中々温度調節がうまくいかないユニットバスの蛇口を
神経質に回している。
やっとの事で適度な温度になった湯船で目を閉じて
今日一日をゆっくりと振り返る。
ここはNYマンハッタンのど真ん中。
外観の美しさからは想像もつかない程、ひどく汚れた
ホテルの一室だ。
束の間の休息を打ち破ったのは、排気口から漏れてくる
バカ家族のハシャギ声。
イライラしながらも何とか平静を装う。
3分、5分、10分・・・。
いつまでも変わらないハイテンションのバカ騒ぎに
いよいよ我慢できず、浴室から裸のまま飛び出る。
飛び出たその瞬間、その音の主が紛れもない私の部屋の
TVである事に気付く。
意味が分からない。
私はTVをつけた記憶など一切ない。
色々と、記憶の糸を辿ろうとするが、疲労がその糸を遮って
取り敢えずTVのスイッチを落として浴室に戻る。
改めてバスタブに浸かり、目を閉じる。
16時間というフライトが体にもたらした疲労という名の影響は、
予想以上に大きかった。
しかし再び平穏な空気を爆音が占拠する。
今度は躊躇する事無く、浴室から飛び出す。
その音の主はやはり『あの』TVだった。
怒りに満ちた手が腕が、力いっぱいにスイッチを叩き潰す。
気持ちが高ぶっていたのもあるだろう。
フロントに電話をして、すぐにベルボーイを呼ぶ。
髪すら洗わずに、バスローブ姿で待つも、一向にベルボーイ
が現れる様子はない。
再びフロントに怒りの電話をする。
さっきと同じ男が電話の向こうに現れて、『おばんどす』みたいな
ニュアンスのセンテンスにさすがに頭にきて、『ええからお前が来い!』
の言葉を吐き出して電話を思いっ切り叩きつけると、ややあって
ドアをノックする音が聞こえる。
ドアから現れたのは気持ち良く禿げ上がった50代位の男だった。
何やら不服そうに私と、部屋の中を交互に覗き込んでいる。
私は事の成り行きを説明し、問題のテレビを指差すと、
男は何の断りもなく、問題のテレビに近寄ると、
そのまますっと持ち上げて部屋から出て行った。
音の主が部屋からいなくなると、部屋はより一層寂しげに見えた。
元々、このホテルに泊まった理由は、何のプランも無かった私に、
せめて初日の宿泊先位は用意しておくべきだと考えた母親の
主張によるものだった。
海外における私の信頼は(国内においてもだが)、中国での一件以来
完全に失われていた。
このNYでの資金力80万円(バイトで稼いだ)ですら信頼に及ばなかった。
思えばこの旅も、全くの無計画そのものだった。
約一年間のバイト生活によってもたらされた意地の80万円。
何の身寄りも無く、片道の航空券を手に始まったのだ。
どこで身につけたのか、英語に不便を感じる事は無かった。
それでも初めての地、NYはたやすいものではなかった。
日本でいう成田空港の様に、JFK空港(NYの空港)は
都心部から離れていた。
80万円と言えど、中国での経験、あるいは長期滞在を予定していた
私にはとても十分とは言える資金ではなく、空港から予約していた
ホテルまでタクシーで乗り付けるなんて余裕は無かった。
ホテルまでの移動手段は、機内でCAに聞いたシャトルバスが
第一候補に挙げられていた。
僅か10ドル弱で行けるシャトルバスはもはや何にも変えられない
ものとなっていた。
税関を無事(色んな意味でヒヤヒヤします)通り抜けて、まず目指し
たのは、マンハッタンでもなく、ただシャトルバス乗り場だった。
しかしこのシャトルバスというのが実に分かりにくい。
バスと言う位だから、大型の観光バスを想像していた私には、
目的のシャトルバスを見付けだすのはとても困難だった。
空港内のインフォメーションセンターとは名ばかりで、黒人のやけに
威勢の良いおっさんが一人で築地の競り市のように、各々の観光客の
目的を自分勝手に導いていた。
本当に困ったのは、それぞれの人が全く違った事を言い出す事。
全く分からないシャトルバスの乗り場はあまりに多く点在させられた。
結局シャトルバスに乗れたのは、空港から出ておよそ2時間。
ホテルに着いたのは夜の9時前だった。
それでも不安を感じなかったのは、持ち前の所以の無い自信と、
いつまでも明るいNYの夜だった。
いずれにしても母親のホテル予約の助言は吉と出た。
知らない土地での夜の9時過ぎ。
さすがに野宿は出来ない。
とにもかくにも疲れに疲れた私の前に、眠りはあっと言う間に訪れて、
チェックアウトの翌朝10時には寝ぼけた頭とスーツケースを引きずって、
ショービジネスの中心地、マンハッタンのミッドタウンを彷徨うのであった。
これからNYの日々が始まる。
NYは最後まで予想以上であり、予想は全く意味を持たないものとなる。
神経質に回している。
やっとの事で適度な温度になった湯船で目を閉じて
今日一日をゆっくりと振り返る。
ここはNYマンハッタンのど真ん中。
外観の美しさからは想像もつかない程、ひどく汚れた
ホテルの一室だ。
束の間の休息を打ち破ったのは、排気口から漏れてくる
バカ家族のハシャギ声。
イライラしながらも何とか平静を装う。
3分、5分、10分・・・。
いつまでも変わらないハイテンションのバカ騒ぎに
いよいよ我慢できず、浴室から裸のまま飛び出る。
飛び出たその瞬間、その音の主が紛れもない私の部屋の
TVである事に気付く。
意味が分からない。
私はTVをつけた記憶など一切ない。
色々と、記憶の糸を辿ろうとするが、疲労がその糸を遮って
取り敢えずTVのスイッチを落として浴室に戻る。
改めてバスタブに浸かり、目を閉じる。
16時間というフライトが体にもたらした疲労という名の影響は、
予想以上に大きかった。
しかし再び平穏な空気を爆音が占拠する。
今度は躊躇する事無く、浴室から飛び出す。
その音の主はやはり『あの』TVだった。
怒りに満ちた手が腕が、力いっぱいにスイッチを叩き潰す。
気持ちが高ぶっていたのもあるだろう。
フロントに電話をして、すぐにベルボーイを呼ぶ。
髪すら洗わずに、バスローブ姿で待つも、一向にベルボーイ
が現れる様子はない。
再びフロントに怒りの電話をする。
さっきと同じ男が電話の向こうに現れて、『おばんどす』みたいな
ニュアンスのセンテンスにさすがに頭にきて、『ええからお前が来い!』
の言葉を吐き出して電話を思いっ切り叩きつけると、ややあって
ドアをノックする音が聞こえる。
ドアから現れたのは気持ち良く禿げ上がった50代位の男だった。
何やら不服そうに私と、部屋の中を交互に覗き込んでいる。
私は事の成り行きを説明し、問題のテレビを指差すと、
男は何の断りもなく、問題のテレビに近寄ると、
そのまますっと持ち上げて部屋から出て行った。
音の主が部屋からいなくなると、部屋はより一層寂しげに見えた。
元々、このホテルに泊まった理由は、何のプランも無かった私に、
せめて初日の宿泊先位は用意しておくべきだと考えた母親の
主張によるものだった。
海外における私の信頼は(国内においてもだが)、中国での一件以来
完全に失われていた。
このNYでの資金力80万円(バイトで稼いだ)ですら信頼に及ばなかった。
思えばこの旅も、全くの無計画そのものだった。
約一年間のバイト生活によってもたらされた意地の80万円。
何の身寄りも無く、片道の航空券を手に始まったのだ。
どこで身につけたのか、英語に不便を感じる事は無かった。
それでも初めての地、NYはたやすいものではなかった。
日本でいう成田空港の様に、JFK空港(NYの空港)は
都心部から離れていた。
80万円と言えど、中国での経験、あるいは長期滞在を予定していた
私にはとても十分とは言える資金ではなく、空港から予約していた
ホテルまでタクシーで乗り付けるなんて余裕は無かった。
ホテルまでの移動手段は、機内でCAに聞いたシャトルバスが
第一候補に挙げられていた。
僅か10ドル弱で行けるシャトルバスはもはや何にも変えられない
ものとなっていた。
税関を無事(色んな意味でヒヤヒヤします)通り抜けて、まず目指し
たのは、マンハッタンでもなく、ただシャトルバス乗り場だった。
しかしこのシャトルバスというのが実に分かりにくい。
バスと言う位だから、大型の観光バスを想像していた私には、
目的のシャトルバスを見付けだすのはとても困難だった。
空港内のインフォメーションセンターとは名ばかりで、黒人のやけに
威勢の良いおっさんが一人で築地の競り市のように、各々の観光客の
目的を自分勝手に導いていた。
本当に困ったのは、それぞれの人が全く違った事を言い出す事。
全く分からないシャトルバスの乗り場はあまりに多く点在させられた。
結局シャトルバスに乗れたのは、空港から出ておよそ2時間。
ホテルに着いたのは夜の9時前だった。
それでも不安を感じなかったのは、持ち前の所以の無い自信と、
いつまでも明るいNYの夜だった。
いずれにしても母親のホテル予約の助言は吉と出た。
知らない土地での夜の9時過ぎ。
さすがに野宿は出来ない。
とにもかくにも疲れに疲れた私の前に、眠りはあっと言う間に訪れて、
チェックアウトの翌朝10時には寝ぼけた頭とスーツケースを引きずって、
ショービジネスの中心地、マンハッタンのミッドタウンを彷徨うのであった。
これからNYの日々が始まる。
NYは最後まで予想以上であり、予想は全く意味を持たないものとなる。