シルバーエイジ 日頃の節約で日常に変化を
(「寛永行幸と花の都の文化びと」展へ)
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シルバーエイジ節約旅行者の「おおとものタビト」です。
なかなか変化の無い生活から脱出する機会は少なく、そこで10月の3連休の「なか日の日曜日」には、以前から見に行きたかった寛永行幸の「二条城行幸図屏風」を見に行くことにしました。この日は朝早くから「寛永行幸と花の都の文化びと」展を行われている「泉屋博古館」を訪ねるべく、京都市内の東の方の「天王町」へ向かいました。
「寛永行幸」を描いた「二条城行幸図屏風」は、江戸時代初期の寛永3年(1623年)9月に徳川秀忠、徳川家光の招きで「後水尾天皇」が京都市の中心部にある「二条城」に行幸されました時に、その行幸の様子を描いたものです。
「後水尾天皇」の中宮になった、徳川秀忠の娘で、徳川家光の妹である「徳川和子(まさこ)」の存在がここにありました。
2026年10月11日日曜日
いざ出発
朝早めに自宅を出発して京都市のメインストリートの烏丸通りを北上しました。途中で運動会姿の幼稚園児を載せた幼稚園バスを追い越し、烏丸通りに面したグランドではスポーツの日(翌日ですが)の運動会が開催されている中を一路「烏丸丸太町」に向かいました。
私たちの車は「烏丸丸太町」の交叉点で右折して、あとは真っすぐに進むだけです。京都御所南側の歩道には、朝早くから欧米系外国人観光客(アジア系は判別できません)が多数歩いているのを尻目に、丸太町通をひたすら東へ進みました。
車を走らせること18分、私たちの車は「天王町」の交叉点に到着しました。
簡単な道筋でしたが、ここでちょっと迷いがでました。丸太町通は道なりに北へ向かう道と斜め右に向かう道、真っすぐに道はこの3本の道の中で一番狭い道でしたが、ナビに従って狭い道を真っすぐ進むと1分もかからずに「泉屋博古館」前に到着しました。
駐車場を無事確保
「泉屋博古館」は10時開館。私たちは10台しかスペースのない駐車場に是非とも入りたいと早い目に出発したので、午前9時17分に着きましたが、入口の鉄扉が閉まったままでした。前面道路が1車線で駐車が無理なので、周囲を1周して9時30分に戻りましたが、やはり鉄扉は閉まったまま。結局もう1周して9時43分に戻ると入口が開けられていて駐車場に入ることが出来ました。
駐車場は広々としていましたが、石畳で、区画の線もありませんのでちょっと焦りました。係員さんの指示に従って写真下(後方)の生垣を背にして駐車しました。
泉屋博古館は開館前
「泉屋(せんおく)博古館」は上の写真のように、良く手入れされた清掃の行き届いた美しい建物でした。尚、「泉屋博古館」の泉屋(いずみや)とは住友グループの屋号で、ここは住友グループの美術館ということになります。車を置いてから、早速建物の入口へ進みました。
10時前に駐車場に入れて頂くことは出来ましたが(駐車料は無料です)、開館時刻までは中に入れません。上の写真の入口の横に貼ってあるポスターを読みました。
住友グループの美術館=泉屋博古館の庭を散策しました。
開館時間待ちで列を作るほどでもなく、入口前で手持ち無沙汰にしていると、ここの庭を見てもよい(無料)とのことで見に行くことにしました。入場口(というか建物)の右手に下の写真のような舗装された通路があり、その道を私たちは庭に向かって進みました。他の方は誰も動きませんでしたので、私たちだけの貸し切り状態です。
上の写真の通路を木々に向かって歩いて庭に向かいましたが、道の右側に庭は広がっていました。ここの庭は大きなものではありませんでしたが、良く手入れがされていて、清々しい森の風情でした。
「泉屋博古館」がある場所は元々京都の閑静な地域ですが、ここの庭の中も静かでした。下の写真の真ん中にあるように「庭の中心部を小川が豊富な水量で流れて」いて、曲水の宴でもできそうな様子でした。森林浴は大袈裟かもしれませんが、こころが落ち着くようで、この庭に来て良かったです。
庭を流れる小川の水源は「泉」です。下の写真のように「石で組まれた中」から水が湧き上がっていました。この石は住友グループのマークの「井桁」に組まれている(次の写真参照)との説明がありました。小川の源泉が「泉」なのは住友グループの屋号の「泉屋」からきているのかなと、この時は勝手に想像しました。
更に庭を進んで行くと説明書きがありました。先に想像したことがほぼ当たっていたので、なぜか大満足でした。
「3連休のなか日」で混むことが予想され、駐車することが出来なければマズイと思って、早くに到着しました。しかし、この日の開館時間直前の午前9時59分には、下の写真のように、まだ4台しか駐車場に入っていず、もっとゆっくり来ても良かったかなと思いました。
泉屋博古館開館時間に無事入館しました。
開館前に入口前でたむろしている私たちに、担当者から入館後にどこで入館券を買うとか、事前に入館券を持っている人はどの担当者に申し出るとかの案内がありました。そして、午前10時になると開門されました。
入館して直ぐ右手に入館券を販売するカウンターがあり、2人の担当者が受け付けてくれました。入館料は一人1,200円。阪急のカードを提示すると割引があるとのことで、早速提示すると入館料は一人1,000円に割引して頂きました。
「二条城行幸図屏風」を目指して、展示室へ向かいました
入館券を購入して、少し階段を上がると広々としたロビーから庭を挟んで展示室の建物が見えてきました。尚、この写真の部屋の手前の入館して直ぐのところ(入館券販売カウンターの後ろ側の売店横)にはトイレがあり、結構多くの人が入館して早速トイレに駆け込んでゆきました。
庭が美しくて感激です
下の写真のように、屋根付き通路で展示室の建物に繋がる道の横には広々とした、手入れの良く行き届いた庭がありました。
この通路横の庭の縁にある砂利もよく刷かれていて、まるで「石庭」級でした。砂利には木々の枝の影が落ちて、更に良かったです。
「二条城行幸図屏風」は大迫力です。
展示室に入ると直ぐに「主催者からの『ごあいさつ』の掲示」がありました。掲示には今回の展示の説明、歴史背景、目的といったことも書いてあり、単なる挨拶にとどまらない説明に、私も含めて入館してくる人がここで溜まるほどでした。
そして、館内に入ると直ぐに、大きく、大変な長さの「二条城行幸図屏風」が展示されていました。次の写真は記念品売り場で買った「二条城行幸図屏風」をイメージしたクリアーファイルです。実物を撮影するわけにはいきませんので、イメージまで。
この屏風では、上半分は「後水尾天皇」の行列が御所を出て二条城に向かう列で、下半分は徳川将軍が「後水尾天皇」を中立売門まで迎えに行く行列とのことでした。下の段の将軍の行列の先頭にいる武士が第二代目京都所司代の板倉重宗であるとか、上の段の牛車のひとつが中宮「徳川和子(まさこ)」の乗る牛車であるとの具体的な説明があり、興味深かったです。
下の写真は記念品売り場で購入した絵葉書ですが、真ん中に「後水尾天皇」が乗られる輿のようなもの(鳳輦:「ほうれん」と言うらしい)があり、他の方が牛車か乗馬なのに比べて格式の違いを感じました。
徳川幕府の開闢期に、大御所秀忠、将軍家光、徳川が朝廷に嫁がせた中宮(徳川和子)が参加して、天下に幕府の威信を示したこの行幸の迫力を感じました。
屏風の絵の中で、警備の武士が将軍の牛車の通過の時は平伏しているのに、外様大名の列には顔を上げたままであるのは興味深かったです。また、道路端の見学場所でも将軍の行列の方の屏風に描かれた一階には見学客がいるものの二階は窓格子越しにも人が一人もいないのがはっきりわかります。反面「後水尾天皇」の列の見学席には、一階も二階も人で一杯なのが更に興味深かったです。ここの「二条城行幸図屏風」を見るだけで十分満足しましたが、次の部屋には当時の女性の小袖のような衣装や「三十六歌仙」画帖、儀礼用の太刀、押絵色紙、香炉香木等が展示されており、多くの人が足を停めて長い間見入っておられました。
私も幾つかの品の前で見入ってしまいました。ここにある「三十六歌仙」画帖の一部もやはり裁断されたものとの説明がありました。以前に「佐竹本三十六歌仙」が裁断分割されたことを知って如何なものかと思っていましたが、ここにもあるように過去には同じような例があったのだと思いました。
展示室外のディスプレイのビデオ説明は解り易くて、良かったです。
展示室を出ると休憩用の椅子があり、近くにトイレもあって休憩しました。ここのトイレは「ここまでするか」と思う程きれいに清掃・整備されていて、さすがと思いました。更に、ここで大事なことを知りました。次の写真は私が当初休憩室と思った場所ですが、ここの正面にあるディスプレイで放映されているビデオ説明が素晴らしかったです。
このディスプレイに映されるビデオ説明は、今回の「寛永行幸」に関わることを映像で解り易く説明していました。
例えば、「寛永行幸」の準備は1年前から行われて、二条城の「天守閣」と「本丸御殿」はこの行幸の為に造られたとのこと。また、これまであった「二の丸御殿」は改修されて本丸御殿と渡り廊下を作られて、「後水尾天皇」が地面を歩かなくても良いようにされていたとのことも知りました。
行列の総勢は9,000人以上、加えてそれ以上の観客。庶民が間近かに天子を拝めるとのことで多くの観客が集まり、天子に手を合わせて拝む人やいろいろな衣装で観覧する人々がいたことをビデオ説明で知りました。このビデオ説明は、この「寛永行幸」を知る上で、大変意味のあるものと思いました。
ビデオ映像視聴後に庭の横の通路を通って入口のある建物に戻りました。ここには「中国青銅器の時代(BRONZE GALLEY)」があり、見学することにしていました。過去に「鼎」や「銅鐸」等を拝見したことがありましたので興味があり、行くことにしていました。
「中国青銅器の時代(BRONZE GALLEY)」に行く前に休憩。
ビデオのあったところから「中国青銅器の時代(BRONZE GRALLY)」へ向かう途中に「カフェ」のような佇まいの休憩室がありましたので、少し休憩を取ることにしました。
休憩室では良く整備された庭に向かって席が設置されており、席の間には飲み物を置くことができる小テーブルもありました。席の目の前のディスプレイでは大阪万博の住友館に関しての内容のビデオメッセージが流されていました。ここでは無料の日本茶が提供されていましたので、しっかり頂きました。
休憩室内には上の写真のようなメルヘンチックな記念撮影箇所も設けられていました。
「中国青銅器の時代(BRONZE GALLEY)」展に行きました。
休憩を済ませてから「青銅器館(BRONZE GALLEY)」へ向かいました。「青銅器館」への入口から少し螺旋階段を上がると、センスの良い入口があり、「泉屋博古」との額が入口の上に架かっていました。この額と木感豊かな取り合わせは大変感じが良くて、良かったと思いました。
(上の写真は「青銅器館(BRONZE GALLEY)」への入口、下の写真は「泉屋博古」の額が架かった入口です)
今回は特に、各青銅器に刻まれた文字を翻訳して展示品の横に説明されていたことが新鮮で興味深かったです。
また、各展示品の説明書きには「その青銅器」が作られた理由が書かれておりました。例えば手柄を立てて天子より「宝貝」を幾つか貰い、そのことを子々孫々まで伝えるために青銅器を作って、そのこと等を文字を刻んでいるものがあることを知りました。別の展示品では、手柄で天子より銅の地金を貰い、それで銅器を作ったとのことがあった例も知りました。いずれも、天子に忠誠を尽くすように子孫に伝えているのは興味深いものでした。
見学後は、記念に「二条城行幸図屏風」の絵葉書とファイルを買いました。
出口前の記念品売り場で、上の写真の絵葉書と寛永行幸(二条城行幸図屏風)のクリアーファイルを買いました。なかなか気に入ったので大切にしたいです。(「二条城行幸図屏風」を写したクリアーファイルの写真は、行幸図屏風についての説明箇所に載せています)
帰る前には駐車場は埋まっていました。
インバウンド=フリーの落ち着いた一日でした。
午前10時に入館した時に駐車していたのは4台でしたが、午前11時48分に「泉屋博古館」を出てくると12台が駐車していました。キャパは10台とのネット情報でしたが、軽自動車も交じって駐車場はいっぱいの状況かなと思いました。
この日の「泉屋博古館」での時間は、インバウンド比率ゼロ(欧米系の人は見かけず、日本語以外の言語は聞こえませんでした)でした。インバウンド=フリーは最近は結構贅沢な空間になりました。しかし、日本が安いだけと認識せず、騒がずに、「こうした日本を見つけに来る」、日本に興味のある「以前の外国人観光客」の比率が戻ればいいなとも感じました。
ここの庭が立派なのは事前には知りませんでした。休憩室で頂いたパンフレットには、今後も次々と展覧会が企画されているようですので、また来たいと思いました。
秋の3連休の一日に、素晴らしい屏風や展示品を拝見して勉強になりました。どことなく少し知的生活をしたような満足感いっぱいの一日を過ごさせて頂きました。
以上
2026年10月 おおともの旅人























