魂からみた恋愛・結婚 #23(最終回)・・・人間関係こそ愛を磨く大事なもの | tablaboyの道日記

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祈りによる世界平和運動、祈り研究をライフワークとし、音楽、散歩が趣味です。音楽に関する記事、スピリチュアリティーに関する記事、祈りに関する記事、随時アップしてゆきますので、楽しんでください(^^♪ 世界人類が平和でありますように

この世のすべての経験は、より大きな人間、より包容力のある人間、より愛深い人間になるためのレッスンだ、と思います。
そして、この肉体世界の学びを卒業した人は、魂の子孫のサポート役になり、より大きな使命を持って神霊の世界で働くようになります。
そして、神霊と協力しながら、よりよい星にしてゆく。
そして、やがて他の星の開拓、サポートをするようになります。
会社組織とおなじです。電話番、雑用、営業、企画、人事、広報、法務など様々な部署を経験し、課長、部長、役員、社長、会長、相談役と立場が大きくなり、やがて、他の星の開拓のために働いてゆくのだと思います。
これでこのシリーズをおわります。
長い間ありがとうございました。

 人間関係こそ愛を磨く大事なもの

 恋愛も結婚も、また他の人間関係にしても、すべて因縁生によるものなのです。
 ということは、人間は今世だけの生命ではなく、永遠の生命のなかの一駒としての今生であり、その生れ変りのなかで縁を結んできた者同士が、今世で再び三度び巡り会い、お互いに果たし得なかった因縁生を修整し、浄化し、その体験を生かして、自己の愛をより成長させていくためにあるのです。
 ところが、自己の愛を成長させるどころか、現われた因縁生が、自分に不都合と思えば、相手を責め裁いたり、憎み悲しみという業想念、つまり悪因縁として、再び自己の因縁生として潜在意識に入れてしまうのです。これでは因縁生が循環してしまうことになります。
 輪廻転生はこうしてつくられていくのです。
 因縁生の浄化のための果し合いは、お互いに過去世で何らかの関係を結んでいた者同上が、その時に果し得なかったものを今世で、その貸し借りを清算するべく、夫婦、親子、兄弟姉妹、或いは他の様々な人間関係となって、再び縁を結び果し合おうとするのです。
しかし、必ずしも、お互いに過去世に関わりがなくとも、その人の持っている因縁生の波動が、同じような波動を持っている人に共鳴し、そこに新たな人間関係が生じていく場合もあるのです。
 例えていえば、交通事故のような場合、加害者と被害者が前世に直接関わりがなくとも、お互いの持っている因縁生の波が共鳴し、引きつけ合って事故を起す、ということもあるからです。
 こうして善くも悪くも、因縁生によってその人の人間関係や出来事がつくられていくのです。その人の意識が低ければ、起った問題に対して、自己中心的に対処し、相手に対する憎しみや、恨み、怒りといった業想念を発し、さらなる悪因縁として自分のなかに取り入れてしまうのです。これは自ら不幸をつくっていくことになります。また、その人が意識を高めて因縁生の仕組みをよく知って、起ってきた問題に対処したら、悪い出来事であってもそれを善因縁に変えて、未来を幸せにしていくこともできるのです。
 また、過去世の因縁だから、現われる時がきたら現われてくるわけですが、それを結果として現わすまえに、縁のうちにそれと気づいて、そのエネルギーを善い方に転換して、善因縁に変えてしまうこともできるのです。これが因縁因果の仕組みをよく知っての、賢明な生き方となるのです。

 様々な体験を通して大きな個へ…

 この三次元世界の人間を動かしているものは因縁因果の法則です、因縁因果という言葉が抹香臭いといって嫌う人がいますが、どんなに嫌だといって避けても拒否しても、この三次元世界では厳然として、この法則に左右されているのが人間です。
 因縁因果は原因結果の仕組のことです。因が縁にふれ、結果と現われてくるはたらきのことです。その他に牽引の法則(類は類をもって集まる)。償いの法則(天に唾すれば自分に返る)。作用反作用の法則(振子のように右に傾き過ぎれば、それを修整するために左に行き過ぎるといったように、振幅を繰り返しながら中庸の道に則っていく)といった様々な法則があります。これらをカルマの法則と言いますが、こんなに幾つも法則があったら、いったいどれを守ればよいのか、というふうに考えるでしょうが、これらの法則の根本にあるものは 「愛」です。愛とは調和であり中心を得ることでもあるわけですので、人間が愛にもとるような行為をしたら、必ず修正されるようになっているのです。
 人間はこうしたカルマの法則に支配されながら、そのなかで人間関係を通して様々な愛のありかたを学んでいくのです。体験を通してこそ、はじめて人様の苦しみ悲しみが遜解できるのであって、他者への同悲同喜の想いは、業を体験し、それを愛に換えたところから、生れてくるのが慈悲心です。
 こうして人間は、小さな個(自己中心的な生きかた)から、大きな個(人々の苦しみ悲しみを理解し、自分も他者も一つという自覚)、さらに白とか他とかの相対世界を超えて、「一なるもの」と一体化していくまでに、自己を進化、向上(次元上昇)させていくのが、人間としての真実の在りかたなのです。その過程としての様々な人間関係や物事を通して、学んでいくのが今日の人間の姿なのです。

 真の愛行の難かしさ

 愛とは、生命の一体観によって湧き上ってくるものです。愛して心が痛んだり苦しんだり、自分の思うようにならないから憎しみに変る、というのは業想念の自己愛からくるものですから、真の愛とはいえません。
 真の愛行は、神のみ心をひびかせることです。愛することによって自も他も共に、生命が生き、この世界も愛に満ちた美しい世界にしてゆくことです。ですから愛するということは、人間としての本来の使命でもあるのです。しかし、こうした愛行ができる人は、余程心境の高い人であって、真理に目覚めた人といえます。
 この世界は、まだ三次元の相対世界です。業想念波動(肉体人間観からくる自己中心的な生きかた)に満ち満ちた世界です。
 また、人間も、直接神の分霊として、内に神性を持っていても、物質波動である肉体に制約され、思うように生命の本質を働かすことができません。愛を行ずるにしても情のほうに傾きがちです。情は執着心を伴います。そこで、愛していると思いながら、愛と情を混同し、相手を自分の思いでがんじがらめに束縛してしまっているかもしれません。それは愛と情の区別がついていないからです。 愛と情の見分けかたは。どれほど自分自身の行為に、自我想念があるかで見ていけばわかります。    
 「愛しています」と、簡単に言うことはできますが、真の愛を行なうことは、まことに難しいことなのです。だからといって愛することをやめてしまったら、人間は潤いを無くし、頑な人間になっていくでしょう。
 真の愛そのものとなることは、無条件にすべてを受容できる人となることです。それは悟りそのものの姿です。だからこそ、人間は愛しては傷つき、苦しみ、悲しみ、それでもなお愛さずにはいられないのです。  
そうした体験に培われ、それらを乗り越え、生きとし生けるものの、哀しみを自己の哀しみとして、やがて、すべてを赦し、すべてを受け入れ、愛でつつみこめる大慈大悲の人となれるのです。
 愛することは人間性を豊かにし、この世界も住みやすい美しい世界にしてゆくことです。
 様々な人間関係を通し、特に恋愛、結婚というありかたを通して、人間は愛を学びながら成長してゆくようになっているのです。
 魂の大小と因縁生のありかたから、今までとは違う視点で、恋愛・結婚の種々相を例として上げてお話してきました。
 これから恋愛を望んでいる人たち、すでに恋愛中の人たち、或いは年頃のお子さんを持った親御さんたちに是非「魂からみた恋愛」を読んでいただきたい。恋愛という甘美な言葉のひびきに酔い痴れて、因縁生のままに不幸な人生をつくっていかないように、また、恋愛というロマンチックな装いのヴェールを剥いで、醜い因縁生の素顔を覗き見てしまうことになるかもしれませんが、そうしたあり様のなかで、自分にとって真実のパートナーとは、どういう人かがわかっていただけたら、嬉しいことです。
 また、すでに結婚生活をなさっている方々には「魂からみた結婚」に上げた幾つかの例を通して、夫婦とは何なのか、お互いに夫婦として何を学び合っていかねばいけないのか、因縁生とはいかなるものかがわかっていただけると思います。
 私たちは様々な人間関係の体験を通して、愛を学んでいき、自己をより完成させていこうとしているものであることを、知っていただけたら、この「魂からみた恋愛・結婚」を著した目的が成就されます。ありがとうございました。