『琥珀色のビター・スウィート』
「……いいかい、青春っていうのは人生の特定の時期を指す言葉じゃないんだ。
それは、胸の奥にある『心のありよう』のことを言うのさ。
たとえ髪に白いものが混じっても、ネクタイを完璧に結べるようになっても、
僕たちはいつだって『未熟』という名の季節の中にいる。
新しいことに手を伸ばすたび、口の中に広がるのはあの頃と同じ、
レモンをかじったような酸っぱい感覚。
スマートに振る舞おうとして、結局は不器用なステップを踏んでしまう。
でもね、それでいいんだ。
むしろ、その『酸っぱさ』を笑える余裕こそが、大人の贅沢というものだよ。
挑戦を止めて、ただ『正解』だけをなぞるようになった時、人は本当の意味で老いてしまう
未熟で、青くて、少しだけほろ苦い。
そんな自分を面白がりながら、次の扉をノックし続けること。
カクテルと同じさ。
少しの苦味(ビター)があるからこそ、その後の甘さが際立つ。
僕たちの青春は、まだグラスの半分も終わっちゃいないよ。
——乾杯。僕らの、終わらない未熟さに。」

若さと歳をとること(成熟)とは何か。
若さとは、地図を持たない旅人のようなもの。無知ゆえの強気と、若過ちを許す世界の寛容さに甘えながら、危うくも眩しく駆けていく。
成熟とは、風景の読み解き方を知ること。世の中の仕組みを理解し、最短距離を選べるようになる一方で、失敗の味を知りすぎた心は、プライドという名の重石を抱え始める。
だが、どんなに不器用な足跡も、あるいは慎重すぎる一歩も、すべては自分という人間を彩る「収穫」だ。経験の積み重ねがない空虚な美しさよりも、酸いも甘いも噛み分けた心の深淵にこそ、真の魅力は宿る。
言い方を変えればこうとも言える。
若さの特権は、未知ゆえの「不敵さ」にある。失敗さえも若さという淡い光に免じられ、恐れを知らずに突き進むことができる。一方で、その歩みには経験という羅針盤が欠けているのも事実だ。
対して、歳を重ねる悦びは、世界の理を知り、しなやかに立ち回れる「賢明さ」を手にすること。しかし引き換えに、積み上げた自尊心と知識が、時に新たな一歩を躊躇させる枷(かせ)ともなり得る。
けれど、どちらにも共通して言えることがある。それは、あらゆる経験が魂の年輪となり、人としての奥行きを刻んでくれるということ。それこそが、外面だけではない「人間としての厚み」を醸成してくれるのだ。


