ふと思い出した話 | 旅一郎のブログ

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国鉄(日本国有鉄道)が、最後の全盛期を迎えた昭和47年ー53年までをテーマにした、汽車旅のブログです。

旧型客車亡き後、日本の鉄道旅行は本当につまらなくなりました。そのため海外ネタも載せています。

当時の雰囲気を伝えるものは鉄道にかかわらずアップします


奉天ヤマトホテル


「彼も立派なリペンレン(=日本人)ですよ」というセリフとそれを言われた中国人留学生の顔が急に思い出された。


なんの話かというと、初めて中国に行った帰りの船での出来事です。


行きの船では不安から自然と集団になり、帰りの船では中国での苦労話で盛り上がるというのが中国船旅の醍醐味でした。


その時も一月くらいの旅を終えて帰国する若者を多く乗せたフェリー「鑑真」号のレストランで酒を飲みながら失敗談などをネタに盛り上がってました。


その中に小柄な老人がいて、管を巻いていました。


途中から注目しだしたので「何を言ってるのか?」と近くにいた人に聞くと「昔満州に住んでいて、今回戦後初めて住んでいた街を訪れた。そこで見たのはかつての美しい街並みや清潔な環境とは程遠いカオスだったので、愕然とした」というものでした。


満州の大地

法的郊外 虎石台


満州の現状に対する不満をぶつけていたので(内容はきついですが口調は終始穏やか)回りの若者に「そうは言っても今は中国人の手に戻ったのだからななどとなだめられていました。


それを受け、その人は「そうですね、今も立派にに街が残っているのはありがたい事です」と自分を納得させるように言っていました。


その時近くにいた中国人留学生に対し言ったのが冒頭の言葉。


当時の感覚で「日本人」と言われることは中国人にとって褒め言葉だったのでしょう。

老人は留学生が立派だと言う代わりに冒頭のセリフを言ったのでした。

その時の留学生の表情は照れているように見えました。


その時、周りの若者は「何を言っても満州はいまは中国なのだから、何を今更」という空気でした。僕を含めて。


でも今ふと思ったのは、その言葉はぼくが国鉄を批判された時と同じだという事です。


奉天駅


老人は「自分たちが頑張ってしっかりした街を維持してきたのに、こんなにされてしまって!」という気持ちで、僕は「世界に誇れる統一規格のインフラたる国鉄がバラバラになってしまって」と不満を持っているのに対し、聞いている側は「そんな事今更言っても時代が違う」と流される。

全く感覚が伝わらない。


若者には今の満州は中国人よってうまく回っていると見えるけど、老人にはそう見えない。


それを国鉄に置きかえると、今の若い人にはJRがうまく回っているように見えるのだろうけど、僕にはそうは見えない。それと同じだ。


平房の731部隊ボイラー室跡

老人はたぶん今の僕と同じ気持ちだったのだろう。


#国鉄

#満州