今日は仕事が休みだったので、8月15日という敗戦の日をどのようにして過ごすのか、前の日からいろいろ考えていました。
朝早く起きて、近所の山に暑くならないうちに登って、下山したところにあるお寺にお参りをしよう、そう考えていたのです。
でも最近大分疲れていたこともあり、朝早く起きることができず、8時頃に起きて、これから山に登ろうか、お寺参りだけでもしようかと考えたのですが、やはり心と身体が動きません。
せめて今日一日、絶食して当時の生きていた人たちのことをしのぶことにしようかと考えつつ、食パンなどをかじっている自分がいるわけです。
自分の意志の弱さをかみしめながらも、ふと思ったのは、戦争で亡くなった人たちを悼むことや、山に登ることや、お寺にお参りに行くことや、絶食すること、さらには自分の意志の弱さを思うことなど、すべてが自分本位の思いだということです。
戦争で犠牲になった方たちは、このようなことを望んでいるのだろうか。よくわからない。私は推測することしかできないけど、心安らかな時間を過ごしたいとか、家族に会いたいとか、お腹いっぱい食べたいとか、とにかく休みたいとか、そういったことだったのではないかと思う。
だから、むしろいつも通りの生活をする。涼しい環境で自分の好きなことをして休日をすごす、おいしいものを食べる、そういったことを、感謝と哀悼の気持ちを持ちながら行うことのほうがよいのではないかと思ったのです。
そしてさらに思うのは、8月15日になると、靖国神社に閣僚や政治家が何人参拝したとか、その是非を問うようなことが毎年行われていることです。
戦争の犠牲になった人たちが、靖国神社にいて、参拝してほしいと思うのかどうか私にはわかりません。
でも、少なくとも、8月15日に参拝するとか、玉串料を奉じるとか、そういった行為は、結局のところ自分本位の行動でしかない、ということです。
わざわざこの日、靖国神社に詣でる意味は、それをしている政治家たちの中にあるだけです。
本当に戦争で犠牲になった方を思うのであれば、どこで手を合わせても良いはずですし、日々の生活の中で感謝を持つこと、平和を願うこと、そしてより自分らしく充実した生活を送ることこそ供養になるのではないかと思うのです。
最後まで私の独り言におつきあいいただきありがとうございます。
この世の中と、みなさんの心が、平和でありますように。
