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私はよく、麦茶を作るのですが、
やかんに水と麦茶パックを入れて、コンロにかけるのですが、
2回に1回は、やかんを火にかけていたことを忘れて、
真っ黒な麦茶になったりするのです。
自分の忘れっぽいところ、何とかならないだろうか。
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などと仕事が休みの今日、麦茶を作るときに、
普段、まったく読まない作り方などを見てみると、
お湯が沸騰して、火を止めてから、
麦茶パックを入れてくださいね~
と書いてあります。
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ひとつ賢くなりました。
これで麦茶パックを無駄にしなくて済みます。
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でも、やかんをコンロにかけて忘れる、ということは、
治らずに今まで通りなのだろうなあ
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ここまで読んでくださってありがとうございます。
先日、政府が本国会で成立を目指していた検察庁法改正案が、世論の批判を浴びて、見送りとなった。検察庁法改正案の問題点については、ここでは触れないが、注目すべきことは、長期安定政権である安倍政権の方針を覆すことができたという点と、世論の形成のされ方である。
今回の検察庁法改正法案の見送りという出来事の前にも、注目すべき動きがあった。
新型コロナウイルスの感染拡大により、安倍政権は、いろいろな対策を立てている。例えば和牛の商品券とか、お魚券の配布、貸付金制度、30万円の給付制度、アベノマスクの配布など、いずれもちょっとおかしいだろう、というものばかりであった。
それに対して、有識者やこの国に住む人々が、TwitterなどのSNS等で、批判してきた。そのような批判を安倍総理が気にしていたのかどうかはわからないが、少なくともそのような批判や意見に押される形で少しずつ政策内容が変わり、1人一律10万円給付が実現している。
大手マスコミが安倍政権批判を封印し、むしろ擁護することが多かったのに対して、有識者個人が声を上げ、市民一人一人が声を上げる、そういった個人の意見を野党がうまく取り込み、政策として作り上げる、あるいは議員個人が集まり研究会を立ち上げ、政策提言をするなどの動きが出てきている。
組織や団体による世論形成ではなく、個人から発せられた意見や声が世論形成につながっているという点が重要である。
特にこのような動きが顕著だったのが、今回の検察庁法改正案に関係した動きである。一部野党議員や有識者も以前から問題視していたが、それよりも強かったのがTwitterを利用している個人が発した、ハッシュタグ #検察庁法改正案に抗議します というつぶやきである。これに共鳴した人たちが次々にツイートを上げ膨大な数のツイートになった。
これまでの世論は、政権与党が形成したり、あるいは野党が形成しようとしたり、マスコミが形成したり、労組や経団連が形成したりと、とにかく組織・集団が世論形成をリードし、それに日本に住む人々が乗っかっていくという形がほとんどだった。ある意味、トップダウン型の世論形成である。
その一方、今回の出来事は、日本に暮らす人々、市民個々人や有識者個人が声を上げ、それが大きくなり、それを野党がすくい上げ、マスコミが取り上げるようになってより大きな声になっていく、そういった市民・個人から始まった、ボトムアップ型の世論形成であるということが重要だと思う。
私はこうした市民・個人発の世論形成こそが、民主主義社会の在り方として極めて重要な動きであると考える。
今回はコロナウイルスの感染拡大と経済危機という非常時に起きた出来事であるが、こういった動きが定着し、今後の日本の社会、政治に、市民・個人がどんどん物申していくという動きが定着することを願っている。
今日の仕事は午前中だけ。
午後からは仕事しなくていい!自由だー。
半日勤務っていいよね。毎日が半日だったらいいのに。
でも、なぜか疲労感は1日働いた時と変わらない。何故?
ネガティブな考え(半日でこんなに疲れて、大丈夫か?俺・・・・)
ポジティブな考え(疲労感が半日でも1日でも変わらないなら、1日働いた方が得かも)
・・・・ブログ投稿したら、昼寝しよう。(結局半日休みでも大したことができないなぁ)
ブログの開設、「はじめに」にかえて。
私たちは、自由が保障されている日本に住んでいる。なのに、私はこの社会に生きていて、何でこんなに息苦しいのだろう。不自由さを感じているのだろう。平和な国、身分のない平等な日本に生きていて、何でこんなに「自由だ!」と思える瞬間が少ないのだろう。
このブログを始めようと考えたのは半年ぐらい前。それからしばらく経ってしまったけど、その間に私の中で何かが少しずつ変わってきている気がする。でもそれはただの「気のせい」かもしれない。いろいろと考え、書いて、確かめていく。その方法のひとつとしてこのブログを始めた。
そしてもう一つ。このブログを読んでくれる人が果たしているのだろうか。はなはだあやしいところですが、とにかく自分が考えたこと、感じたこと、気持ちを誰かに伝えたい。
子供たちや友人・知人、見知らぬどなたかに伝える。それがどのような受け取られ方をするのか、感想を持たれるのかはわからないけど。
読んでくれた人がどのように感じるのかは、その人の自由。共感したり納得してくれたらうれしいけど、疑問を持たれたり、否定されたりしても仕方がないと思う。
でもとにかく、書きたいと思うし、伝えたいと思う。この気持ちを大切にしたい。書くことによって少しでもこの息苦しさが軽くなって、「自由だ!」と思える瞬間を増やしたい。
そして、もちろんこのブログを読んでくださっているみなさんにとって、何かの役に立ったり、「自由だ!」と思える瞬間が少しでも増えることを願っております。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。