目を覚ますと、やはり見慣れない天井に
幾分かの違和感を感じる。
反射的に、視線は、天井の模様を追ってしまう。
大きな窓からは既に落ち着いた光が注ぎ込まれている。
携帯していた目覚まし時計の針は昼の5時を回ったところ。
およそ10時間近く寝ていた事になる。
天井に幾つかのペアを見つけ、ベッドから体を起こそうとすると
背中やお尻に鈍い痛みが走る。
列車の最悪な席での長距離移動が響いたのだ。
ベッドの上で足の爪先から頭のてっぺんまで、丁寧に体を調べていく。
旅に於いて、最優先されるべき事は体調であり、
パスポートでもお金でもないのだ。
それは、今までの旅で経験してきた一つの答えである。
後者は時間が解決してくれる事であり、前者は時間がむしろ
その後の如何を決めるからである。
殊更慣れない海外に於いては重視すべきである。
10分程度ベッドの上で自分の体を調べて異変が無い事を確認すると、
裸足のままで窓際に歩き、外に広がる風景を見渡してみる。
それはおよそチェックインする為に朝来た情景とかけはなれたものである。
片側3車線の道路は車で埋まり、歩道は自転車や歩行者でいっぱいである。
濃い霧に埋もれたゴーストタウンは、渋谷のスクランブル交差点のように
人で溢れかえっていた。
上海から離れるにしたがって、徐々に田舎の風景に変わっていく様を
眺めた私には全くの予想外の光景であった。
勝手な事を言わせてもらえば、『ここ』は田舎であるべきなのだ。
疑ったり怒っても始まらない。
私は食事をする為に、宿を後にした。
ここ昆明も上海と同様、都会と雑多さが混在する街だった。
大通りを一本路地に入ると、すぐに細い路地裏となっている。
鶏の首をひねってそのままさばいていたり、
見た事も無いような種類と大きさの野菜や果物を売る店がある。。
更に奥に行くと、一体何に使うのかまるで分からない物を売る店があったり、いかにも胡散臭い怪しい店があったりする。
しかし都会とその雑多さが混在するその風景には、何故か違和感が無く、ある種一つのアイデンティティを持ち得ていた。
そんな事を考えながらそのまま狭い路地を歩いていると、
目ぼしい店を発見する。
私がこれまでの経験で身に着けたもの。
それは観光客が入る店より地元の人がいる店の方が信頼できるという事。
私はその店に入ると、メニューを見ながらも、周りの人達が頼んでいる
料理を眺めていた。
重複するようだが、地元の人が入る店、更に言えば食べているものに
ハズレなんていう事はほとんどないのだ。
私は多くの人のテーブルに並んでいる、空芯菜の炒め物と
トマトと卵のスープを注文した。
大袈裟ではなく、メニューをしまおうかとした時に、
料理が運ばれてきた。
その間、一分弱。
恐ろしい程のスピードである。
更にこれが予想を遥に超える絶品。
調理のスピードは、出来立ての温かさを追求するだけではなく、
その素材の良さを最大限に引き出す瞬間、
その瞬間を見事に捉えたものだった。
ここ、昆明にいた間は、この店のこの料理を食べ続けた。
それ程にこの料理は美味しかった。
結局昆明には、次に目指す国ラオスのビザを取る為に一週間いた。
ビザ取得後、ラオスへ向かう為に国境近くの中国最南端の町、
西双版納にすぐ向かう予定だったが、たまたま宿の近くの
多目的施設でライブをしてたタイのプロのギターリストとの
即興演奏を機に、彼が次に向かう大理(大理石の大理)に向かう事になった。
(実に面白い音の選び方に感化され勝手に飛び入り参加したのだ)
今思えば、このあたりから私は何かに導かれるように歩を進み始めたのだ。
幾分かの違和感を感じる。
反射的に、視線は、天井の模様を追ってしまう。
大きな窓からは既に落ち着いた光が注ぎ込まれている。
携帯していた目覚まし時計の針は昼の5時を回ったところ。
およそ10時間近く寝ていた事になる。
天井に幾つかのペアを見つけ、ベッドから体を起こそうとすると
背中やお尻に鈍い痛みが走る。
列車の最悪な席での長距離移動が響いたのだ。
ベッドの上で足の爪先から頭のてっぺんまで、丁寧に体を調べていく。
旅に於いて、最優先されるべき事は体調であり、
パスポートでもお金でもないのだ。
それは、今までの旅で経験してきた一つの答えである。
後者は時間が解決してくれる事であり、前者は時間がむしろ
その後の如何を決めるからである。
殊更慣れない海外に於いては重視すべきである。
10分程度ベッドの上で自分の体を調べて異変が無い事を確認すると、
裸足のままで窓際に歩き、外に広がる風景を見渡してみる。
それはおよそチェックインする為に朝来た情景とかけはなれたものである。
片側3車線の道路は車で埋まり、歩道は自転車や歩行者でいっぱいである。
濃い霧に埋もれたゴーストタウンは、渋谷のスクランブル交差点のように
人で溢れかえっていた。
上海から離れるにしたがって、徐々に田舎の風景に変わっていく様を
眺めた私には全くの予想外の光景であった。
勝手な事を言わせてもらえば、『ここ』は田舎であるべきなのだ。
疑ったり怒っても始まらない。
私は食事をする為に、宿を後にした。
ここ昆明も上海と同様、都会と雑多さが混在する街だった。
大通りを一本路地に入ると、すぐに細い路地裏となっている。
鶏の首をひねってそのままさばいていたり、
見た事も無いような種類と大きさの野菜や果物を売る店がある。。
更に奥に行くと、一体何に使うのかまるで分からない物を売る店があったり、いかにも胡散臭い怪しい店があったりする。
しかし都会とその雑多さが混在するその風景には、何故か違和感が無く、ある種一つのアイデンティティを持ち得ていた。
そんな事を考えながらそのまま狭い路地を歩いていると、
目ぼしい店を発見する。
私がこれまでの経験で身に着けたもの。
それは観光客が入る店より地元の人がいる店の方が信頼できるという事。
私はその店に入ると、メニューを見ながらも、周りの人達が頼んでいる
料理を眺めていた。
重複するようだが、地元の人が入る店、更に言えば食べているものに
ハズレなんていう事はほとんどないのだ。
私は多くの人のテーブルに並んでいる、空芯菜の炒め物と
トマトと卵のスープを注文した。
大袈裟ではなく、メニューをしまおうかとした時に、
料理が運ばれてきた。
その間、一分弱。
恐ろしい程のスピードである。
更にこれが予想を遥に超える絶品。
調理のスピードは、出来立ての温かさを追求するだけではなく、
その素材の良さを最大限に引き出す瞬間、
その瞬間を見事に捉えたものだった。
ここ、昆明にいた間は、この店のこの料理を食べ続けた。
それ程にこの料理は美味しかった。
結局昆明には、次に目指す国ラオスのビザを取る為に一週間いた。
ビザ取得後、ラオスへ向かう為に国境近くの中国最南端の町、
西双版納にすぐ向かう予定だったが、たまたま宿の近くの
多目的施設でライブをしてたタイのプロのギターリストとの
即興演奏を機に、彼が次に向かう大理(大理石の大理)に向かう事になった。
(実に面白い音の選び方に感化され勝手に飛び入り参加したのだ)
今思えば、このあたりから私は何かに導かれるように歩を進み始めたのだ。