういう天災、あるいは人災で人々が苦しむことのない、調和した世界が具現するように全力を尽くしたいと思います。

 

五井先生の講話集からです。

祈りと念力は、まったく次元の違う心の動きなのですが、大半の人は、ほとんど自覚なく想いを出していると思います。

北朝鮮も中国もロシアも、他のすべての国でも、ほぼ念力100%で、自国の利害が想いの大半を占め、祈りからはるかに遠い精神状態で、政治家が世論を反映させた国家の運営をしているので、前途多難が予測されるのです。

宗教者、宗教家でも祈りの力、祈りの原理をわかっていないで、念の力で物事を成し遂げよう、としているように見えます。

太平洋戦争に敗戦後、大きな浄化を経た日本は、やはり特別な感じがするのです。

大きな犠牲を払って、祈りによる世界平和運動をする資格が与えられたと思います。

 

五井先生は、終戦後、神霊に導かれ、神にいのちをお返しして、念力ゼロ、生きるも死ぬもすべてお任せしてから、平和運動家、宗教者として活動されてた方ですから、これから祈りの道を進もうという人の最高のお手本であると思います。

簡単に成就できる道ではないのですが、近づくことはできます。道に乗ることはできます。

正覚の悟りまで、いくらでも奥があります。

 

 

「みんな救われている」より

 

祈りと念力は違う

(昭和34年2月)

 

我欲を満足させるだけの祈りは念力

 ふつう一般の宗教家というものは、祈りと念力ということがわかっていない人が多い。

 祈りというのは、いのちを宣言することで、自分に与えられているいのち、分霊のいのちをこの世に現わす、宣り出してゆくということです。祈りについて、これからだんだん詳しく申し上げますけれど、念力というのはどういうものか、というと、例えば,

“商売を繁盛せしめたまえ、どうか繁盛しますように、お金が入りますように、自分の子どもが学校に入りますように、あの憎らしい奴が死にますように”てなことをやってしまう。

自分の想念の力で、力をこめてする想いを神様や仏様に結びつける、それが祈りだとご利益宗教の人は思っているけれど、それは祈りではなく、念力なのです。

自分の望みが叶うように、自分の我欲が達成されるように、という想念の力を、ただ単に神様という名前に結びつけている。

それをお祈りだと思っている。

 観音様や成田山へ行って、十円か五円のお賽銭をあげて、私の商売が繁盛しますように、とやってくるんでしょ。

それでお祈りしてきたと思っている。

そういうのが祈りだと言うのだけれど、祈りでもなんでもない。

想いを満足させるだけで、念力です。

それでは魂の道を開くわけにはいかない。

誠の道を悟るわけにはいかない。

天照らすまことの光を地に呼ぶわけにはいかない。

祈りというのはどういうことかというと、いのちを宣言する。

いのちを宣り出す、いのちいっぱいに生きる。

自分に与えられているいのちを、そのままいっぱいに生きる。

それはどういうことかというと、与えられた環境、与えられた立場というものに、不平不満を言わず、その中でまっすぐにいのちを生かすことです。会社の小使さんなら小使さんで結構、小使さんの天命をそのまま一生懸命やる。自分のいのちを生かす。

それが祈りなんですよ。

 神様仏様と言わなくても、自分に与えられた仕事を、生命がけでやったら、それは祈りなんです。

神社仏閣をおまいりするよりも、いのちを一生懸命生かすほうがいいんです。

ところが、ただいのちを一生懸命生かす、と言って、自分の仕事を一生懸命やっているだけでは、道は開かない。

目的も何もわからないと、いのちを生かすといいながらも、自我欲望が入っているわけ

 自分が生活しなきゃならない、自分の家を守らなければならない、と自分で思っているわけで、一生懸命やるのはいいけれど、神様の本源の世界に達するわけにはいかない。でもごまかしの宗教よりまだいいです。ごまかしの宗教観念でやると、その癖がついてしまって、いつまでたっても立派になれない。

むしろ唯物論者のほうがまだいい、と私は思う。

何故かというと、いっぺん失敗して、壁にぶつかって、はねかえってくると、今度は本当のものになりますからね。一番悪いのはごまかしなのです。

祈りのような形をして、念力ばかり使って、祈りのようにごまかしていること。

そういうことをしていると本当の宗教者にはなれない。

本当に魂を開くわけにはいかない。

 祈りというのは自我欲望、自分の肉体を守ろうとする想い、家族を守ろうとする想い、自分の利害関係というすべての想いから発する念力というものが、なくなった時に現われてくる。本当のいのちの姿が現われてくる。

たとえば心臓があり、肺臓があり、胃腸があります。健康な時は、心臓が動いてることさえも忘れている。

胃腸や肺臓が動いていることさえ忘れている。思い出す時はどこかが悪い時です。

ご飯を食べながらも、胃腸にどのくらい入ったかな、栄養がどのくらい吸収されているか、そんなこと思っていない。

ただ食べている。胃腸が勝手にこなしている。心臓のことを考えないけれど、心臓はちゃんと動いて、肺は呼吸している。大体、腎臓だの牌臓だの肝臓だのなんだのって考えない時はいい時なんだ。

悪くなると考え出す。

故障がない時は思い出さない。

それなんですよ。いのちが障りなく、すみやかに動いている時、いのちがそのまま生きている時というのは、病気とか健康とかではなく、いのちそのままで動いている。何も考えていない。

そのいのちの働きというのは、要するに肉体を活かすための生活、貧乏とか金持ちとか、地位だとか名誉だとかいう生活環境もいいんですよ。よくなるんです。

いのちがすみやかに動いていない時代が、生まれてからこの方、過去世から今日まで、たくさんあったものだから、すみやかにばかり動いていない。そのマイナス面だけが生活環境の、貧乏になったり、不幸になったり、病気にもなっている。

すみやかにいのちが出しきれない時に、マイナス面が現われるんです。それを消すのが祈りなんですよ。消すためにどうするかというと、いのちをすみやかに動かさない、邪魔して動かさない想いを、いっぺんいのちの本源である神様、誰でも神から天からいのちが来ているのに決まっている、唯物論者でもどこからいのちが来たか、自分ではわからないけれど、どこからか来ていると思っている。

私たち宗教家は、いのちの本源を神といいます。

あるいは仏という。

そのいのちの本源である神様に、自分の想いをすべてまかせてしまう。

 心臓が動いているとも思わない、肺臓が動いているとも思わない、という想いと同じように、自分の生活環境もすべて、神様!って神様にお返ししてしまう。

神様有難うございますと思う。

心臓が動いている、肺臓が動いている、胃腸が動いている、頭も動いている、どうやらこうやら食べられる、喜びもある、そういう生活環境や状態に感謝をする。

 だから自分の想いをすべて、神様!って神様の中へ返してしまう。

神様を呼びさえすればいいと思うんです。

頭の中で出てくる想い、ああじゃない、こうじゃない、という想いを神様の中に返して、改めて生きてゆく。

そうすると、いのちが生きるということなんですよ。それがいのりなんですよ。

 

世界人類が平和でありますように

May peace prevail on earth

これで、当面の間は戦争という危機はなくなりました。

 

ほっとしましたね。

 

自衛隊や海上保安庁のみなさんも一息つかれていると思います。

 

ほんとうにいつもご苦労様です。

 

金委員長の姿を見ていると、会社の運営をしているトップ、役員、取締役など責任のある立場の人が思い浮かびます。

 

国を運営する、人心(部下、国民の心)を掌握する、経済を満足させる、部下に希望をもたせる、国民に希望を持たせる・・・

 

いろいろな条件をクリアーして、「やっぱり金同志はいい仕事しているな」と、心から思われなければ、いつかは反乱がおこります。

 

恐怖政治には限界があります。

 

そして、経済制裁のせいで上記の条件はクリアーできないとわかり、反乱がおこる前に、絶対にアメリカと直接交渉しなければならない状況、ギリギリの状況に置かれていたと思います。

 

これから自国の世論操作をしながら、徐々に国際社会と歩調を合わせるようにしてゆくと思います。

 

それでないと経済が成り立たないのですから。

 

経済が成り立たないとクーデターの可能性が排除できません。

 

それと同時にじょじょに民主化が進んでゆくと思います。

 

まだまだ長い時間がかかりそうですが、祈りながら見守ってゆきましょう。

 

 

世界人類が平和でありますように

アメリカと北朝鮮が平和でありますように

アメリカと北朝鮮の天命が完うされますように

 

 

 

 

大きな第一歩を踏み出しましたね。

 

金正恩氏も予想しない、コントロールできない領域に踏み込んでいることを、当の本人も知らないと思います。

 

文化の交流は、思想の交流を意味します。

 

すると自然に社会主義、独裁的社会主義と資本主義がはげしく交流して、誰も予想できない状態を経験することになると思います。

 

そこから淘汰されて、新しい流れができるまでカオス状態になるだろうと思います。

 

それは、金正恩氏にとっても賭けであるし、他の選択肢がなかったが故の冒険だったと思います。

 

しかし後戻りはできません。

 

多くの祈りが、世界の世論が金氏の心を動かしたことは間違いありません。

 

世界人類が平和でありますように

北朝鮮が平和でありますように

韓国が平和でありますように

北朝鮮と韓国の天命が完うされますように

そして両国の国民の天命が完うされますように

 

 

経済制裁がとても効いているのは間違いないと思いますが、金正恩氏はとてもプライドが高いので、国民全員を犠牲にして、全滅しても戦争に突入する選択もあったと思います。

しかし、寝ているときも常に葛藤状態にあり、その潜在意識に光明霊団、世界中の祈りの光が差し込んで、踏みとどまったと思います。

プライドを優先すれば、もちろん玉砕という選択もあったのですが、未来ということを考える理性(神の摂理)が働き、それがプライドを凌駕したのでした。

 

五井先生は、統一会で

「あなたがたはわからないだろうけど、みなさんの祈りが光となって世界中の戦争の波、天変地変の波を浄めているんですよ。それは霊界に行ったらよくわかります。みなさんの功績は神様の世界にちゃんと記されているのです」とおっしゃっておられたことがあります。

私もそれを体験として知らされた経験があります。体験しないとなかなか信じられないとは思いますが、ほんとうにほんとうのことなのです。

 

まだまだ予断を許さない状態ですので、どんどん祈り続けてゆきましょう。

 

世界人類が平和でありますように

金正恩氏の天命が完うされますように

習近平氏の天命が完うされますように

ドナルド・トランプ氏の天命が完うされますように

 

 

 昭和35年の五井先生のお話ですが、今の世界の状態そのままなのです。

中途半端な平和論、中途半端な理想論・・

どうしていいか誰も答えを持っていない。

五井先生にも、このときは宇宙子波動生命物理学のことはまだわかっていなかったと思います。

この2年後に宇宙天使との本格的な交流がはじまります。

そのあとすぐにキューバ危機という大きな出来事があり、核戦争ぎりぎりの状態にまで緊張が高まったのでした。

 

宇宙子波動生命物理学が発動されると、あらゆる武器、兵器が使えなくなるような装置が創られるということをうかがっています。

他の星の優れた文明からすれば、地球の幼い幼稚な兵器など問題なく無効にすることができるでしょう。

そのためには、どうすればいいか?

日常生活そのままで、世界平和の祈りを祈り続ければあとはうまくやってくれるのです。

私はそう確信しています。

 

 

「私に荷物を預けなさい」より

 

 亡びるか平和が実現するか二つに一つしかない

 伝教でも弘法でも、法然でも親鸞でも、道元でも日蓮でも、当時、世界というものが離ればなれになっていたから、現在にならないと、世界平和ということは言えない。法然の頃、親鸞の頃、日蓮の頃に世界平和なんて言ったって、世界の交通ができていないんだから、世界平和なんて考えも及ばないでしょう。日本の平和きり考えられはしない。

 現在では、世界が昔の日本よりもっとせまくなっています。スピード、時間からいけば ”箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川”なんていった頃と今では、全然時間的に短縮されている。

アメリカに行くんだって、日本国内を歩くより速く行ってしまう。スーッと縮まっているということになるわけです。

そこで今こそ世界平和というものが本当に考えられる時なのです。今では、誰でも彼でも世界中を知っているからです。

地図を見ればわかるし、テレビをみればわかるし、ラジオをきけばわかる。世界というものは、一瞬にしてわかるわけです。

 今が一番、世界平和が実現しやすい時になっている。と同時に、世界が滅びるのも近い時になっているわけです。

だから滅びるか、世界平和が実現するか、二つに一つしか無いわけです。中途半端はないんです。

いい加減なところに止まっていることはないんです。だから他のつまらないことはどうでもいいんですよ。それは後廻しでいいと思うんだ。

世界をまずつぶさないようにしなければならない。地球人類をつぶしてはしようがない。これを滅亡させないようにするために、どうしたらいいかというと、第三次大戦というものを防がなければならない。原爆水爆の戦争を防がなければならない。

それともう一つ、天変地変を防がなければならない。

 この二つが人間の力で出来ますか?

肉体の力で出来っこない。今、世界の戦争を防げるものは誰かといったら、ソビエトきりないんですよ。

フルシチョフが戦争をしまいと思えば、手を出さないと思えば、それはしないで済むでしょう。

ところが小さなことでハタハタやった時には、うっかり手を出すかもしれない。今の状態では手を出します。

アメリカとソビエトが戦争をしない、と本当にその気になればしないかもしれない。しかしそんな気になっていない。

自分の力を見せよう、知らせようとし、相手を押さえようとしている。

お互いが武力で競争しているんだから、うっかりすれば「なめるな!」というんで戦争しちゃいますからね。だからソビエトには世界平和にする資格がない、アメリカにも資格がない。

原爆水爆をもちながら世界平和なんていったって、そんな資格がありはしませんよ。

どこに資格があるかというと、日本です。

インドにもあります。(編注・のちにインドは核実験を行なって失格した)日本は原爆に一番先にやられたし、被害を被っている。

一番平和の音頭をとる資格があるのは日本なんですよネ。それなのにそれなのに。(笑)武力でもってしなければ日本はだめになる、という考えが多いんです。

 

   日本の進むべき道

そんなこと一切考える必要はないんです。平和に邁進すればいい。片方では原水爆禁止運動の先頭に立とうとしながら、片方ではアメリカと手をつないで、アメリカが核兵力を増強し、核実験をしても知らん顔しようという気持ちなのでしょう。そんなへんぱな、そんな腰のまがったような平和論なんてありっこない片方では戦争に加担するような気持ちもあるし、いざとなったら戦おうという気持ちもある。

そんな気持ちがあって、平和というのは無いんです

 平和というのは、あくまで平和ですよ。徹頭徹尾、平和じゃなきゃならない。ところが肉体の人間の業想念では、まず殴られたら殴り返そうという気がある。どうしてもありますね。自分がやられないうちに、敵をやっつけちゃおうという気がある。それがあるうちは地球はダメになります。

私どもにもそういう気持ちはありますよ。誰だってあります。何があったって“有難う”というほどの心境の人は滅多にあるものじゃない。

敵が攻めて来ても、ああ、そのまま殺されましょう、という心境の人も滅多にあるものじゃない。滅多にあるものじゃないから、皆がやっぱり敵が来たら向かってゆこうという気があるに決まっている。ソビエト軍が日本に入って占領しようとすれば、自分も向かってゆく気がある。

日本人全部にありましょう。やっぱりそれは業想念なんです。

 それをなくせと言ったって、なくなりっこないんだから。その業想念はあるままでいいから、それを世界平和の祈りの中に入れてしまって、一日も早く、救世の大光明を肉体界に降ろさなければだめですよ。守護霊守護神の本当の姿がここに現われるようにしなければだめです。

守護神が大挙して現われる、と向こうで言っている。あるいは宇宙人として現われるかもしれない。それで地球世界を潰滅させるような兵器というものが使えなくなるようにするんだ、という神々の宣言が私の中にあるんです。そのための世界平和の祈りなのです。

 

    救世主が光り輝いている

 世界平和の祈りには救世の大光明が光り輝いている。救世主が光り輝いている。その中に入って、救世の大光明と一つになって、地球界を照らさなければならない。だから小さいゴタゴタしたことは後廻しでもいい。それはそのまま世界平和の祈りの中に入れちゃえばいいんだから、かまわず年中、世界平和の祈りをやることです。そして、一日も早く宇宙人が現われること、あるいは守護神が現われてソビエトならソビエトの、アメリカならアメリカの武力が全然価値のないもの、力のないものにすることです。それ以外に地球が救われる方法はありません。

あとはみな観念論です。

 いくら理論で、人間はこうなければならない、こういうふうにしなければならない、と言ったって何にもならない。なぜなら聞いてわかっているんだから。

 「人を愛さなければならない」

「ああ、そうです」

 「善いことをしなければならない」

「ああ、そうです」

 「右の頬を打ったら左の頬を打たせるような心境にならなければいけない」

「もっともだ」

 「上着をとる者があったら下着をも与えるような心境にならなければならない」

「そうですね」

      

出来ることを教えている

 みなわかります。誰でもわかるんだけれども、実際問題は出来ないんですよ。実際に人間が出来ないようなことを、いくら教えてもだめです。いざとなったら何もならない。そこで私は実際問題として、人間に出来ないようなことは教えないんですよ。

 出来ることだけ教えている。

 出来ることは何かというと、自分の全想念を神さまの中に入れることです。どういうふうにして出来るか。

それは世界平和の祈りで祈り言葉にのっていけばいい。

「世界人類が平和でありますように」と言う時には、自分の想いがスーッと世界人類の中に広がっている。

 神さまの中に入っているという意味ですよね。自分をまぜてみな平和である、みな調和である、ということだから、その想いがいつも、いつもあればその人は神さまと一つじゃないか、神の子じゃないか、それをいうんです。自分がまず神の子になること、自分が光り輝くこと、それはむずかしいことじゃない。自分の業想念を神さまの責任にしてしまえばいい。いいことも悪いことも、みな神さまに返してしまえばいい。いいことだけを神さまにあげるんではない。悪いことも何もかも神さまに入れちゃうんです。

 

 

簡単な原理ですが、信じて行い続けることが必要なのです。

3歳の子供でも100歳の老人でも、世界中の誰でも実行可能です。

うまずたゆまず祈りつづけてゆきましょう。

ただそれだけです。

 

世界人類が平和でありますように

May peace prevail on earth

ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)のビアトリス・フィン事務局長が、来日され核兵器の廃絶を訴えていましたが、「うーん何かが違う」という感じがします。

 
「核兵器で攻撃するよ」と脅されている国、ミサイルが上空を頻繁に通過している国に、「核兵器をなくしましょう」「核の抑止力は神話です」というには、
「それでは、アメリカの核の傘に入らずに、どのように国を守ればいいのか、代替え案をまず提示してください。当事国の国民が納得できる、安心できる、実際に実行可能な代替え案を提示してください」、という話をしなければなりませんが、ビアトリス・フィン事務局長は当事国の国民ではないので、理想だけを振り回して、何も代替え案を提示していません。
 
中途半端で無責任、パフォーマンスにしか見えないのでした。
 
竹島、尖閣、北方領土、拉致など韓国、ロシア、中国との問題を抱えていて、歴史的な背景は別として被害者としての日本の立場を理解しないで、
「北朝鮮の脅威があるからこそ、核兵器を禁止するために急ぐべきだ」

「北朝鮮の核開発を止めるために、アメリカや今世界にある1万5000もの核兵器は何の役にも立ちませんでした。むしろ核開発を煽ってきました」

「『核の抑止力』が神話にすぎないことは明らかです。北朝鮮の核開発を止める力はなく、むしろ推し進めてきました」

「北朝鮮が核兵器を持つことに不安を感じるのは、核兵器が平和と安定をもたらさないことをみなさんがすでに知っているからです。私たちは核兵器を禁止することで、この危機を乗り越えられるのです」 

という発言をなさっています。

 
北朝鮮は、他の国がすべての核兵器をすてれば、優位に立つために自分たちだけは持とうとします。そうすると恐ろしいことになります。
アメリカがたくさんの核を持っていることで北朝鮮は優位に立てず、国際社会に対して大きな脅威とならず、暴発、暴虐を防いでいたと思います。やはりアメリカの核が怖かったのです。
北朝鮮が核兵器を持つことで不安に感じるのは、北朝鮮という国があらゆる犯罪を平気で行う国であること、独裁国家であることで、その国家元首の判断だけで核を発射できる状態にあるからです。
また、歴史において独裁者が核兵器を手にしたのは、北朝鮮が初めてだと思います。
ヒトラーは核兵器を手に入れる前に敗戦となり自殺しています。
 
すべてが机上の空論、人間というものを知らない、甘い考えだと思います。
 
それは、事務局長が人間というもの、幽界、幽体の世界の様相、もう滅びようとしている潜在意識の内容を感じることができないから仕方のないことですが、核兵器がないだけで平和や安定が訪れる、そんな簡単なものではないのです。
 
もうひとつ、人間の心の中から、「自分を守るためには、他者を傷つけてもかまわない。それは仕方ないので許される」という想い、いわゆる自己保存の本能を超えない限り平和はありえないということを、理解していなければなりません。
 
それには、人間の心の構造、意識の多重構造を深く理解していなければいけないのです。
 
潜在意識を見れば、人間が動物以下にもなれれば神のようにもなれる・・・
 
お釈迦様はじめたくさんのブッダたち、聖者、賢者たちが言葉と行為で証明してきています。
 
では、どうしたら神のような人間になれるか?
 
その理論と道を示さなければ、核廃絶などただの言葉に終わってしまいます。
 
そこに祈りによる世界平和運動の意義があるのですが、祈りでできるだけ潜在意識を光明に満ちている状態にしておく必要が、どうしてもあるのです。そこから新しい科学が誕生します。
 
やはり、祈りが核廃絶、すべての兵器の廃絶、戦争をしないためのキーポイント、真の道だと確認するのです。
 
世界人類が平和でありますように
すべての人間が愛そのものの本心と一体となりますように
すべての兵器が必要なくなりますように
 

今、テレビでやっていましたが、民族浄化で大勢の人が虐殺されているということです。

胸が痛みます。

 

ロヒンギャの人たちが健康で幸せでありますように

ロヒンギャの人たちの天命が完うされますように

 

ドイツのホロコースト、ユダヤ民族の大虐殺を思い出します。

 

人間はどうして同じことを繰り返してしまうのか?

 

そこには理由、メカニズムがあるはずです。

 

宗教や民族が違うと、当然、その歴史があるので言葉、慣習、形式、行動パターン・・・

 

すべてが他の宗教、民族の人とマインド(精神活動)が違ってきます。

 

すると想いが離れます。

 

想いが離れると、壁ができます。

 

その壁をなくすのが本当の意味の祈り(統一・・神意識の中で一体感を獲得する。光そのものになる)なのです。

 

壁ができると、自分(宗教、文化、民族、慣習など)を守ろうとする自然な意識が増幅してきます。

 

体でいうとがん細胞のように、組織内にあって組織の運営に益しない活動、邪魔をする細胞のような働きをしていると、集合意識がそれを認識し、その細胞を排除しようとします。

 

それが排他主義、排他感情となって潜在意識に蓄積されてゆき、親から子へそういう感情が引き継がれ、何かのきっかけで爆発します。

 

こういう流れがあるので、パレスチナとイスラエルしかり、イスラム教とキリスト教、仏教とイスラム教、ヒンドゥー教とイスラム教、ユダヤ教とキリスト教・・・

 

何度でも同じことが繰り返されていると考察します。

 

これからも起こりえるでしょう。すべての想いを祈りに変えなかぎり・・・

 

これは、「肉体だけが人間である。人間は肉体である。自分と他人は別である。だから自分を守らねばならない」という観念がもたらす自然の結果、当然の帰結であると思います。

 

一方、「人間は神の分霊(わけいのち)である」、

「太陽の光線の一筋一筋で、別れて働いているのであって、本来、すべての命(鉱物、植物、動物すべて)が兄弟姉妹である」・・

 

そういう意識が潜在意識の一番深いところ、根源意識、神意識としてすでに存在しています。

 

その源流、原点、源に帰る・・・

 

そのことを科学的に証明し、顕現し、源流に帰る道筋をつけようとするのが宇宙子波動生命物理学の役目なのです。

 

ロヒンギャ問題、差別意識、宗教戦争、民族戦争など、すべての対立意識を超えるには、はやり祈りによる世界平和運動と宇宙子波動生命物理学の発動が必要なのだと思います。

 

祈りがマスターキーなのです。

ロヒンギャの人たちのためにもできるかぎり数多く祈りましょう。

たまに祈るというよりも、常に底流に響きつづけるように、数多く祈ることが効果がより高くなります。

そのエネルギーは、そのままロヒンギャたちの未来を照らす明かりとなります。

よろしくお願いします。

 

 

世界人類が平和でありますように

ミャンマーとバングラディシュが平和でありますように

ミャンマーとバングラディシュの天命が完うされますように

すべての対立意識、差別意識がなくなり、真、善、美、愛の世界が樹立されますように