パトカーとはまた違う色の警光灯を輝かせ、
レスキュー隊はやってきた。

アメリカのレスキュー隊のそれを、そのまま
持ち出したような仰々しい車両や、はしご車のような
車両など、実に多くの車両が細い山道に大挙した。

その車両の数は明らかに多過ぎた。
あの警官が無線に向かって何を伝えたのか分からないが、
その細い山道ではそれぞれの能力を殺しあっていた。

しかし何よりその救助の力を阻止していたのは、
警官とそれぞれのレスキュー隊の緊張感の欠如だった。

中国では互いの親交を深めるのにタバコを差し出し合う。
数10分前に警官が塊に示した行動もそれだった。

申し合わせるように、塊はそれらの行動に噛み付いた。
その手は、差し出し合うタバコというタバコを地面に叩き落して、
一刻も早い救助を求め叫び続けた。

それが塊だったのか私だったのかは分からない。
しかしただ一人、日本語で罵倒し続けていたのは、
紛れも無い被害にあった一人の日本人だった。


苦笑と呆れ顔が混ざる中、救助は始まった。
はしご車はキリンのように、その長い首を伸ばし、
眼下に広がる暗闇の中にエサを求めていた。

尚も塊は罵倒し続ける。
仕舞いには、塊はレスキュー隊の後に続いていた救急車に
無理やり押し込まれると、再び暗闇の中に消えていった。

次の瞬間、私は集中治療室のベッドに横になっていた。

続く。