昭和53年の旅 | 旅一郎のブログ

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国鉄(日本国有鉄道)が、最後の全盛期を迎えた昭和47年ー53年までをテーマにした、汽車旅のブログです。

旧型客車亡き後、日本の鉄道旅行は本当につまらなくなりました。そのため海外ネタも載せています。

当時の雰囲気を伝えるものは鉄道にかかわらずアップします

自分で時刻表を見るようになって、はじめて自分で企画した旅行を思い出しながら書きます。

昭和53年7月20日


同年10月に廃止が決定していた、寝台特急「安芸」に乗りたいと親にせがみました。

鹿児島への里帰りは、いつも明星1号か2号、親としては早く帰りたかったのでしょう。

新大阪22:58発だけれども、夕方から新大阪で待っていました。

ブルトレブームの頃で、次々に来る列車の写真を撮っては、「明星1号、583系」などとメモを取ってる人もいました。

時刻表からもわかるように、当時明星が7往復、あかつき、彗星それぞれ3往復、それに「なは」「安芸」「金星」が一往復づつ。

そのほかに急行「雲仙」「西海」「阿蘇」「くにさに」と宇野行きの「鷲羽1号」がありました。

安芸の発車30分前22:28発の「明星7号」(583系)が発車。かつての「月光」でしょう。

隣の東淀川を通過する様子が見え、EF58に牽引された寝台特急「安芸」が入線しました。

カニを含んで10両の25型100番代の編成でした。


下関に到着した「安芸」

この後、小倉行きのキハ67系に乗り、小倉から583系の「有明」に乗って西鹿児島まで向かいました。

続く。