Episode9『黄昏のガレージ』
「もう、パンクしそうなんだよ……」
油臭いガレージの片隅。古いパイプ椅子に深く腰掛けたタカシが、顔を両手で覆いながらポツリと呟いた。
トタン屋根の隙間から差し込む西日が、空中に舞うホコリをオレンジ色に染めている。
ここ数日、ずっと胸に引っかかっていた違和感が、確信に変わった瞬間だった。
始まりはLINEのやりとりだ。いつもとどこか文章の様子がおかしく、「どうかしたのか?」「なんかあった?」と聞いても、返ってくるのは「大丈夫、なんでもない」の一点張り。
だが最近になってついに連絡の返信すら来なくなり、電話にも出なくなった。
たまらず本人を訪ねてみれば、最初は相変わらず「なんでもない」と言っていたタカシだが、次第に黙り込み、そして絞り出すように冒頭の言葉を吐いたのだ。
俺は何かあるとすぐに愚痴や弱音を吐いてしまう。対するタカシは違う。俺なんかより遥かにメンタルが強く、いつでも「頼れる男」だった。職場でも、家でも、友人たちの間でも。誰かが困っていれば真っ先に手を差し伸べ、自分のつらさや愚痴はすべて笑い飛ばして胸の奥に押し込んできた。
でも、メンタルが強い奴ほど、極限まで無理をして溜め込んでしまう。それだけに、目の前で崩れそうな彼を見るのはかえって心配で、恐ろしかった。
溢れそうになった感情を抑え込むために、彼の肩は小さく震えている。
「みんなに『しんどい』なんて言ったらさ……気を使わせるだろ。心配かけて、場の雰囲気を壊すのも嫌なんだ。だから言えない。でももう、一人で抱えていくのは…本当にキツいんだよ。」
目の前に立つ僕は、作業用のウエス(雑巾)で油のついた手を拭きながら、黙って彼の背中を見つめていた。
「タカシ。」
僕は低い声で呼びかけ、彼の隣にある木箱にドサッと腰を下ろした。
「お前さ、自分のこと『頑丈なトラック』か何かだと思ってないか?」
タカシが顔を上げ、赤くなった目で僕を見る。
「どんなに頑丈な車だってな、積載量オーバーのまま走り続けたら、いつかタイヤがバーストして事故るんだよ。今のお前は、荷物を積みすぎて悲鳴をあげてる状態だ。」
「でも…荷物を降ろしたら、周りに迷惑が…」
「バカ野郎。」
僕は少し強い口調で、彼の肩をポーンと叩いた。
「お前が途中で派手に事故って動かなくなる方が、周りは100倍ショックなんだよ。『なんで頼ってくれなかったんだ』って、みんな自分を責めるんだぞ。『つらい』って言うのはな、迷惑じゃなくて『オイル交換が必要だ』って教える合図だ。かっこつけるのはもうやめろ。お前はスーパーマンじゃない、ただの泥臭い一人の人間なんだから。」
そう言って、ポケットから冷えた缶コーヒーを取り出し、彼の手に握らせた。
タカシは缶を両手で包み込み、じっと見つめていたが、やがてぽろぽろと大きな涙をこぼし始めた。
恥ずかしがることもなく、声を殺して肩を揺らす。
「…つらいんだよ…本当に、しんどかったんだ…」
「おう。知ってるよ。」
僕はそれ以上何も言わず、彼の肩にポンと手を置いた。
缶コーヒーのぬくもりと、オイルの匂いと、友人の泥臭い涙。気恥ずかしいけれど、温かい時間が流れていた。
10分ほど経ち、ようやく気持ちが落ち着いたのか、タカシはズボンの袖で豪快に顔を拭い、照れくさそうに吐息をついた。
「…ありがとな。胸のつかえが降りたよ。よし、じゃあ…早速練習だ。」
「練習?」
タカシはコホンとひとつ咳払いをすると、ポケットからスマホを取り出し、画面を操作し始めた。
「言われた通り、まずは一番身近な奴に『今、限界なんだ』ってSOSを出してみるよ。溜め込まずに、ちゃんと甘える練習だ。」
「おお、いいねえ! その調子だぞタカシ。相手もきっと受け止めてくれるさ。」
僕が満足げに頷いた、次の瞬間。
*ピロリン♪*
僕のズボンのポケットで、LINEの受信音が鳴った。
画面を見ると、送信者は「タカシ」。
**『今週の日曜、俺の家の草むしりと物置の片付け、手伝ってくれない? 正直もう一人じゃ体力の限界なんだ……頼む!』**
「…」
呆然とする僕に、タカシは缶コーヒーをゴクリと飲み干し、すっきりした笑顔でウインクしてみせた。
「いやあ、持つべきものは親友だな! 正直に言ったら、なんだか胸がすっと軽くなったよ!」
「…お前、甘える相手と内容の加減ってものを覚えろよ!」
夕暮れのガレージに、僕のツッコミと二人の笑い声が、気持ちよく響き渡った。
