目的の車両に乗り込んで、乗車券を見ながら
自分の席を見つけると、そこには既に人が座っていた。

車両や席を間違えたのかな?と思い、車両と席の番号を
何度も確認してみるものも、そこの席は間違いなく私の席だった。

最初は遠慮がちに簡単な英語と乗車券を見せながら
その席の主に話しかけるも全くの無視。
何回試してみても、空気でしかない自分の扱いに
段々腹が立ってきて、遂にその男の襟首を掴み上げると、
有無も言わせず力で席から引きずりおろした。

その男は倒れこんだ床に伏せながら何かの言葉を発したが、
怒り狂った私の眼を確認すると諦めて他の車両に移った。

ひどいと思われるかもしれないが、海外に於いて日本人は
あまりに良い子である。
だから騙されたり、狙われたりするのだ。
海外で生活するには自己主張が欠かせない。
自分がアクションを起こさない限り、誰も気付かないし、
助けてくれない。

さて、私はようやく自分の席を確保した訳だが、
恐ろしく席が狭いし、硬い。
それもその筈、木製で直角の背もたれの椅子なのだ。
また、席は4人掛けの向かい席で広さはJRの4分の3位である。
『しまった』と後悔していると車内の様子は一変する。

ボロボロの服を着た人達が次々と車内に乗り込んできたのだ。
間も無く車内は人で溢れ、日本の朝の通勤列車の様相を呈してきた。
丁度時計の針が深夜の12時を美しく示した時、
列車は大きな汽笛を闇夜に鳴り響かせ、ゆっくりと走り始めた。

車内は依然と騒然としている。
その様子は満員電車と言うより、戦争時の疎開する列車の
モノクロの記録映像に近い。

発車して間も無く通路をせわしなく人々が行き来する。
やがて車内は落ち着きを取り戻し、床という床には
まるで出来上がったパズルの様に一寸の隙間も無く人が寝転んだ。

後から知ったのだが、その車両は出稼ぎで故郷に帰る無賃の乗客
が大挙するものだったのだ。
もちろん無料の車両ではないのだけれど、あまりにも無料で乗る
人の数が多く、鉄道会社も取締りを諦めてしまっているのだ。
またその車両は、いわば低所得者(言い方は良くないですが)
向けのものなのだ。
だから私は受付でしつこい位に、その車両を乗る事を確認されたのだ。
ましてや私は日本人である。
直接こう言われた訳ではないが、『何かあっても責任は取らない』
例の物静かな男はこう言いたかったのだろう。

時計は静かに一日の終わりを告げ、
列車は果てしなく続く闇夜をひたすら走り続ける。

列車が走り始めて、およそ30分位だろうか?
気が付くと私の周りには人だかりが出来ていた。
それもものすごい数だ。
私がただあたふたとしていると、丁度同じ歳位の男性が声を掛けてきた。

もちろん私は中国語なんて喋れない。
英語でその旨を伝えるも一切動じず、代わりに他の中国人からも
次々と異国の言葉が投げられる。
その不毛なやりとりが、10分位続いたところで、
私は一つの提案を試みる。

その提案とは、ずばり漢字による筆談だ。
漢字という位である。
多少の誤差はあれど、それまでの不毛なやりとりに比べれば
圧倒的に有効な手段であるはずだ。

私は鞄からペンとノートを取り出し、『ここに書いてくれ』と
それらしい漢字で書いてみた。
それは予想以上のツールだった。
彼らは次々とそのノートに様々な質問を書いてきた。
その内容は大体似たり寄ったりだったが、漢字が異国の人間と
コミュニケーションを取れる共通のツールであるという事は、
事の他驚きであり、嬉しかった。

そんな筆談でのやりとりがしばらく続き、かなり打ち解けた
といった和やかな雰囲気の中、私は一つの実験を試みた。
私の手の元に戻ってきたノートを手に、おもむろに
『大日本帝国』と書いてみた。

その文字が紙の上に記されると、一瞬の内に空気が凍りつく。
やや間があって、一人の男が私の手からノートを引ったくり、
そのページをビリビリに破いてクシャクシャと丸めるというより
強く握り潰すと、窓の外へ思いっきり投げ捨てた。

タブーなのだ。
いくら私が、あるいは彼らが直接その惨劇の当事者でなくても、
それは太陽が西から昇って東に沈むように、
不変で終わる事の無い歴史なのだ。

私はその軽率な言動を謝り、彼らも許してくれたが、
残念で仕方なかった。
それは個人での関係は築けても、日本と中国といった関係
更に言えば、結局その歴史を変える事は出来ないのだという
現実を目の当たりにした瞬間だった。
それから仲良くなった中国人の友達と話している時も、
どこかでこの歴史を抱えているんじゃないかとしばしば疑ったものだ。

さてそんなやりとりが何時間か続き、ようやく一段落つくと、
私は深い眠りについた。

私は誰かに体を揺すられて目を覚ます。
列車は暗闇を抜けて、健全な太陽の光の中の降り注ぐ駅に停車していた。
威勢の良い声と共に、弁当を沢山抱えた売り子さんが各車両を
まわっていた。
私を起こしたのはボックスシートの前に座っている50代位の夫婦だった。
クチャクチャになった新聞紙を床から拾い上げると、そこに
『弁当は食べないの?』と書いた。
繰り返すようだが20万円でスペインまで目指すイタイ若者である。
『折角だけどいらない』と書いて、心遣いに感謝し頭をさげた。

その夫婦とは長い間筆談でやりとりした。
丁度、その夫婦の子供が当時の私と同じ20歳だったのだから、
子供の姿が私に重なったのかもしれない。
その日の夜も弁当を頼まない私を心配してくれて、
その後毎食私の分を頼んでくれた。
そのご夫婦も他の乗客と同じ様に出稼ぎで上海から故郷に帰るところである。
決してお金に余裕の無い事は分かっていたので何度もお断りしたが
『もう頼んでしまったんだから食べなさい』と温かい弁当を、
差し出してくれた。

胸の奥から温かい何かがこみ上げてくる。
感動?
そんな単純なものではない。
それはそう、そのご夫婦の温かみそのものなのだ。
涙こそ流れなかったものの、胸がぐらつく。
そのご夫婦は途中の駅で降りた。
列車が走り出して駅を離れると、いつまでもそのご夫婦は
私に手を振り続けていた。
そう、いつまでも。
私は途中からもうその姿を見る事をやめた。
ここで旅を終える訳には行かないのだ。
再び後ろを振り返った時、そこには駅もご夫婦の姿も無かった。

列車は目的地に向かって黙々と走り続ける。
窓の外に広がるその風景に、地上のあらゆるものを見出す事ができる。
高層ビルがあり、砂漠があり、黄河があり、田園や畑、
更には水墨画そのままのきりたった川と崖がある。
いつまで見てても見飽きない。
そう自然に存在するものは見飽きる事が無いのだ。
例えば空に浮かぶ雲の動きに時間を忘れて目を奪われた事が無いだろうか?
そう、自然が魅せるその姿は全てを内包してくれるのだ。

さて3回の闇夜を通り越して、列車がこれまでに幾度と無く
鳴らしてきたであろう、大きなブレーキ音が早朝の沈黙を突き破ると、
霧に包まれた怪しい街が姿を現す。

続く。