小さな紛争も日本に影響する | tablaboyの道日記

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祈りによる世界平和運動、祈り研究をライフワークとし、音楽、散歩が趣味です。音楽に関する記事、スピリチュアリティーに関する記事、祈りに関する記事、随時アップしてゆきますので、楽しんでください(^^♪ 世界人類が平和でありますように

今、北朝鮮とアメリカが一触即発の状況にありますが、日本も韓国もそれは同じです。

しかし、誰もがこの危機的状況を解決する力を持っています。

政治家だけが、力を持っているわけではありません。

一人一人の想い、祈りでとてもとても強力に働きかけることができます。それは世論という光のプレッシャーとなって、各国の指導者の潜在意識に直接つたわります。

日常生活ももちろん大事ですが、戦争になれば日常生活もなにもかも崩れるのですから、世界平和の祈り、守護の神霊の加護への感謝を、常に鳴り響かせていることがさらに大事だと思います。

いつもいつも思うのですが、世界平和の祈りは精神の万能薬、運命改善、カルマ消滅の万能薬だと思います。しかもただなのですから、これを飲まない手はありません。

 

 

 

 

「責めてはいけません」より

 

 小さな紛争も日本に影響する

 今年(昭和36年)になっていろいろな予言が出ていますね。第二次大戦で日本が真珠湾を攻撃するといった、それで当った、という予言者が、この春頃には世界大戦が勃発するとか予言をしたり、日本でも同じような予言をしています。

 さて果して世界大戦があるものでしょうか、どういうもんでしょうか。

これは実に大事なことですけど、私は“ない”という予言をするのです。“そういうことはありません”という予言。私はいい方の予言者、悪いことは一切予言しないことに決めているのです。

それでそういう風にもっていかないといけないでしょ。そういう風にもってゆくための世界平和の祈りなのです。

  それではこれから世界平和の祈りの重大なる意義を申し上げましょう。

 いつも申し上げているんですけれど、こうやって日本の情勢を見ておりますとね、この間もソ連が、アメリカがラオスヘ在日米軍を出兵させるようなことがあれば、日本は只じゃおかない、というわけですね。嚇し文句をソ連がいって来ておりますね。といって日本は、アメリカ軍を日本から追い出すわけにはいかない。もうちゃんと安保条約は決っているし、それにちゃんと駐留軍が来ているのだし、今更米軍を日本から追い出そうという気はないし、又出来もしないわけです。

 そうすると米軍は日本にいるのだし、それで米軍と協力すればソ連から年中おびやかされるのだし、日本が戦争をしたくなくたって、例えばラオスならラオス、キューバならキューバという処で米国が戦いをして、ソ連と戦争がはじまって、日本にいる米軍や沖縄にいる米軍を出兵させれば、今度ソ連が日本をやっつける口実が出来るわけね。だからやっつけられても文句はない。とこういうことになるのですよ。ですからね、今はアメリカ軍とソ連軍とこの二つの国の動きがね、すべてに関係する。

全世界の運命をかけているわけです。その間に小さな国々など沢山ありますね。そういう小さな国の内乱はどうやって起るかというと、アメリカならアメリカとくっついている国がありますね。するとソ連が物をやって武器をやったりして反乱軍をつくるわけです。反乱軍を作り上げてしまって、それで反乱させるわけですよ。反乱すると政府がアメリカに援助を求めてアメリカが援助する。陰ではソ連が焚きつける。

アメリカは正面からやって来る。するとソ連はアメリカは侵略している、侵略すると世間に宣伝するわけです。アメリカはそうするとますます怒ってやる、というようなことになって、キューバなんか、うまうまとソ連の手に乗っかっちゃったわけです。

実にうまく術中に入ってしまってアメリカは国交を断絶しましたね。

あれが一寸筋が違えば、アメリカがキューバを爆撃した、さあソ連が援助して報復した。こうやったあゝやったといううちに、インドシナの方でもやる。どこでもやるとなれば、これは世界戦争になっちゃう。

 世界が大戦になればどうなるかといえば、原水爆が落ちてくるとこういうわけなんですよ。

だから私共が安閑として生活しておりますけれども、実は毎日毎日明日あさって死ぬかもわからない生命の形で、生きているわけなんですよ。只知らないだけなんです。キューバで何かあったって、インドシナで何かあったって、一寸も関係ないような気がするでしょう。ところがキューバであることが、インドシナであることが、朝鮮であることが、どこかであることが、どんな小さな国である戦でも、結局は日本に影響して来るわけだし、全世界に影響して来て、これが地球最後の日になるかわからないという、境目になるわけなんですよ。

 

    幽界という世界がある

 肉体の他に幽体というものがあって、その世界を幽界というのです。

 幽界という世界はどういうことかというと、みんなの想いが溜っている処です。いろんなことが一年中ありましたね、一年中あったことをみんな憶えていますか。憶えちゃいませんね。特別なこときり憶えていません。後はみんな忘れているんです。その忘れたものはどこにあるかというと、幽界を波になってぐるぐる廻っているわけです。これを普通、潜在意識というのです。

そうした想念の波動が自分の幽体の中に廻っている。それが他の人の方にも関係してズーと幽界をぐるぐる廻っている。だから一人の人がいろんな想いをすることは幽界という広い範囲をぐるぐる廻っているわけですよ。だから一人の人があのヤロウやっつけちゃおう、あいつは憎らしいからやっつけちゃおうというように想います。それで自分は忘れてしまう。忘れてしまうけれど、その想いは、幽界をぐるぐる廻っているわけです。そういうやっつけちゃおう、あいつは敵だ、あいつは憎らしいというような想いが沢山たまると、憎らしいという想いと想いがぶつかって、それが戦争になったり天変地異になったりするのですよ。

 天変地異を起すのも戦争を起すのも、全部人間の想いなのです。

嵐が起るのも地震が起るのも戦争が起るのも原因は一つでね、人間の業想念、自分勝手な想い、人をやっつけようとする想い、要するに調和しない不調和な想いが、みんなそういうものを作るのです。

 

    幽界に危機の原因がある

 それで幽界を予言者や霊能者がみますと、幽界にはそういう戦いの波だとか、やっつけちゃおう、やっちゃおう、いろんな波が一杯溜っているわけなんで、その波をたどってゆくと、あゝ今年あたりもう戦争があるなという風に見えるわけなんですね。そういう波が実際にあるのだからね。だから私共のような世界平和の祈りがなくて、只あたりまえの地球世界が今迄のまゝの世界で、いわゆる肉体の人間という存在が只一つのもので、他に人間なんていうものはないんだ、神も仏もない、肉体だけが人間の全存在だ、というような考え方をしているならば、これは終いに必ず地球は破滅します。そういうように出来ているのだからね幽界は。

 ところが私は破滅するとは思わない。世界平和の祈りが生れて来たということは、幽界に出来ているあらゆる業想念を、みんな浄め去ってきれいにして、本来ある神様の生命を、神様の子の生命を、このまゝズーと神様の世界から肉体界まで、真直ぐに光を投げかけて光の交流をはかればね、幽界というのはきれいになって、神様のみ心の絶対調和がこの地球人類の世界に、開けてくるに決っているのですね。

そういう風に出来ているんです。

 一番初めには、神様は完全円満でしょ。だから完全円満のものが地球界にうつし出されて、神様のみ心が現われて、地上天国が出来るように設計が出来ているわけですよね。ところが人間の業がグルグル廻っちゃって、その神様のみ心をそのまゝ現わさないで、歪めてうつしているわけなのです今は。それでうっかりすれば戦争になりそうな波が現われているわけですね。だからそのままジーと見過していたらば、そのまゝ渦の中に入って、あいつがいけないとか、こいつがいけないとかこいつが悪いとか私か悪いとかなんとかかんとかという風に、自分で思っている想いが消えない以上は、必ずこの世界に戦争の危機とか天変地変の危機が訪れるのですよ。

 星にも現われているんだし、霊能的にも現われているのだから、そういうものを見ればあゝ戦争があるな、天変地変があるなという風に見えるのですよね。だからそういう予言は必ずしも嘘ではないんです。

けれどもそうなってしまったんじゃ、神は愛でなくなっちゃう。

それこそ残酷物語になっちゃう。

みんな亡びちゃうんだからね。そういうことがあるわけがない。

あっちゃいけないように守護霊守護神があるんですよね。だから守護霊守護神とか世界平和の祈りを考えなければ、神様なんていうものは非常に残酷なものですよ。そのまゝ人間は亡びちゃうのだから。

必ず肉体界は亡びちゃうのですから。

 

    神様と人間の自由

 だから今迄の宗教のようにね、只単に神様といっていたら、只行ないを改めなければダメたというんではね、お前の信仰が足りないからだめだとかね、お前の心が悪いからダメだとか、これは本当は原理なんですよ。自分の心が悪ければ悪いように現われるのだからね。

自分が相手をやっつけようと思えばやっつけられるのであって、むさぼればむさぼられちゃうんだし、自分の心が現われて必ず返ってくるのだけれど、只お前が悪いからそうなったというような、そういうお説教だけじゃダメなんです。そういう宗教じゃだめになって来た。

そこで私達が説いているように、神様というものは人類救済の波としては、守護神として現われてるんだ、一方では大生命から分れた小生命、直霊直日という生命を司っているもの、その流れとして神様から生命が来ている。生命は神様から来ているけれども、その生命はすべて人間の自由にまかされているわけなんです。自分の生命は自分で自由に使っていろんなことが出来るわけですね。

何をしようと勝手ですよ。人間というものは大体生れてもの心つけば何をしても勝手ですね。喧嘩しようと何をしようと自分の好きです。

したい放題のことをするわけですよね。止めようと思ったって止まらないでしょ。いわゆる生命を神様から分けられ与えられているから、その生命を自由に使って、その生命とは資本みたいなものですね、資本を自由に使って、どんなことでも自分で出来るように出来ている、そこが機械と違う処なのですが。機械というものは自分の自由に出来ない、作られたままで、作った人が動かさなければ動きがとれませんね。

人間というのは創造の生命の原動力をもらって、それで自由に自分の世界を作るわけですよ。だからこの地球界というものは、神様のみ心と人間の心とね、まざってそれで出来ているわけなんですよ。

 神様が自由にするわけじゃない。神様は”わしの子だ、自由だ”といって、人間がこっちへ行きたいというのに、ぶんなぐってなんでもかんでもこっちへよせるわけじゃないし、善いことをするのもみんな人間の自由に任せているわけなのですよ。大神様というものはね。

それで任せていなかったら機械と同じになっちゃう。

 

    守護霊守護神の涙ぐましき働き

 よくきくことは、どうして神様があって、神様が完全円満ならばどうしてこんな悪いことをする人間を造ったか、なんだってこんな不完全な人間を創ったりするのか、こういうように時々質問があるのですよ。

それは神様というものは生命そのものだからね、大神様は生命そのものだから、与えただけですよ、大神としては。何か人間を指導するのか、ということはそれは守護神なのですよ。

守護霊守護神が人間の運命を司どって、人間に協力して、神様のみ心を地球界に現わすようになっているわけです。

だから守護霊守護神というものを考えない信仰というのは、ないんですよね。

 神様が法則としての神様と、それから守護霊守護神としての神様と両方に分れて、守護霊守護神が一所懸命人間を守りに守って、どんな馬鹿な人間でも、コッチむけというのにアッチむいてしまう。又むけというのにアッチむいてしまう。いくらいっても駄目な人間が沢山いる。

皆さんじゃないんだけれど、あるんです。それをあきもせず、私は守護霊守護神はよくあきもせずやっていると思う。いうことをきかないから人間という奴は。もう自分の好き勝手。自分の想うことだけやろうとするのですよ。業なんだから仕様がない。みすみす損をするのをわかっている癖に、こっちに進もうとする。

それを守護霊守護神はなだめすかしなだめすかし、後からやっているわけね。いくらやってもらって危い所を救ってもらっても感謝しない。

平気な顔をしている。それで自分のことをやっている。

そういう人間なのね。それで私か神様と一つになった時ね、守護霊守護神が涙ぐましき働きをしているのがわかった。何もこっちはお礼をいわないのにさ。眠らないんだからね霊は。

人間は眠るでしょ。霊の方じゃ眠らないで働き放しなんだから。

それで一所懸命業をかぶっちゃ、苦しくなると滝へ行って、神様の世界でもみそぎがあるのですから、やって又来ては守り、一所懸命しているわけ。

それをこっちは一寸も感謝しない。それをみていた時にね、これはまず第一番に守護霊守護神に感謝させなければダメだと思ったのですね。守護霊守護神がこんなに苦心して守っているのにね、知らん顔をして守りを受けている、平気な顔をしている馬鹿共があるか。

こんなやつは亡びちゃった方がいい、とは思わなかったけれどさ(笑)本当に守護霊守護神の立場になるとね、肉体人間程馬鹿な横着なものはないんだから。

 それで守護霊守護神の代弁者として、守護霊守護神に感謝しなさい、とこうやっていた。それで守護霊守護神に感謝させていると、今度守護霊守護神がとても守りやすくなった。守護霊さん守護神さんといっているのだから、業がこんなにあってもね、こっちから(肉体人間側から)守護霊さん守護神さん!向うは助けたい助けたい、守護霊さん有難うございます! 助けたいとこうやってゆくでしょ。

だからぴたっとくっついてゆく。そうすると大きな業が出てくる場合でも小さく済んじゃうのですよ。

 

    一番運命をよくする方法は

 守護霊守護神に感謝してね、いつも守護霊守護神にくっついていることよ。どんな悪いことがあっても、どんないやなことがあっても、守護霊守護神にくっついていることよ。そうすると守護霊守護神がうまーくきれいに消してくれるのです。そこで守護霊守護神さん、有難うございますと感謝しなさい、と私はいつもいうのです。それだけじゃまだ積極的じゃないでしょう。それでもっと積極的な為にね、世界人類が平和でありますように、と守護霊守護神への感謝の想いを世界平和の祈りの方にむけたわけですよ。

 世界人類が平和でありますように

 日本が平和でありますように

 私達の天命が完うされますように

 って、守護霊守護神への感謝と共に世界の平和を願ったわけですよ。そういう祈りをはじめたらね、守護霊守護神の光が大結集して、救世の大光明として改めて私と一つになったのですよね。

 それからそれ迄の力と世界平和の祈りを始めてからの力とは、まるきり違っちゃったです。

十二、三年ぐらい前から、霊能のお婆さんが来ていましてね。まだ私がこんなに人数がない時に会った。そのお婆さんが来ると、私を見て遠く離れちゃって「あゝ有難うございます、あゝきれいな観音様、大きな観音様で有難うございます」とおばあさんがいつもお礼をいっていたのね。

私の母親なんか眉に唾をつけて見ていたけれどね(笑)だんだんそれを信用しましたけれどね。それが久し振りでこの間来たの。そしたら襖を開けて私を見た途端、パーッと下っちゃってね「あゝ有難うございます、あゝ先生の観音様は大きくなられました。まあ大きい」といってね、感嘆これ久しうしていた。

 

    大きい観音様に皆なっている

 前にあった時が例えばこの家ぐらいだったとすればですね、今はもう大きくて計り知れないくらい大きいと、いうのですよね。観音様が大きくなったということは、光が強くなったという意味なのですね。

それは世界平和の祈りを始めてからだからね。大きさがまるっきり違っちゃった。それで側にいる者が叱られちゃった。「あなた方はわかんないでしょ。この先生の偉さ、こんなに光っている」と叱っていましたよ。側には寄れませんといっていたけれどね、側に寄らなければ困る。

私は仕事にならないのです。というわけで、世界平和の祈りを始めてからは、世界平和の祈りを始めない前の何千倍何万倍何億倍というね、すごい光になっているのです。

それは当り前の話でしょ。個人個人を救う光と、世界人類を救う光とは違うに決ってますよね。だから皆さんが“世界人類が平和でありますように”という時には、大きい観音様に皆さんがなっているわけですよ。

どんなお婆さんでも小さな子供でも“世界人類が平和でありますように”とまともにいっている時は、その人はでっかい観音様です。

そう思ってこの日常生活をして下さい。すると心が豊かになって明るくなって、この世が楽しいですよ。そうしなければ世界は平和になりません。どんな現象的なことをやったってダメですよ。どんな偉い政治家が出てもダメです。

日本にいくらいい政治家が出たって、アメリカとソ連がやっているのだからね。キューバあたりでやっているのや、ラオスあたりでやっているのに、日本はどういう権限があるの。なんの権限もないでしょ。

アメリカはこうしろといったって、向うはそんなこと知ったことじゃない。ソ連は、といったってそんなこと知っちゃいない。日本なんかちびくさいのだから。そこでそんな言葉でいったって仕方がないから、霊界からサァーッと光をあててね、業想念の迷いの想い、人をやっつける想い、自分が威張りたい想いを人類の潜在意識の中からサーと消してゆくんですよ。

 そうすると必要のないもの、死んじゃうものは死んじゃうだろうし、亡びる者は亡びるだろうし、要するに光の人間だけが残ってゆくのですよ。そこで初めて地球世界が平和になってね、地上天国が出来るのです。その時は皆さんもうんと偉くなっています。

 

世界人類が平和でありますように

アメリカと北朝鮮が平和でありますように

アメリカと北朝鮮の天命が完うされますように

May peace prevail on earth