私は事故後1週間経って、ようやく外出が許された。

荷物を詰め込んだバックパックを看護婦から受け取り、
中身を確認する。
選び抜いた24枚のCDがメチャクチャに割れている。
ハードケースをも簡単に貫き、粉々になったその姿を見て
改めて事故の衝撃の大きさを思った。

少しして、一つの異変に気が付く。
バックパックは大きな衝撃を受けながらも、一切破れたり
壊れておらず、しっかりとその役目を果たしていた。
しかし、録音用に携帯していたテープレコーダーと
20本のカセットテープだけが唯一無くなっていた。

おかしい。
あまりにも不自然である。
他の持ち物も無くなっていれば分かるのだが、
それだけが無くなっているというのは、
どう考えても納得のいくものではない。

そこにははっきりとした意図が感じられた。

録音されていたら困るといった明確な意図が。

そもそもそのバックパックが
どうして私の物だと分かり得たのだろう?

パスポートはお金よりも大事だったから、
常に首から提げていたし、その他にそのバックパックの中に
確実に私だと特定できる物はおよそ無かったと思う。

何かが動き始めていた。
恐らく私の力なんかでは到底動かせない大きな力が。

看護婦なんかには聞くだけ無駄だと思って、
テープレコーダーと、20本のカセットテープの分
軽くなったバックパックを持って病室を後にする。

エントランスで、ほとんど毎日お見舞いに来てくれた
バーのオーナーと落ち合って、店に向かう。

店では私の退院祝いをすべく、多くの友人が待ち受けていた。
それはとても嬉しくて、笑顔さえ浮かべられるような席だったけど
心の奥底では塊が、冷ややかな目で見つめ続けていた。

疑いはより多くの疑いを生み、もはや信じられるものなんて何も無かった。このパーティですら誰かの監視下に置かれ、モニター越しに映る私の僅かな表情や動作の変化を読み取ろうとしているんではないかとさえ思えた。再び上海から昆明までの長距離列車の中で、私が『大日本帝国』と書いた時の中国人の乗客の過剰なまでの反応が頭をよぎる。

この時、そしてこの国にあって私は完全に孤独だった。
寂しいとか、心細いとかそんなのではない。
この問題を一人で『解決』しなくてはいけない、
そういった意味で孤独であったのだ。

しかし、私は助けられた。
それは大きな、とても大きなもの。
強くて、温かくて真っ直ぐなもの。

それがこんな時に訪れるなんて全く予想もしなかった。
いや、こんな時だからこそ、それはやってきたのだろう。
全てが一本の線で綺麗に繋がっていた。

問題はとても複雑でありながら、答えは至って簡単で、
それしかないと思える程に正確で確実にしっかりと用意されていた。

続く。